834:天翔ける不審者
紅葉鮮やかな森から一斉に翼を広げ、五頭のドラゴンが翔け上がってくる。
以前ならアエリアを抜いて対応しただろうが、いまや、もうそんな必要すら感じない。
空に浮き立ち、左腕にツァバトの小さな身体を抱えたまま、ナーガどもの群れをめがけ、右腕を軽く振りおろす。
見えざる衝撃波が宙を駆け抜け、ドラゴンどもは瞬時にバラバラに砕けて、断末魔すらあげる間もなく落ちていった。
……これでもかなり加減している。ちょっと間違うと、森ごと吹っ飛ばしかねんし。
足元の地上では、まだギャアギャアと喚く声があちこちで聞こえていた。おそらく相当数のナーガの群れが、なお森林に潜んでいるのだろう。
ただ、今の一幕に怖れでもなしたか、もう襲ってはこないようだ。
ナーガどもを退け、あらためて北霊府の外壁へ接近する。
「あのへんだな。あの壁の内側に降りるがよい」
ツァバトが再び着地点を指差した。
「よし」
ゆっくりと降下してゆく。
着地するにせよ、あまり人目の多い場所は避けたいものだ。無駄な騒ぎを起こしかねん。
と思ったのだが……残念ながら、そうも言っていられないようだ。
もう防壁の上に複数の人影が走り回っており、なにやら騒ぎ出していた。
北霊府の防衛体制は、思ったよりしっかりと機能していた。
おそらくナーガの襲撃に備えて、ずっと上空を警戒していたのだろう。
で、あっさり俺の接近も察知されたと。
空を飛んで接近してくる、若い平服姿の男。
その腕に、かぼパン一丁の半裸幼女を抱えて――。
まさに天翔ける不審者。こんなん、誰がどう見ても、まっとうな存在とも思われまい。
どうしたものか。そもそも、なんでツァバトはずっと半裸なんだ。服着ろよ。今更だけど。
といって、ここで止まるわけにも、引き返すわけにもいかん。
……などと逡巡していると。
新たに防壁上に人影が現れ、左右の警備兵らに声をかけはじめた。
兵らは慌てた様子で防壁上を駆けまわり、続々と梯子を降りて、壁の内側へ撤収していった。
その人影、亜麻の長衣が陽光に照り映え、真っ白に輝いて見える。
黒髪白衣の優男。すなわちルードだ。
「アークさん、ツァバト先輩、ここですよー」
ルードは、兵らを退かせるや、こちらへ向かって呼びかけてきた。
……北霊府でも、学者としてそれなりに著名だとは聞いていたが、警備兵を一喝して退がらせるほどの権力者とは。一体どれだけの肩書きを持ってやがるんだあいつは。
無事に外壁上へ着地。
ぶ厚い石壁の上は、両側に柵の付いた連絡通路になっており、見ため以上にがっしりした造りになっていた。高さは二十メートルぐらいだろうか。通路の幅もしっかりとある。
実戦時は、ここに弩弓をかけつらね、かなりの数の兵を並べて、防戦につとめることになるのだろうな。
ここに比べたら、ルザリクの木造防壁なんか貧相すぎて話にならん。
もっとも、もう二度と、あの街が戦乱に巻き込まれるような事態は起こるまいが。俺の目の黒いうちはな。
「やあ、よくおいでくださいました。こちらの準備はできていますよ」
ルードは、涼やかな微笑で俺たちを出迎えた。
「準備……そもそも何をすりゃいいんだ、俺は」
と訊くと、俺の腕のなかでツァバトが応えた。半裸で。
「なに、難しいことではない。少々痛いかもしれんが、心配はいらぬ」
いやマジに俺に何をさせる気だこいつら!
チーを生き返らせるためといえ、本当にこいつら信用していいのか、ちょっと不安になってきた。
「あちらに見える屋根が、私の研究所です」
ルードが指し示すほうには、壁の内側……というか、内壁にぴったり沿うように、やや大きめの建物が見えている。それも石造りの、随分頑丈そうな建屋だ。
ついでに、壁の内側を俯瞰して眺めてみた。
ここから見られる北霊府の街並みは、きれいに区画が分かれた、計画的に整備された都市のようだ。
ただよく見てみると、ピシッと居並ぶ建物の屋根は、軒並み貧相で、老朽化も進んでいる。
あちらこちらに白煙黒煙が上がっているのも見える。あるいは戦闘中なのかもしれない。
彼方には、おそらく政庁なのだろう、ひょろっと天へ伸びる、細いビルのような建物が霞みのなかに佇んでいた。
さながら錆が浮いているような、貧しく古ぼけた都市。
だいたい、そんな印象を受けた。
そもそもここいらは、エルフの森でも最古の土地で、エルフの文明の発祥地だという。
ただ、エルフの守護神である森ちゃんこと森の大精霊様は、早くから中央霊府の地下空間エリュシオンへ座所を移し、現在もそこに居座っている。
北霊府は、いまや時代に取り残された古い史跡にすぎず、都市としても衰退の一途を辿っているようだ。
「さ、ついてきてください」
言うなり、ルードは、さっと壁上から宙へ身を躍らせた。そういやこいつも、普通に空飛べるんだっけ。
俺もツァバトを抱えつつ、慌てて後に続く。
研究所の方角へ、ふわりと外壁を飛び降り、ルードとともに、地上へと到達。
もう、すぐそこに立派な石門があった。
周囲は鬱蒼たる木々が生い茂り、門前からは細い林道が曲がりくねって南の方角へと伸びている。
「ここです。なかなか立派なものでしょう」
ルードは石門の脇に立って、そこに掛かる看板を示してみせた。
「北霊府立・魔法生体化学研究所」
なる文字が、ででんと太字で大書きされていた。
魔法生体化学……。またなんとも、おどろおどろしい響きだ。
バイオ化学と魔法の融合といったところかね。




