851:代償は魔王五万人
食堂で一服するうちに、体力も魔力も、充分に回復した。
やはり畑中さんのメシはいい。気力が漲ってくるようだ。
「では、いくか」
食事を終えたタマ、ツァバト、ルードを連れて、再び転移。
チーの居室内へ、瞬間移動した。
べつにチーの近くにいなくても、この世界のどこからでも、チーのデータアドレスにアクセスすることは可能なんだが……やはり、チーが目覚めたとき、俺がそばにいるべきだろう。
そのチーは、ベッドに寝かされていた。床に倒れてたので、スーさんがベッドまで運んでくれたのだろうな。肌からは完全に血色が失せて、顔も手足も真っ白に成り果てている。
死体だからなあ。そりゃ時間が経てばこうなってくるよな。まだ腐乱までには至ってないのが幸いだ。
「パパー。コレ、ナーニ?」
タマが、ベッドに横たわるチーの骸へ、ぴっと指をさして訊ねてきた。コレとかいっちゃいけません。
「俺にとって、大事な人だよ。タマと同じくらいにな」
「……ソウナノ?」
「そうだ。だが今は死んでいる。生き返らせるためには、タマの力が必要だ」
「ンー……ソッカー」
タマは、ちょっと何か考えている様子だったが。
「タマ、ガンバルヨ!」
ちょっと鼻息荒く、タマはうなずいてみせた。
この状況をタマが本当に理解できてるのかどうか不明だが、ともあれ、やる気を出してくれたようで有り難い。
「では、やるぞ」
「うむ、健闘を祈る」
ツァバトは、静かに笑みを向けてきた。
「アークさん。落ち着いて、書き換えるべきフラグをよく見極めてください。失敗すると、取り返しがつきませんからね」
ルードが注意してきた。
言われんでもわかっとる……といいたいとこだが、実際、なかなか厳しい作業になりそうだ。気を引き締めてかからねば。
まず、チーのベッドの脇に立って、そっとタマを抱き寄せる。
タマのうなじに手をかけ、魔力を流し込んで、タマの内蔵インターフェースに接続。
「インターフェース、キドウ」
タマの表情が消えて、無機的な発声によるガイダンスが行われる。
俺の視界に、例の林檎風GUIのデスクトップが浮かび上がった。
このデスクトップ上に、タマをドットアニメ調にデフォルメして笑顔でピースサインしているような可愛らしいアイコンが、ぽつねんと配置されている。これがタマ内蔵プロセスメモリエディタへのショートカット。
アイコンをクリックすると、専用アプリケーション「タマアクションリプレイ」が起動した。なんだこの名称……。
プロセスメモリエディタとは、データアドレスに介入して、リアルタイムで書き換えを行うためのツールだ。
といっても見た目は、よくわからない数字の羅列でしかないんだが……。
いわゆるコードサーチをするまでもない。チーの肉体と精神の状態を管理しているアドレスを、俺はすでに把握している。
本来、生物の各種データはプロテクト領域と呼ばれる、アクセス不可のアドレスに格納されている。
完全物質は、このプロテクトを突破し、生物非生物に関わらず、各種状態を好き勝手にいじくれる。賢者の石とかな。
だがチーのデータには、常人とはまったく異なる強固なプロテクトが掛かっており、従来型の完全物質では介入できない。
ゆえに、タマが生まれた。ルード長年の完全物質の研究成果が惜しみなく投入された、最強のチートツール。
いかなるプロテクトも無効化し、対象が何であろうとデータをいじくり回すことが可能だ。
インターフェースはいたってシンプルでわかりやすい。
さて……まずは、チーの現在の生命力を示すアドレスを参照。
見事にゼロが並んでいる。つまり死んでる……いやわかってたけど。
いまの時点で、ここの数値をどういじくっても無駄だ。強制的にゼロに戻るだけ。単純に生命力をいじくるだけじゃ蘇生させられない。
その前に、生存と死亡を司るスイッチ……フラグが格納されているアドレスを書き換えなければならない。
あった。ここのアドレスは、わずか8ビットしか割り当てられてない。
常人の場合、00なら死亡、01なら生存、と決まっている。0か1しかないわけだ。
だがチーはアンデッドである。ツァバトから、あらかじめ説明を受けていた。
ここのデータフラグを10に書き換えると、対象は肉体が死んだままアンデッド化する。
しかしこれだと、肉体を維持できず、そのうち、動く死体が、腐った動く死体になり、しまいには動く骸骨と化してしまう。
チーのような最上位アンデッドの正常値は、F0。これならば、アンデッドでありながら、生命力の数値に応じて、肉体を維持できるようになる。
……こんなん、事前に説明聞いてなきゃ、わかんねえっての。
このアドレスの後ろに、肉体各部位の状態……1なら存在、0ならば欠損……というフラグがずらーっと並んでいる。いまはここは無視でよろしかろう。不具合があれば、後でまた治せばいいのだし。
ではチーの生存フラグをF0に書き換え。ポチポチっとな。
次の瞬間。
目の前が暗転し、足元がふらついた。
視界はすぐに回復したが、こりゃあ……か、身体に力が入らん。
わずか8ビットのフラグを一箇所書き換えただけなのに、それはもう凄まじい魔力を持っていかれた。
タダではチートは使えない。データに干渉するたびに、相応のエネルギーを消費する。
それはタマのマニュアルに書かれていたし、よく承知してるつもりだったが。
それにしても、代償が巨大すぎる。いまので、なんと俺の保有魔力の四分の三、持っていかれたぞ。ざっと魔王五万人分ぐらい。もう一回やったら、チーが目覚める前に俺が死んじまうわ。
だが、最低限必要なフラグの書き換えは終わった。
続いて生命力のアドレスを再度参照。オール0だった数値に変化が生じている。ぽちぽちと数値が増え始めていた。よし、うまくいったな。
これで……蘇生作業は完了。
急いでエディタを閉じ、インターフェースを終了させて、タマとの接続を切った。もう魔力切れそう。めちゃくちゃ疲れた。
そして。
「シューリョー」
タマのガイダンスと、ほぼ同時に。
ベッドに横たわっていたチーが。
ゆっくりと、瞼を開いた。




