822:見えざる瘴気
王宮から外へ出ることになった。
とはいえ、そう大人数をぞろぞろ連れ歩いても仕方ない。
その東地区、ブラストの遺族が住むという邸宅の場所を知るケーフィルを案内役とし、ついでにスーさんにもついて来てもらうことにした。あとの連中は病室にいてもらう。
スーさんは、俺たちが病室にいる間に、着ぐるみを装着し、例の黒髪美女に変身していた。
「こんなこともあろうかと、あらかじめ着替えておきました」
ちょいドヤ顔で微笑むスーさん。相変わらず可愛らしい。いっそ、どうにかして本物の肉体を再生できんものかね。チーがそのへんも研究中らしいが……。
普段、王宮内を骸骨姿で平然と闊歩しているスーさんとはいえ、さすがに王宮外でそれはまずい、という判断のようだ。まだ夜中だが、一応、人目は気にしないとな。勇者が骸骨を連れ歩いてるとか、街中に噂が立つと面倒だし。
「では、ちょっと行ってくるぞ」
と告げて、まずは瞬間移動を発動させる。ケーフィル、スーさんのみを連れて、王宮の東門へと、瞬時に移動した。
「ほ、ほんとに、転移した……! スーどのからお話は聞いていたが、こうもあっさりと――」
初めての瞬間移動を体験し、ケーフィルはずいぶん大仰に驚いている。
「こっ、これは、魔法なのですか?」
急いで周囲を見回しながら、興奮気味に訊ねてくるケーフィル。いいトシこいたちょびヒゲのおっさんが、そんな目をキラキラさせてるのもどうかと思うが……。
ケーフィルの俺への態度も、以前とはだいぶ異なり、慇懃になっている。中身が昔から知っているアークではなく、魔王の転生体であるという認識が、そういう態度を取らせるのだろうな。俺としては、どっちでもいい話だが。
「……そうだ。魔族の固有能力ではなく、術式を組み上げて発動させる、れっきとした魔法だよ。一度行ったことのある場所でないと転移できないのが欠点だな。レンドルという、エルフの魔術師に教わったものだ」
「レンドルっ!? あの伝説の!」
俺の説明に、もうケーフィル大興奮。こいつも一応、魔術師だもんなあ。やっぱレンドルの名は知っていたか。
「説明は後でしてやる」
俺がレンドルから瞬間移動の魔法を教わったくだりは、まだスーさんにも詳細を語っていない。というか、あまりおおっぴらに自慢できる話でもない。
リネスへの授業のついでとして、レンドルに黒板がわりに使われ、結果、全ての術式を肉体に直接刻みつけられる羽目になった、なんてな……。あいつは特になにも言及しながったが、おそらく意図的にやってたことだろう。
ともあれ、東門には、あらかじめ大臣クラス専用の高級馬車が繋がれている。ここからは、それに乗って移動することに。
ケーフィル自ら御者をつとめるというので、俺とスーさんは客車に乗り込んだ。
「では、急いで向かいます。少々荒っぽくなりますが、ご容赦を」
と告げて、ケーフィルが手綱を打つ。
二頭立ての馬車が、ぐわらぐわらと走り出した。
夜もだいぶ更けたが、まだまだ夜明けまでには間がある。
そもそもウメチカは完全な地下都市で、昼夜無関係に魔法照明が薄暗く市街を照らしているので、部外者はそのへんの感覚が狂いがちだ。よくこんなとこに十六年も住めたもんだな俺は。
その暗鬱な街路を、きらびやかな馬車が、慌ただしく駆け抜けてゆく。
さすが高級馬車らしく車体の下部にはバンパーが付いており、ほとんどの衝撃は吸収され緩和されている……はずなのだが。
「なんでこんなに揺れるんだ」
右へ左へ、がたがた揺れる座席で、俺は少々憮然と呟いていた。
「このあたりの街路は、長いこと整備されていませんので……舗装もぼろぼろになってまして」
御者台のケーフィルが説明した。
そういや、俺もウメチカには長いこと住んでたが、この東地区ってのは、一度も足を向けたことがない。
「どういう場所なんだ。東地区というのは」
「そうですね――」
ケーフィルが語るには。
ウメチカの東側というのは、スラムというほどではないが、貧乏庶民のひしめくダウンタウンのようなものだという。治安もあまりよろしくなく、街路や設備類の整備も遅れがち……というか、ほぼ放置されているとか。
「ここの住民は自前の互助団体をつくって、生活を支えあっているのです。一方で、行政の介入を極度に嫌っておりまして。といって、自分たちで施設の整備などをやるわけでもないので、結局、荒れ放題という状況なのです。王宮も、もう見放しかけています」
ああ……なんかこう、独自の主張の強い組織団体とかが居座ってるわけね。行政のほうでも、あまり触れたくない雰囲気があるのかもしれん。
で、最近になって、そんなややこしい区域に、ブラスト・ルーバックの遺族が引っ越してきた。
ブラスト本人は罪人でも、とくに家族にまで累が及んだわけではない。しかし人の口に戸は立てられぬというか……ともあれ、もともと住んでいた場所にはいたたまれず、世の毀誉褒貶をおそれて、こんな場所に逃げ込んだと。
窓の外を眺めると、夜中だというのに、やけに人影が目に付く。街路の脇にしゃがみこんで、物珍しげにこちらを見ている集団などもある。ありゃ、たぶん、ホームレスだな……。
そうやって、ゴミや小石が散乱する街路をガタゴト進むうち――。
「……ほう。これは」
俺の隣りに寄り添っていたスーさんが、ふと顔をあげた。
「陛下。感じませぬか」
「ああ。スーさんも感じたか」
馬車が目指す先に、そびえる古屋敷。
その周囲には、おそろしく濃密な……まるで見えざる粘液の壁でもあるような、強烈な瘴気がたちこめていた。
おぞましくも禍々しき「呪い」の瘴気が。




