825:邪神召喚
屋敷ばかりかその周辺まで覆う、凄まじい瘴気。
その発生源は、メイヤー未亡人の屋敷の魔法陣。そこから噴き出る異界の瘴気だった……。
そりゃそうだよな。たかだか人間の女一人が、いかに俺に深い怨みや呪詛を含んでいるといえ、これほど猛烈な瘴気を自ら発するなどありえんし。
前後の事情とか、色々知りたいことはあるんだが。
まずは、腰のアエリアをすっと抜くや、魔法陣のそばでゴチャゴチャ呪文を唱えてる黒衣の女を。
問答無用で斬り殺した。さくっと、袈裟懸けに。
この世界におけるバッドステータス「呪い」状態は、術者が死ねば解除される。この女が術者であれば、この時点で、俺の母親……アナスタシアは、呪いから解放されたはずだ。
アエリアを鞘におさめつつ、エロヒムの権能を用いて、先ほど参照した母親のデータアドレスを再び呼び出してみる。
……案の定、例の「呪い」状態のフラグは消滅していた。
いま俺がさっくり斬り殺したこの女が、母親を呪った張本人ということだ。こいつがメイヤー未亡人かどうかは、まだわからん。蘇生させてみれば、すぐに判明するだろうが……。
どうもその前に、やるべきことがあるようで。
黒衣の女を斬っても、床に描かれた魔法陣は、まだ沈黙していない。
それどころか、いよいよ魔法陣全体が強く発光し、より強烈な、真っ黒い霧のような瘴気が、真上に噴出しはじめた。
「これは……間違いありません、生け贄を用いた召喚魔術です」
スーさんが声をあげた。
「私めが、かつて陛下をこの世へお呼びした、魔王召喚の儀……あれとよく似ております。細部には違いがございますが」
魔王召喚の儀。八百八体もの魔族を生け贄に捧げ、その魂魄をもって、魔族を統べる存在……魔王を、この世界に呼び寄せる秘儀だとか。過去、俺もそれで、スーさんにお呼ばれされてしまった。八十年近く前のことだ。
もっとも、いまここにある魔法陣は、俺がみたとこ、魔王を呼べるほどの強度はないようだが。
スーさんがいうには、ちょうどいま、俺が一人……黒衣の女を斬り殺したことで、その魂が生け贄として捧げられ、召喚の術式が成立してしまったらしい。
生け贄の数は少ないし、魔法陣の魔力もさほど強いものではないため、さすがに新たな魔王がやってきたりはしないだろうが……それでも、何かが。
何かが、いままさに呼び出され、ここに出現しようとしている――。
たとえ何者が来ようが、俺の敵じゃない……とは思うが、未知の存在だ。
さすがに、少しは警戒したほうがいいかもしれん。
「スーさん、俺の後ろに隠れていろ」
「仰せのままに」
俺は、スーさんを庇いつつ、再びアエリアの柄に手をかけ、魔法陣の状態を注視し続けた。
室内に噴き上がった黒霧が、次第に魔法陣の上にするすると集まり、収束し、形を成しつつある。
どうやら、人型のようだ。大きさも普通の人間サイズ……少し小柄な。
黒霧が、シュウシュウと音を立てて、現世の実体へと変換されてゆく。
幽霊とか精神体のたぐいではなく、生身の肉体を持った存在であるようだが……。
まだ薄ぼんやりとした霧に包まれていて、細部はわからんが、裸ではない。なにやら服を着ている。
上半身は白い半袖ブラウス風。襟には大きな紺のセーラーカラー。下半身は膝上までのちょいミニな紺色のスカート。
セーラー服だこれ。
小柄で、胸はほぼなく、腰のくびれもあまりない。寸胴スタイル。
このセーラー服。この体型。どっかで見たぞ……。
「はいはーい、ただいまこちらに召喚されちゃいましたぁ、邪神オールド・ワン子でぇーっす! ワン子とお呼びくださーい! チョベリバっ!」
紛れも無い……あのワン子が。
魔法陣の上に実体化していた。例の魔王学園の制服姿で。
最近ちょっと見かけないと思ったら、何やってんだコイツ……。だからチョベリバはやめなさい。
召喚されたワン子は、ものすごいドヤ顔で、腕など組んで、しばしこちらを睥睨していた。むっふー、と鼻息も荒く。
やがて、なにか様子がおかしい、とようやく気付いたらしい。
「ん? んんん? あれれぇー?」
妙な声をあげて、俺を凝視するワン子。
「なんで、パイセンがこんなとこにいるんですー?」
「そりゃこっちの台詞だよ!」
全力でツッコミ入れる俺様。
すでに魔法陣は役目を終えて、発光はおさまり、沈黙している。異界との接続が切れたか、瘴気の噴出も止まったようだ。
「あー、いや……なんか、呼ばれたような気がしたんですよねえ。頭の中にメッセージが流れ込んできまして。つい今しがたのことですがー」
「……メッセージ?」
「そーなんですよ。邪悪な名状しがたい何か急募、みたいな。条件も提示されてまして、住み込み三食付、一日8時間労働、残業ナシ、完全週休三日、月給手取り30万以上、社保完備、昇給アリ、賞与年二回。なかなかの条件でしょ? んで、面接ぐらい受けてみてもいいかなーって、召喚に応じたわけでして」
なんや、その好条件すぎて、かえって胡散くさい求人募集。
俺の横で、しばしスーさんが、しげしげ魔法陣を眺めていたが……。
「ふむふむ。確かに、そういう条件が、この術式に織り込まれていますね」
と告げた。
え、邪神って、そんな条件で召喚できちゃうもんなの? 確かに条件通りなら、ホワイトっぽい環境ではあるけど。
問題は業務内容だな。
「で、召喚者の目的はなんだ。オマエに何をさせようとしてたんだ?」
と訊くと、ワン子は、あっけらかんと答えた。
「え? いや、その点は、なんかハッキリとは明記されてませんでしたね」
あー……それはアカン。絶対、詐欺求人だコレ。騙されたなワン子。




