088:雨中の訪問者
ハッジスと緑林の荒くれ湖賊どもに忠誠を誓わせてから、盛宴はさらに夜更けまで続いた。
あまりに盛り上がりすぎて、翌朝は二日酔いの死屍累々。
結局、俺とルミエルは営舎の一室を借りて、そこで寝た。夜が明け、部屋を出ると、あちこちから響く呻き声。緑林どもの大半、ほとんど立てる者もいない有様で、みな営舎の廊下に横たわって寝たり唸ったりしている。
俺はたいして酒は飲まず、ひたすら食ってただけだが、ルミエルは相当呑んでいたはず。にもかかわらず平然としていた。酒造業者より酒豪なシスターとか、どんだけ。
ハッジスも少々つらそうな顔つきだったが、他の連中に比べれば、まだまともな状態を保っていた。
「昨夜の誓いを忘れるなよ。かならず湖賊たちを説き伏せ、まとめあげてみせろ」
俺がいうと、ハッジスは、神妙な顔でうなずいた。
「はい、かならず……。で、そのー、俺にこの地方を任せてくださるというのは、本当でしょうね」
「むろんだ。うまくやれよ」
こいつに政治手腕などは期待していない。付近の武装密売集団をひとまとめにしておくため、接着剤として使うつもりだ。こいつらの儲けを、より効率よく俺様が吸い上げるためにな。せいぜい頑張るがいい。
俺たちはハッジスに別れを告げ、早々に馬車を駆って、緑林の砦を離れた。ハッジスは全員で見送りたいと言ってきたが、二日酔いの連中が動き出すまで待ってたら、また日が暮れちまう。
松林を抜け、ふたたび馬車は湖岸の街道を進む。当初はよく晴れてたものの、二時間ほども走っているうち、次第に雲が張り出して、怪しげな空模様になってきた。湖水も灰色にくすんでいる。風も出てきたようだ。
「また、ひと雨来るんじゃないか?」
「ええ。少し速度を上げます」
ルミエルは手綱を振って、二頭の馬を急きたてた。
ここいらも、路面はあまり整備されていない。馬車がスピードをあげるほど、車輪はガラゴロとけたたましい音をたて、車内は猛烈に揺れまくる。
奥のほうでカゴがひとつ倒れ、中身のキノコが床にバラバラと散らばった。
「うおっと」
俺は慌ててキノコを拾い集め、カゴに放り込んだ。そういえば、昨日はキノコ鍋をする予定だったっけな。色々あって忘れてたが。
「ルミエル。次の駅亭まで、どれくらいだ?」
「もう見えてますよ。あと十分くらいで着きます」
「じゃ、そこでキノコ鍋にしようか。昨日は結局、食いそこなったからな」
ルミエルはうなずいた。
「わかりました。あ、それでは今のうちに、毒消し、お願いできますか?」
「そうだな。やっておこう」
カゴの中身の大半は普通の食用キノコだが、いくつか、あからさまな毒キノコも混じっている。ルミエルがむしった白いやつとかな。
俺はカゴに向かって手をかざし、毒消し魔法の呪文を詠唱した。勇者として覚醒する以前、ケーフィルから教わっていた、ごく簡単な呪文のひとつだ。本来は毒を受けた人間や獣を治療する魔法だが、食材の毒消しにも応用できる。毒キノコもたちまち無害な食材に早変わり。ケーフィルから聞いたところでは、河豚なんかの毒も消せるらしい。いずれ機会があれば試してみよう。
そのうち、馬車は駅亭へとさしかかった。空はみっしりと黒雲に覆われ、いまにも降り出しそうな気配だ。大きな藁屋根の下に車を止め、柱に馬を繋いで、俺たちは早速、昼食の準備に取り掛かった。
屋根の下には木製の長椅子がひとつ設置されている。相当古いものらしく、すっかり風化してボロボロになっている。座っただけで壊れそうだ。仕方ないので地面に直接ゴザをのべて、その脇に火を焚き、鍋をかけた。軽く水洗いしたキノコを、ルミエルがどんどん鍋に放り込んでいく。
「いい匂い……」
鍋をのぞき込み、目を輝かせるルミエル。色とりどりのキノコが、ダシ汁のなかで、ぐつぐつ湯気をたてて煮えてゆく。あまり見た目はうまそうに見えないのもまじってるが。
周囲ではバラバラと雨音が響きはじめた。どうやら降りはじめたらしい。
ほどなく。俺たちは並んでゴザの上に腰をおろし、いよいよ待望のキノコ鍋をつつきはじめた。
「おいしい……! これ、シャキシャキしてて、香りも最高ですよ……!」
ルミエルは、例の白キノコ──ドクツルタケという、名前からしてそのまんまな猛毒キノコ──をおいしそうに頬張り、すっかりご満悦の様子。毒消ししてあるから、害はないとはいえ。形がな。なんというか。
むろん、俺も負けじと箸を動かし、野趣あふれる深林の味覚を楽しんだ。コリコリしたのや、ふんわり柔らかいもの、ちょっと固めで、そのぶんしっかり味が出てくるもの。食感も香りも様々だが、どれも旨い。腹を満たすだけでなく、じんわりと身体全体に染み込んでくるような滋味だ。
不意に雨足が強くなってきた。屋根の外側は、四囲いずれも、滝のような水のカーテンに閉ざされている。
猛烈な雨音に混じって、ザザザザッ、と、濡れた地面を蹴たてながら、こちらへ近付いてくる複数の足音。急いでここへ駆け込もうとしているようだ。雨やどりか。
──と思ったら。
バシャンっと、大きく水がはねるような音。それきり、足音は途絶えた。
ふと、なにやら漂ってくる不穏な雰囲気。
俺とルミエルは、一瞬、顔を見合わせた。
腰のアエリアが、カチカチと剣環を鳴らす。
──コロセーコロセー。ブッコロリー。
おや、起きたのか。
──タタカイダー! ヒャーハーッ!
だからその叫び声はやめれというに。
ともあれ、緊急事態のようだ。あえてこちらからは動かず、しばらく状況を見守ることにした。響くは屋根を叩く雨音ばかり。
ややあって、雨のカーテンの向こうから、複数の人影が姿を現した。三人。いずれもフードが付いた灰色の長衣をまとい、顔を隠している。先頭の一人が、右手をこちらへかざしつつ、静かに歩み寄ってくる。その掌に輝く金色の魔力球──いや、あれは火の玉か。火球魔法だ。すでに詠唱を終え、いつでもこちらへぶっ放せる状態になっているようだ。
四方、すでに険呑な気配に満ち満ちている。いつの間にやら、謎の集団に駅亭全体を包囲されていたらしい。
前後左右から、長衣姿の闖入者どもが、続々と屋根の下へ踏み入ってくる。人数は十人。全員ずぶ濡れだ。それぞれ弓矢をつがえ、鏃をこちらに向けて、狙いをつけている。退路はない、ってか。
「……動くな。おとなしくしていれば、命までは取らん」
燃えさかる火球をこちらへかざしつつ、声をかけてくる謎の長衣姿。こいつがリーダー格か? フードを深くかぶり、さらに顔半分をマスクで覆っているため、ちょっと声はくぐもっているが、どうやら女みたいだな。
なるほど、こいつらが噂の追い剥ぎ湖賊か。おもしろい。
ちょいと世間の厳しさを教えてやろうじゃないか。




