821:呪われし者
ひとことに「呪い」といっても、いわゆる怨恨の念を込めて他者の不幸不運を祈る……という行為だけを指すわけではない。「おまじない」であるから、その逆に、相手の幸せを祈念するような祝福も「呪い」の一種に含まれる。
ようは、一念をもって、対象、もしくはその周囲に、何らかの影響を及ぼす行為、ということになるだろう。
俺がもといた世界では、ホラーかファンタジーのネタでしかなく、実際に「おまじない」の影響が物理現象として観測された例などはない。いくら頑張って丑の刻に藁人形に釘を打っても、それで死ぬ奴などいないわけだ。
しかし、こちらの世界では、「呪い」による影響は、実際に発現してしまう。
たとえば魔族にとって、呪いは石化や毒と並ぶ特殊攻撃の一種である。「凶眼」や「呪詛」などの固有能力によって発動し、対象に様々なバッドステータスをもたらす。
ちょうど今、俺の目の前で横たわっている母親のように、体力や身体機能を極度に低下させ、衰弱させてしまうケースが多い。
凶眼や呪詛は、スーさんをはじめ、アンデッド系の高位魔族ならば、大概持っている、ありふれた能力だ。
人間やエルフにも、魔法とは異なる「呪術」の体系が存在する。魔族のそれと違って、かなり複雑な儀式や手続きを必要とするらしいが、さすがに俺もその詳細まではわからん。やっぱり藁人形に釘を打つんだろうか。
固有能力にせよ儀式にせよ、呪いを成功させるには様々な条件があり、相手の抵抗力や運が術者のそれを上回っていると失敗する。
しかし、ひとたび成功してしまえば、呪いをかけた術者当人が術を解く、もしくは、その術者が死ぬ、そのどちらかの条件が満たされねば、解呪はできないとされている。石化や麻痺などより一段、厄介かつ高度な特殊攻撃といえよう。
さらに強力な「呪殺」という即死技もあるが、これは成功率が極度に低いうえ、外すと自分に返って来るという危険な攻撃であるため、魔族でも滅多に用いる奴はいないようだ。
……で。
いま、あらためて大精霊エロヒムの権能を用い、母親の身体をサーチしてみると。
病気ではなく、本当に呪われた状態になっていた。身体状態を示すアドレスに、状態異常のひとつ「呪い」の該当フラグが立っている。
これは厄介な状態だ。
たんなる病気や怪我なら、俺の治癒魔法ならばだいたい一発で完治させられる。なんならいっぺん刺し殺してから、蘇生させてもいい。実際それで回復させた例もけっこうあるしな。
しかし「呪い」は、対象が死んでも消えない。先述した方法で解呪しない限り、肉体、霊魂ともに完全に消滅するまで、該当アドレスのフラグはずっと立ったままだ。
俺が持つ「エロヒムの権能」は、万物のデータアドレスに介入して書き換えを行ったり、因果に介入して「なかったこと」にしたりできる。反則級のチート能力だが、「生物」の関連アドレスはプロテクト領域に収容されており、俺の権能では、参照ぐらいはできるが介入はできないようになっている。
たとえば万物のデータを「ゼロ」に書き換える大精霊ルードの権能も、生物には適用できない。そういう制約が大精霊にはある。
母親のデータアドレスに立った「呪い状態」フラグは、書き換えが不可能な場所にあって、手出しできないってことだ。
ガチで厄介な状況。いったいどこの何者の仕業か。
……それを探るもいいが、今は目前の事態に対処すべきだろう。
「おまえたち、さがっていろ」
と、俺は女医らを左右に退がらせ、右手を前に差し出し、でっかい白光の球をベッド上に作り出した。治癒魔法だ。
その光球で、母親の全身をすっぽり覆い尽くす――。
光がおさまると、母親の頬に血色がさし、生気が戻った。
おおっ、と、医者や王様らが驚きと喜びの声をあげる。
「これで、しばらくは保つだろう」
俺は告げた。
これは一時的な処置だ。意識までは戻らないし、放っておけば、数日を待たずに、また危篤状態に陥るはず。
「完治は無理なのかね?」
王様が尋ねてきた。
「さっき、そいつらが言ったように、病じゃない。何者かの呪いを受けている状態だ。それを解かない限り、治ることはない」
と、俺は答えた。
「呪い……?」
魔術師ケーフィルが、なにやら驚いたような顔を向けてくる。
「思い当たることが?」
俺が訊くと。
「……可能性があるとすれば、あの親子だが」
ケーフィルは呟いた。
「親子……? 心当たりがあるのか、ケーフィル」
アクシードが顔を向けると、ケーフィルは、微妙な顔つきで、呻くように応えた。
「確証はない。ただ、このウメチカで、勇者どのやアナスタシアどのに明確な怨嗟を持つ者といえば、限られてくる」
「それは?」
「……ブラスト・ルーバックの遺族だ」
おや。久しぶりに聞いたな、その名前。
ブラスト・ルーバックとは、かつてウメチカの騎士団で部隊長を務めていた騎士。剣の腕前は超一流で、ウメチカ王から王国最強騎士の称号と準男爵の爵位を賜っていた。
清廉かつ品行方正な騎士として知られていたが、あるとき、地下通路を調査中、魔剣ウロヤカーバと出会い、その闇の魔力に魅せられて正気を失い、盗賊となって地下通路を荒らしまわる大悪党と化した……という。
実際には魔剣がどうこう以前から、普通に騎士団の立場と権力を悪用して、こっそりウメチカの婦女子をたぶらかしまくってた悪人らしいがな。
結局、ブラストは俺様に軽く撫でられて即死し、持っていた魔剣は俺様が接収した。伝説の銘剣ミストルティンに、これまた曰く付きの高位魔族アエリアという最強クラスの悪霊を封入した、とんでもない武器だった。いまも俺の腰にぶら下がってるけどな。
(えっへん。アエリア、すごい)
そして脳内に響く美女の声……。確かにすごい奴ではある。最近出番ないけど。
(早く肉体よこせー。そしたらハニーとあんなこと、こんなこと……)
それはまだ研究中だ。しばらく待て。というか寝てろ。
(はーい。待ってるよー)
……とこんな具合に、魔剣アエリアは俺のパートナーとなり、一方ブラストの首は「虹の組合」を経由してウメチカへ送られ、あらためて晒し首となったようだ。
そのブラストの遺族とは、まだ若い妻と、娘。
娘のほうとは面識がある。色々あって、いまもルザリクに留置中のはずだ……。
となれば残るは若妻ということになる。
その若妻にしてみれば、俺は夫の仇ってわけで、そりゃ恨まれても不思議はないな。
だが勇者たる俺様には呪いなど通じない。で、家族を狙って呪いをかけた……と考えれば一応、筋は通る。
もちろん、まだそうと決まったわけではない。きっちり確認する必要があるな。
「ブラストの遺族は、東地区の邸宅に住んでいるはずです」
ケーフィルが告げた。
では早速、その邸宅とやらへ向かうとしようか。




