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078:異邦人は多くを語らない

 黒狼部隊の見送りを済ませると、俺とミレドアは店の奥へ戻った。曽祖母の日記とやらを見せてもらうためだ。


「その前に、お風呂いかがですかー? すぐ沸かせますよー」


 そりゃ有難い。なんせここ何日か、水浴びだけで済ませてたからな。


「じゃ、頼む」

「はいっ! さっそく沸かしますね! あ、そうだ。勇者さま、当然、今夜は泊まっていってくださいますよねー?」

「……ああ」


 何が当然なのかよくわからんが、ミレドアがそれでいいなら、特に断る理由はないな。なんか忘れてるような気もするが。いや、気のせいだろう。


「でしたら、お布団も準備しなきゃですねー! その前にお風呂お風呂ー!」


 やけに張り切ってるミレドアに案内されて、風呂場へ。

 アエリアはいつの間にか、また寝てしまったようだ。自分の出番は終わったってことかな。


 ──ハニー、ソコ、ラメェェェー。


 何かと思えば、寝言かよ。どういう夢見てんだこいつは。


 浴室はさほど広くはない。たちこめる湯気の向こうで俺を待ちうけていたのは、なんと五右衛門風呂。鉄釜に満たされた湯、その真ん中に浮かぶ木製の丸い板。この板を踏んづけて釜底に押し込みながら入浴する。なにせ鉄釜の直下から薪を焚いて湯を沸かすので、この板がないと足を火傷してしまう。エルフの一般家庭はどこもこんな風呂なんだろうか。

 狭い浴室で身体を洗い、なんとか入浴を済ませて出てくると、浴室の外に置いておいた俺の服がない。かわりに、丁寧に折りたたまれた浴衣と帯が、棚に載っかっていた。やれやれ、余計なことを。


 仕方ないので浴衣を着込んで客間に戻ると、ミレドアが笑顔で声をかけてきた。


「あはっ、似合ってますねー。勇者さまの服は、さっき洗って干しておきましたからぁ、朝には乾いてると思いますー」


 むう。下着も洗ったのか。


「……そうか。それは済まないな。いい湯だったぞ」

「いえいえー、お粗末さまでー。あ、そうだ、日記はこれですよー」


 小さなちゃぶ台の上に、いかにも古ぼけた茶色い表紙の書物。

 ミレドアは急須から茶を注いで、俺に差し出してきた。


「ささ、どうぞー」

「お、すまんな」

「今からわたしも、お風呂入ってきますからー。どうぞ、くつろいでくださいねー」


 ミレドアはそう言って、客間から立ち去っていった。ずいぶん機嫌がいいな。彼女が何を考えてるかくらい、およそ見当はつくが、今はちょっとそれどころじゃない。貴重な歴史資料が目の前にあるのだから。

 さっそく表紙をめくり、じっくり読みはじめる。最初の日付けは、今からちょうど七百五十年前の春頃だ。当時、ミレドアの曽祖母は六十二歳──人間でいえば十五歳くらいか。


 日記といいながら、日付けはかなり飛び飛びで、一ヶ月くらい毎日続いたと思ったら、ページをめくると半年後だったり三年後だったりする。当初は家族や友人との些細な出来事や、その日の食事などについて簡単に記しているだけで、たいして興味をそそられる内容でもなかったが、五十数年経過したあたりから、例の、旅の魔術師とやらが日記に登場するようになった。


 ──大勢の魔術師さんが集落に来て、林のほうへ入っていった。理由は、わからない。なんだか怖そうな人たちだった。


 これが最初の記述だ。グレイセスたちの証言によれば、かつて、あの階段の入口付近はただの松林だったという。その魔術師たちが入っていった林ってのがそれだろう。エナーリアを封印するため、林のなかにある地下遺跡への階段を目指したと。

 日記の記述を読むと、ミレドアの曽祖母は、そもそも林の中に地下へ通じる階段があることを知らなかったようだ。日記の最初のほうに、女子供が林に近付くことを大人たちから禁じられていたという記述がある。そのせいだろうが、少なくとも日記の中には、遺跡や階段について触れている箇所は見当たらない。


 そして、この記述から一週間後。


 ──林から戻ってきたのは、ひとりだけだった。ひどい怪我をしてたので、わたしのお家で介抱してあげることになった。


 エナーリアの話とも一致する部分だ。エナーリアの反撃から生き残り、踏みとどまって封神玉を作動させた魔術師。その後、たった一人、満身創痍で地上に戻り、ミレドアの曽祖母の家で治療を受けることになったってわけか。


 ──レンドルさんから、いろんなお話を聞いた。ずっとあちこち旅をしてること。たまたま、中央のお役人さんに雇われて、他の魔術師さんたちと一緒にここに来たこと。でも怪我した理由は教えてくれなかった。ほかの魔術師さんたちがどうなったのか、それも答えてくれなかった。ちょっと、つらそうだった。


 レンドルってのは、その魔術師の名前だな。どこの組織にも所属していないフリーランスの魔術師で、旅の途中に現地で雇われた──ということらしい。むろん、あくまで当人がそう言ったというだけで、事実かどうかはわからんが。

 そこからしばらくは、お決まりの展開だ。魔術師の介抱をしている間に、そういう仲になっていく。このへんはひたすらノロケ話ばっかりで、正視に堪えん。問題はその後だ。


 ──怖い噂が流れている。夜中に、いくつかの黒い影が集落を走り回って、スーッと林の中に入っていったって。レンドルは、そんなことあるわけない、って言ってたけど。


 こりゃ間違いなくグレイセスたちのことだ。タイミング的に、他には考えられん。住民に見られてたのか、間抜けどもめ。


 ──レンドルが、林の木を全部伐採する、と言いだした。変な噂が流れて、みんなあの林を気味悪がっている。レンドルの提案にみんな賛成した。レンドルは、そこに新しい家を建てて、一緒に暮らそうって言ってくれた。

 ──レンドルは物凄い魔法を使って、ひとりで林の木を全部伐り倒した。それから、たった一晩で大きな穴を掘って、土台まで作ってしまった。わたしも、木や土を運んだり、釘を打ったり、一生懸命お手伝いしたけど、ほとんどの作業は、レンドルがやってくれた。


 なるほど。レンドルとやらが、ここに家を建てた理由がわかった。黒い影──グレイセスたちが階段に入ったのを察して、さらに後続の魔族が侵入してくる可能性を考慮したんだろう。先手を打って、階段出入口を封鎖したわけだ。ただ単純に埋めて隠しても、掘り返されてしまうかもしれない。それよりは頑丈な建物を乗っけて、番人でも置いておくほうが確実と判断したんだろうな。ミレドアの一族は、レンドルにその番人の役目を押し付けられていたわけだ。結果的には、その後、エルフの森全体が魔族よけの巨大結界で覆われ、レンドルの措置もあまり意味のないものになってしまったようだが。

 そういえば、あの巨大結界は、いつ頃、誰が、どうやってこしらえたものなんだろう。たぶん長老絡みなんだろうが。どっちにせよ、あれはいずれ俺の手で解除せねばならん。いっぺん詳細を調べておく必要がありそうだ。


 ──いま、この日記は、新しい家の新しいテーブルで書いている。これから、わたしとレンドルの新しい暮らしが始まる。集落のみんなは驚いてたけど、好きな人と一緒に暮らすのって、すごく楽しい。この幸せが、いつまでも続きますように。


 まさに幸せの絶頂期だな。周囲の反応を見るに、エルフの男女がひとつ屋根の下で暮らすってのは、当時でも珍しいことだったんだろう。なんせガチのアレな連中ばっかだし。


「おまたせしましたー、勇者さまー!」


 ミレドアが元気よく戻ってきた。白い浴衣に着替えている。火照った肌、まだ乾ききらない濡れた髪。ぴこぴこ動く長耳もピンク色に染まっている。なんとも艶やかな湯あがり姿だ。


「どこまで読まれましたー?」

「家を建てて、住みはじめるところまでだな」

「わ、一番いいとこですよー。どうします? 今晩中に最後まで読んじゃいますか?」

「……いや、今日はここまでだ」


 俺は日記を閉じた。どうせこの後は、別れのシーンが待っているはず。今はまだ、なんとなく、そこまで読む気になれない。


 俺は立ち上がって、問答無用でミレドアの手を引き、抱き寄せた。


「えっ……ゆ、勇者さま?」


 ちょっと驚いたように声をあげるミレドア。その耳元に、俺は優しく囁いた。


「今だけは……幸せな夢を見せてやる」


 俺の腕のなか、ミレドアは、しばし無言で俺の顔を見つめた。

 次第に、その瞳が潤んでゆく。


「……はい」


 ミレドアは、小さくうなずいて、そっと俺の胸へ頬を寄せてきた。



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