095:突撃馬車
ジガンにせよ、フルルの母親にせよ、もともとは湖上に船を浮かべ、通りかかる貨物船や客船を襲って略奪していたのだという。文字どおりの湖賊だったわけだ。
「ここ十何年か、このへん、すっかり船の往来が途絶えちゃってね。地上のほうが、まだしも稼げるっていうんで、みんな船を降りて、街道の旅人を狙うようになったんだよ」
フルルが語るところでは──水上で活動していた頃は、湖賊のグループどうしが衝突するような事例はほとんどなかったらしい。湖賊には湖賊なりの伝統やら美意識やらなにやらあって、水上では相互不可侵、というのが彼らの暗黙のルールだったとか。
俺にはいまひとつわからんが、賊という以前に、船乗りとしての仲間意識とか同業者意識とかが、そういう状況を作り出していたのかもしれん。
これが船を捨てて地上に降りると、たちまち激しい縄張り争いが始まり、この十数年でいくつもの盗賊集団が全滅したり吸収合併されたりと、淘汰が進んでるそうだ。
ただ、湖賊が地上に降りたことで、今では船の往来は復活している。ダスクの連中なんかも、もっぱら船で移動し、そのぶん街道を使わなくなっていると以前聞いたことがある。そのうちまた盗賊どもも湖に戻っていくのかもな。
現在、ジガン率いる盗賊団が根城を構えているのは、湖の北岸沿いから、北東のルザリクへと、街道が大きくカーブを描いている一帯。
櫓を組んでつねに街道を監視し、獲物が通りかかるのを待っているという。規模は三十人くらいだとか。
沿岸の朝。蹄の音も高らかに、馬車は街道をひた進む。
俺とフルルは車内で地図を広げ、手順を確認した。
重要なのは、賊を蹴散らすことではない。ジガンを逃さず、かつ生きたまま手捕りにすることだ。確実にジガンの襟首をひっ掴むには、こちらから連中の拠点へ乗り込むのが最善だろう。襲われるのを待つより、こちらから襲いに行ってやろうじゃないか。
「えっと、ここらへん……」
地図を指差しながらフルルがいう。
「このへんで左折して、脇道に入って。狭いけど、馬車でもじゅうぶん通れるから。あとは林のなかを、道なりに進めば、あいつらの砦の裏側に出られるよ」
「よし。じゃ、前へ行って、ルミエルの隣りに座ってろ。左折のタイミングが来たら、ちゃんとルミエルに言うんだぞ」
俺が言うと、フルルは表情を引き締めてうなずき、御者席へ移動した。復讐戦を目前に控えて、さすがに少々緊張している様子だ。
「フルル。案内をお願いね」
「うんっ。頑張るよ!」
「ええ。一気に悪党の巣を焼き払って、汚物を消毒してしまいましょう」
はやるフルルへ、火に油を注ぐごとくルミエルが声をかける。人もなげなる凶舌、さすが外道シスターというべきか。正直、どっちが悪党かわからん。俺がいえた義理じゃないが。
ともあれ、狙うは奇襲。速戦即決。
二頭の馬はますます土煙をあげ、目的地へと急ぎはじめた。
街道をはずれ、雑木林の細い林道をしばし進むと、左右からアーチ状に張り出す枝々の隙間、木漏れ日の彼方の一角に、黒い影のようなものが突き立っているのが見えた。
フルルがそれを指差していう。
「あれが監視櫓だよ。誰か近付くと鉦を鳴らして知らせるんだけど、それがないってことは、まだこっちに気付いてないと思う」
「ほう。どうやら、うまく奇襲に持ち込めそうだな。二人とも、心の準備はいいか?」
「うん!」
「ええ!」
ルミエルとフルルは同時に力強く応えた。
ほどなく、前方の視界がひらけ、次第に見えてきたのは、高々そびえる茶色い外塀。なかなか堅固そうなつくりだ。その向こうに、いかにもがっしりした構造の望楼も見える。賊の根城にしては立派な山砦だな。
馬車はさらに速度を上げて、一気に砦の外塀へと迫る。不意に鉦が打ち鳴らされ、ガァンガァンと耳障りな金属音が、あたり一帯に響き渡った。ようやく気付いたらしい。
だがもう遅い。
御者席から、まずフルルが呪文詠唱し、掌から火球をつくりだして、砦の外郭めがけ撃ち放った。さらに息もつかず、二発目、三発目と、どんどん続けざまに撃ちこんでいく。
ぐわうっと爆音が轟き、前方に巨大な火柱があがる。たちまち外塀の一角は燃え崩れた。いくら頑丈そうに見えても、所詮木造だしな。
ますますやかましく鳴り響く警鉦。砦内からは狼狽の叫びが聞こえてくる。見事、奇襲は図に当たったようだ。
俺たちはいよいよ馬を急がせ、黒煙たちこめる外郭へと突っ込んでいく。
まだ火の付いてない左右の塀上から、ばらばらと矢が飛んでくる。意外に対応が早い。しかしルミエルは慌てず騒がず、巧みに手綱を操りながら、魔法の冷気を放射状に散開させ、飛来する矢を凍らせて落とすという妙技を披露した。
「ここからですよ。フルル、思いっきりおやりなさい」
「うんっ! お姉さま!」
ついに馬車が崩れた外塀を突破し、砦内へ踊りこむ。フルルは御者席から火炎魔法を四方八面ところかまわずブッ放しはじめた。
内部には木造の営舎と望楼が立ち並び、その中央に、ひときわ頑丈そうな角塔がそびえている。そのすべてが、あれよという間もなく、轟々たる火の海に覆い包まれた。
炸裂する閃光爆風、赤々と燃える紅蓮の波に煽られ追われ、続々焼け出される盗賊たち。多くは混乱を極め、ただ逃げ惑うばかりだが、なかには、なお弓矢や長槍を手に、いでや──とばかり向かってくる勇ましい者たちもいた。
「邪魔だよっ!」
「おどきなさい!」
フルルが繰り出す爆炎と、ルミエルの吹き荒らす氷結吹雪が、たちまち周囲の賊を蹴散らし薙ぎ倒す。
その死屍を踏み越えながら、馬車は枯葉を捲くがごとく、中央の塔めがけて突撃する。
で、俺はというと。
揺れる箱車の中で、ひとり、あぐらをかいている。まだちょいと出番には早いんでな。




