837:よく冷えてるやつ
大型演算装置。完全物質高速生成アプリ。完全物質の発明者たる魔王。
この三点、いままさに、ここに揃っている。
といっても、完全物質の発明は、俺様の二代前、初代魔王の仕事であって、俺とは無関係。
……ではない。
魔王には、この世で魔王にしか行使しえない、魔王固有の特別な力が備わっている。
それは誰に教わらずとも、魔王の魂が知っている、魔王だけが持つ力だ。
魔族を従える力。
魔族という、この世界本来の摂理から落ちこぼれた、歪み迷える諸霊を導く力。
魔王の存在は、魔族の肉体と精神に直接影響を与える。
魔王が是とせば是、非とせば非。
魔王の意思と力は、魔族一体一体の肉体と精神に、程度の差はあるが必ず反映される。
いわば、魔王は、魔族という巨大生物の脳味噌のようなものだ。
かつて魔王不在の時代、魔族が急激に弱体化し、滅亡寸前の憂き目をみたのも、こういう事情による。
魔王はいかにして魔族を思うままに従えるのか。その具体的な機序を知る者もまた魔王をおいて他にいない。
魔王は、とくに意識することなく、魔族らの肉体と精神にリアルタイムで介入し、その行動を律している。
それもほぼ常時、無意識に、全ての魔族へ同時にそれをやっている。
ゆえに魔族は例外なく魔王の意のままになる。
魔族といえども生物である。たとえ殺しても死なないアンデッドだって、死んでなければ生きている。なにを言ってるのかよくわからんかもしれんが、実は俺もよくわからん。
とはいえ生物である以上、他の有機生命体と同様、魔族の生体データもプロテクト領域内に格納されている。
四分霊はこれに介入できないが、魔王にはそれができる。
他のいかなる上位存在でも模倣できない、魔王だけに備わる権能である。
……俺自身、いまもそうやって魔族を従えている。肉体や容姿でなく、魂に備わっている権能だからだ。
おそらくこの先、俺が肉体を完全に捨てて精霊と化しても、この権能が失われることはないだろう。
俺の魂とは、そもそも何者なのか……そのへんについても、近頃、色々と思い出しつつあるが、今はそこは本題ではない。
魔王も四分霊と同じく、実はチート持ちであり、しかも魔族限定とはいえプロテクト領域を突破する権能がある、という点が重要だ。
魔族にそういうインチキ操作ができる魔王ならば、頑張れば他の種族も、操れちゃったりするんじゃないか?
という発想で、頑張ってみたら、本当にそういうアイテムができてしまった。
それが初代魔王が作り出した、三大完全物質である。
魔王自身の能力と四分霊の権能、その両方のイイトコ取りができるようになっており、生物無機物問わず、プロテクト領域をも無視して、万物のデータをいじくり放題という夢の逸品。
しかも魔王じゃなくても使えるし、様々なプログラムを放り込むことで自律稼動すら可能になる。
だが問題もあった。
素材である。
初代魔王は、自分自身の霊魂の一部を、ある肉体部位ごと、すっぱり切り離して、特殊な硬化処置を施し、素材化した。
肉体については、どうせどこを切ろうが、すぐまた生えてくるし、霊魂を少々削ろうと、それも時間さえあれば回復する。なんせ魔王だから。
そのきわめて特殊な素材へ、莫大な魔力を圧縮して押し込みつつ、膨大な計算に基づく複雑精緻な超小型集積魔法陣……いわゆる魔術回路を形成し、さらに物理干渉用のインターフェースを構築、実装することで、完全物質いっちょう上がり、となる。
三種の完全物質、製作開始から、完成までの所要時間、約千二百年。
理屈はそう複雑でもないが、実際やるとなると、とんでもない時間が掛かっていた。
ようするにエリクサーも仙丹も、もとは初代魔王の霊魂と肉体の一部だったりする。
後に、ルードが、魔王ではなく、大精霊シャダイが作り出したアンチ魔王システム……すなわち「勇者」の遺骸からでも、劣化版ながら完全物質を製作可能であることを突き止め、その研究を始めることになるが、それは初代魔王の時代からずっと後の話である。
……ここまで状況を整理して、ようやく、ここで俺のやるべきことが見えてきた。
ツァバトが俺をここに連れてきたのは、俺の霊魂と肉体部位を素材として採取するため。
それで新たな完全物質を作り出そうというのだろう。
その完全物質のチート能力を用いて、現在絶賛死亡中のチーを蘇生させようというわけだ。
「なにせ、あのオーバーロードは、この世界においても少々特殊な存在でな。汝らの権能はおろか、従来の完全物質でも、あやつの生体データにはアクセスできん。ゆえに、より強力な完全物質が、新たに必要になるのだ」
そうツァバトは告げてきた。
前々から気になってたが、ツァバトが、チーのことをわざわざオーバーロードと呼ぶのはなんでだろうな。
なんか理由があるんだろうが、どうせ直接聞いてもはぐらかされるだけだろう。いずれ明らかになる日が来るんだろうか。
ともあれ今は、そのへんの余事はおいて、チーの蘇生を最優先に考えねばなるまい。
横から、ルードが補足を入れてきた。
「実はですね。アークさんから採取できる部位だけでは、新しい完全物質とはなり得ません。他にも必要なものがありまして」
「というと?」
と訊くと。
「さきほど言ったであろう。ルードが製作した、特別な完全物質が、ここに保管されておると」
ツァバトが応えた。
ああ……確かに出発前、そんなことを言ってたな。それが追加素材として必要になるってことか。
「奥の間に、もう用意してあります。こちらへ」
ルードが、再び俺たちの先に立って歩きはじめた。
黒い巨大な鉄製筐体がずらりと並ぶ生体スパコンの脇を通って、この広い空間の奥へ。
ツァバトはまだ俺の胸にしがみついたままだ。どうせ飽きたら離れるだろうし、もう放っとくしかない。
空間の奥、向かって右側に、まるで体育館の資材置き場かなんかのような、両開きの扉がある。
ルードが前へ立つと、扉が勝手に左右に開いた。
「ここです。お入りください」
促されるまま、部屋へ。
内部はやけにヒンヤリと……って、いやこの室内、めちゃくちゃ寒いんだが!
冷蔵どころか、冷凍庫だこれ!
室内は薄暗かったが、ルードが魔力球を作り出して周囲を照らした。
なんだか標本室のようだ。それも小動物だの、よくわからない生物のモツっぽい物体だのが、円筒形の透明ケースに冷凍状態で収まっている。
そんな透明ケースが左右の壁際にずらりと並んでいた。
つまり、ナマモノの冷凍保管庫か。ここは。
「……これです」
室内の一番奥に、ひときわ大きな円筒ケースが屹立していた。
その中に収まっていたのは、どうも人間の全身全裸の標本っぽいモノ。
なにせ真っ白に冷凍されていて、詳細はわからん。こりゃよく冷えとるわ。
性別は男、背格好は俺とあまり変わらんようだ。
「これは、アークさんの先代……二代目勇者の遺体です」
ルードは、さらりと告げた。




