832:アンデッドも死ぬときは死ぬ
アナスタシアへの詳しい説明は、ケーフィルとアクシードに任せることにした。
俺の事跡をわざわざ俺自身が語るというのも、なんかアホくさい話だ。幼女大精霊ことツァバトがここにいれば、放っておいても語り出すだろうが、そのためにいちいち呼び立てる気にはならん。
アナスタシアの容態もすっかり回復している以上、俺がここに留まる理由もない。
ついでに、アクシードには、サリスの騎士団入隊への口利きを頼んでおいた。
「……おお。サリスがそんなことを。もちろん歓迎しますぞ。いずれ父親の汚名を雪がんとの意志でしょうな。きっと良い騎士になりましょう」
アクシードとサリスは顔見知りらしい。アクシードはウメチカの武官トップ。
一方、闇落ちしたとはいえ、以前ブラストは騎士隊長の要職にあった。サリスはその娘ってことで、知っててもおかしくないか。
「勇者どの。近々、折を見て、貴殿への譲位を行いたいと考えておる。それに先立ち、なるべく近いうちに、正式な会談の場を持ちたいのだ。禅譲の式典の日取りやら、その後の権限委譲の具体的な手順やら、事前に決めておきたいことが山ほどあっての」
ふと王様が、そんなことを告げてきた。
譲位ねえ。以前はともかく、現在の情勢下で、正直ウメチカの王位なんぞ貰っても、飾りにもなりゃせんが。
だがくれるというなら、貰っておいてもいいか。
「三日後の正午。またここに顔を出そう」
俺は短く応えた。
正式な会談というくらいだから、ウメチカ側にも相応の準備時間が必要なはず。三日もあれば十分だろう。
「おお、承知した。では、また三日後に、お会いしましょうぞ」
ウメチカ王は、やけにウキウキした様子で、深々と一礼してみせた。俺に王位を譲るのが、そんなに嬉しいのかね。相変わらず変なジジイだ。
……なんか裏があったりしねえだろうな?
実はウメチカはとっくに財政破綻してて、その大赤字を俺に丸々押し付けようとしてる、とか……ありうる。
たとえそうでも、俺様個人の財力でどうとでもできるだろうが、一応、後でスーさんにウメチカの財務状況とか調べてもらうか。
そのスーさんは、すでに俺の背後につき従っている。
「城へ戻るぞ、スーさん」
「はい、陛下。それでは失礼して……」
スーさんは、ごく自然に、そっと俺の手を握って、そのまま肩にしなだれかかってきた。
そんな密着しなくても、転移は可能なんだがな。スーさんがそうしたいのなら、拒む理由もない。
「では、諸君。また会おう」
と告げて、スーさんを連れ、転移魔法を発動させた。
転移先は魔王城、俺の寝所。
もともと、ここで一睡するつもりだったんだが。
ついウメチカの現状が気になって、あっちへ転移したところ、次から次へと、おかしな方向に状況が転がり続けた。
まずは襲い掛かってきた幼馴染みを宥め、次に王宮でケーフィル、アクシードらと再会し、アナスタシアの危篤を知らされた。
ルーバック邸へ赴き、なぜか召喚されてきたワン子を追い返した。
ルザリクではサリスがなぜか激太り。これに外道式ダイエット法を施して無理やり痩せさせ、そのままルザリクから連れ出して母親と再会させた。
結果的に、アナスタシアの病と呪いを全快させ、ついでにウメチカの王位を譲られることとなって、ようやくこのベッドに戻った。
わずか一夜のうちに、これだけの出来事を経験する羽目になるとは。結局徹夜になってしまった。どころか、もうすっかり日も高くなっている。
「おっ、やっと戻ってきおったな」
転移直後、いきなり聞きなれた声が俺を迎えた。
見れば、なぜか俺のベッドの上に、黒髪オッドアイの幼女が、ちょこんと座っていた。かぼちゃパンツ一丁の半裸で。
「なんでやねん」
ついツッコミ入れてしまった。いうまでもなく知識の大精霊ツァバトだ。
「いやな、今度こそ、汝にじっくり可愛がってもらおうと、思い切って夜這いをかけてみたら、なぜか、もぬけの殻ではないか。それで、戻るまで待っておったのだ。まったく、我をこんなに焦らしおって……」
ツァバトは、ベッドシーツで胸元を隠しつつ、恥ずかしげにモジモジと呟いた。可愛い。
……いや確かに可愛いんだが、コイツにだけは欲情したら負けだと思っている。ここは自制、自制こそ肝要だ。
もちろん、ツァバトが本気で夜這いなんぞをかけてくるわけがない。おそらく重要な用事があるのだろう。
「何があった」
訊ねると、ツァバトは、ふと表情をあらためた。
「事は緊急を要する。まずは、実際にその目で見たがよかろう。いますぐ我とともに、あのオーバーロードの居室へ転移せよ」
オーバーロード……チーのことか。
チーの居室というのは、三階にある研究室のことだ。普段、チーはそこに起居しつつ、魔法道具の研究をしている。
どうも只ならぬ状況らしい。
「わかった」
と、俺とスーさんに半裸のツァバトを加えて、チーの研究室へ転移した。
研究室といっても、一階の大広間並の広さがあり、そこに雑然と資料棚やらが並んでいる。
床には金属や有機物の資材だの試料だのが、足の踏み場もないほど散らかり倒しているという、いかにもチーらしいといか、凄まじい場所である。
そこへ転移してみると、広い室内のど真ん中に、チーが仰向けに倒れていた。
「これは……どうなってるんだ」
俺は、その場にかがみこんで、チーの顔をのぞきこんだ。
ぴくりとも動かない。
「今朝がた、息を引き取りおった。まだ城内の誰も、気付いておらぬがな」
さらりと、ツァバトは告げた。
一瞬の沈黙。
「……は?」
と声をあげたのは、俺ではなくスーさんだった。
「この方は、リッチーですよ? アンデッドが息を引き取るとは、どういうことですか」
……俺の言いたいことを、スーさんが丸々代弁してくれた。
人間の高位魔術師が、自らに不死の術式をかけ、アンデッドと化した存在、それがリッチーだ。チーはそのリッチーの中でも最強といっていい個体。
それが息を引き取るというのは、どう考えてもおかしい。
しかも、チーとは昨日も顔をあわせているが、とくに変わった様子はなかった。
だが……ツァバトがそんな悪質な冗談を俺にかます理由もない。
とすれば、理由はわからないが、本当に死んだということなのだろう。
実際、いまチーは俺たちの前で倒れている。見た目は、新鮮な死体そのものであり、血の気は完全に失せている。
そして……これは、俺の蘇生魔法は通じない。もともと、アンデッドに勇者の蘇生魔法は効果がないのだ。
まだスーさんは信じられぬという顔をしているが、もはや動かしがたい事実として、チーの死を、まず受け入れねばならんだろう。
そのうえで。
「ツァバト。これは……俺の力で、どうにかできることなのか?」
あのツァバトが、わざわざ俺のベッドで、俺の帰りを待っていたくらいだ。ただ事実を告げることだけが目的ではあるまい。
むしろ、その対応策こそが本題だろう。
「無論だ。蘇生させる手段はある。汝にしかできぬことだがな」
ツァバトは、ぱっと両手を広げてみせた。半裸で。
「さあ、我を抱いて、すぐ転移するがよい」
「どこに転移を?」
「エルフの森……北霊府。その郊外にある研究所だ」
いきなり北霊府?
俺の転移魔法って、知ってる場所以外は転移できないんだが……いや、北霊府の一部については、以前、上空から観察した記憶がある。
ならば、行けるかもしれん。
しかし、なぜに北霊府。
「あそこの研究所には、昔、ルードが作り出した、特別な完全物質が保管されておる。それが必要なのだ」
ツァバトは、そう説明しつつ、ぴょんっと、俺の胸元にしがみついてきた。半裸で。
だから、密着しなくても転移はできるってのに。可愛いからいいか。
特別な完全物質……例の、賢者の石みたいなものか?
もちろん、チーは俺の大事な婚約者でもある。蘇生の可能性があるなら、手を尽くすのは当然のこと。
ウメチカの変事が片付いたと思ったら、また休む間もなく、駆けずり回ることになりそうだ。
なかなか、平穏無事とはいかんものだな。




