852:死を超越せしもの
チーが、目覚めた。
ぱちんと瞼を開くや、がば、と半身を起こして、なぜか自分の胸元へ視線を落とす。
「……ない! アタシのムネがっ! 部位欠損してるっ!?」
いや、最初から無いからそれ。ぺたーんと平坦だから。
「チー」
と、俺は静かに声をかけた。
「あー、うん」
チーは、少し気まずそうに、うなずいてみせた。
なんだろう。この局面で見せる態度ではないような気がするが。普通はもっとこう、「え? あれ? どーなってんの?」みたいな反応をするもんだろうが。
「いやー、状況は把握してるよ。実は、ずっと見てたからねー」
……なんですと?
「思念体化して、ずっと魔王ちゃんの行動を眺めてたからねー。あ、でも、自力じゃどうにもできない状況ではあったんだ。こうやって肉体を復活させてくれなきゃ、未来永劫、魔王ちゃんを追いかけるだけの悪い思念体と化してたかも」
そんな! ずっと見られてたとは!
ではまさか、俺様が自分のタマをすっぱり切り落として、そのタマがこのタマになり、このタマとあんなことやこんなことをしてたのも! 全部まるっと見られてたというのか!
いやチーに何をいくら見られてようがそりゃ今更だけどな……付き合いも長いし。
ていうか思念体ってなんだ? 幽霊ってわけではないみたいだが。
もし死んで幽霊になってた場合、チーのデータを参照すれば、それはそういう状態だと俺にはわかる。なぜならほんの少し前、そういう幽霊を実際に見てるからな。魔術師レンドルという。
だがチーのデータに、そういうフラグは見えなかった。
説明がほしいところだが……いまは、それは後として。
「どうも、あちこち迷惑かけちゃったみたいだねー。とくに魔王ちゃんには、なんといって詫びればいいのやら」
「なにを水くさいことを。気にせんでいい」
俺は鷹揚にうなずいてみせたが、チーは。
「いやいや、そんな簡単に許されるようなことじゃないから! なんせ魔王ちゃんのアレがアレしてアレになったんだからね! アタシのせいで!」
いやまあ、確かにチーを目覚めさせるために苦労したのは事実だが。なんせ俺がナニをナニしてナニにしたわけだから。チーのために。
「だからっ! お詫びとしてー、この場でアタシの純潔を魔王ちゃんに捧げて、魔王ちゃんのお嫁さんになるよ! それなら魔王ちゃんも納得だよねー?」
「それはもうとっくに全部貰ってるから」
「うん、そうだったねー」
チーは、にへっと笑った。どういう会話だこれ。全力でイチャついてるカップルか何かか。
「……説明を求めたいのですが。よろしいでしょうか」
しばし黙って見ていたルードが、後ろから声をかけてきた。
「もちろん、我も聞かせてもらうぞ。此度の一件、我の叡智をもってしても、いささか測りかねる状況だったのでな」
「うんうん。そうだね、アンタらにも苦労かけちゃったしねー。事情を知る権利は当然あるよねー」
チーがうなずくと、俺の脇に抱えられたままのタマが、くわっと目を見開いた。
「ギリノハハ! ハジメマシテ! タマダヨー!」
ん? なんて?
ギリメカテ……じゃなくて、義理の母?
すなわち義母? チーが?
どういう意味だ?
一瞬悩んだが、ついさきほど、俺がタマに告げた説明……。
「タマと同じくらい大事な人」
という言葉から類推し、そういう解釈に至ったらしい。
タマは一応、俺の娘である。でもってチーは俺の婚約者……いずれは嫁となる。ならばタマにとっては、義母になるわけだな……。
「アタシはチーだよー。初めまして、タマちゃん」
チーも瞬時に理解して、もう受け入れてる様子。
「さっすが、魔王ちゃんの分身と先代勇者の融合体だけのことはあるねー。知能が高い、察しがいい。こんな子なら、母と呼ばれるのも悪くないねー」
なんか、ほくほく顔になっとる……。確かにタマは可愛いからな。チーさえ問題ないなら、親子として仲良くやっていきたいところだ。
「タマ。チーと仲良くやっていけるか?」
「ウン! タマ、ハハ、スキ! ハハ! ヨロシクネ!」
満面の笑顔で言い切るタマ。もうチーのことは母と呼ぶことに決めたらしい。双方それで納得できるならば、俺に否やはない。むしろなんでタマが、いきなりそんなにチーに懐くのか、謎だが。
あと、見ためな。タマが女子中学生くらい、チーはもっと幼い姿なんで、傍目には変な組み合わせっぽく見えるかもしれん……まあ些細なことか。
リッチーのチー。
もとは人間でありながら、自らの魔力で不死身のリッチーと化した、最上位アンデッド。
と、俺は理解していたし、当人もそう言っていた。かつての魔族も、ごく当然のように、チーを高位の魔族とみなし、受け入れた。
だが実際のところ、ここ最近のチーは、厳密にはリッチーではなくなっていたらしい。
「こないだ、久々に会った魔王ちゃんと、その……(自主規制)したじゃん? 城の地下で」
あー、あのときね。カチンコチンに凍ってたこの城を解放して、地下に避難中だったチーと再会。思わず全力ダイヴをかまして(激しく自主規制)しまった、あれね。
うん、若気の至りだったね。俺も若かったから。つい先日のことだけどな!
「あのとき、アタシ、以前とは違う魔王ちゃんの魔力を、モロに貰っちゃってさ……なんか、進化しちゃったんだよね。アタシの存在自体が。一気に二段階ぐらい、駆けあがったっていうかさ」
……存在進化?
以前とは違う俺……そうか。いまの俺は勇者、それも大精霊化待ったなしの上位存在と化しつつある。昔の、一介の魔王だったころとは、魔力からなにから、そりゃ別物レベルだろう。
で、そんな俺の魔力を注がれたことで、チーも上位存在に進化してしまった、と?
「いまのあたしは、もうリッチーじゃなくて……死を超越せし者。オーバーロードのさらに先。種族名なんて無いから、そこは好きに呼んでほしいねー」
ははあ。死を超越せし者。
いやでも、たった今まで、普通に死んでたような……。
「いまのアタシは、実体をともなわない思念体のほうが本体。この肉体は、思念体が物理世界に干渉するためのアバターみたいなもん。でも、もとが人間の肉体だから、脆いんだよねー。ちょっと気合い入れて維持してないと、あっさり活動停止しちゃうんだよ」
ほう。
それが謎の突然死の理由なのか……。
上位存在に進化してしまって、逆に肉体が枷になってる状況、みたいな?
知らん間に、なかなか面倒くさいことになってるな。だがチーがそうなった原因が俺様の魔力だというなら、他人事とはいえん。
これ、対処法とかあるんだろうか?




