077:人狼、去る
帰りは往路よりずっと早く地上まで辿りつけた。
俺はミレドアを抱えて、アエリアの魔力で空中浮遊しながら進んだが、グレイセスたち黒狼部隊も、それに劣らぬスピードで、走ってついてきたのだ。途中の罠もしっかり回避しながら。さすが、魔族の隠密をつとめてきた連中だけのことはある。
道すがら、少しばかり気になっていることがあったので、グレイセスに訊ねてみた。
「……ああ、ピューラですか」
四つ足で軽快に通路を駆けながら、グレイセスは、ちょっと苦笑いを浮かべて応えた。
一匹だけ、一度も人語を話さず、くぅんくぅんとしか言ってない奴がいる。耳にクトニアの手紙を入れていて、たしかにグレイセスはピューラと呼んでいた。他の連中より少し体毛が長く、毛色も全体に黄色がかっている。
「あいつだけ、種類が違うんでさ。私や他の部下どもは黒狼種ってんですが、あいつは金狼種っていう、珍しい種類らしくて」
「金狼種……?」
「へい。どっちかってーと、頭ぁあんまり良くないんですが、身のこなしは私ら以上で。それに、人語が話せないかわりに、人狼どうしでは念話で意思が通じるんですよ」
ほう。それは面白い。ひとくちに人狼といっても色々あるんだな。
「くぅーん、くぅん、くぅぅん」
そのピューラが、俺に声をかけてきた。何言ってるやらさっぱりわからん。
グレイセスが翻訳してくる。
「ピューラのやつ、そこの……アエリア様と、なにか話したがってるようですが……」
「ん? ピューラとやらは、アエリアのことを知ってるのか」
「へえ。私ら、アエリア様のことはよく存じております。直接お会いしたことはありませんが」
「そうか。だが今はちょっとな。地上に戻ってから、話をさせてやろう」
俺がいうと、ピューラは「きゅぅぅん」と鳴きながら、こくこくうなずいた。お、なんか可愛い。
そうこうやってる間に、通路の始点まで戻ってきた。俺は床に着地し、そっとミレドアをおろした。
「はぁー、やーっと帰ってこられましたねー。いやー疲れましたよぉー」
安堵の溜息をつくミレドア。いや、おまえは全然歩いてないだろうが。
ミレドアは、階段の脇に置いておいたカンテラを拾いあげて、魔力球の明かりを灯した。そのまま、ミレドアを先頭に、全員ぞろぞろと連れ立って暗い階段をのぼり、ミレドアの店の地下室へ辿りつく。
グレイセスたちは、一様に怪訝な顔つきで、地下室内部をきょときょと見回した。
「どうした」
尋ねると、グレイセスの部下の一匹が応えた。
「いえ、ここいらって、ウチらが来たときは、なーんもなかったはずなんスけど……。いつの間に、こんな建物が」
聞けば──黒狼部隊が初めてダスクに潜入した当時、この地下階段の周辺はただの松林で、建物も何もなく、階段自体も、直接地面にぽっかりと口を開けており、誰でも普通に出入りできた──という。
「エナーリアから聞いただろう。おまえたちがここに来てから、七百年も経ってるんだ。色々変わってても不思議はないさ」
「そりゃそうですね……でもなんか、まだイマイチ実感湧きませんで」
横からミレドアが言った。
「このお家、ひいばあちゃんたちが建てたものらしいんですよー。日記に書いてありましたけど、旅の魔術師さんと二人で、魔法で土を掘ったり、木を伐ったりしてー」
それはまた器用な。エルフってのは、家を建てるのにもそんな魔法を使うのか。しかし、わざわざ階段の上に家を建てたってのは、どういう意図があったのか。なんとなく推測はつくが、いずれにせよ、あとでその日記を読ませてもらおう。
地下室からさらに階段を上って、店の廊下へ。窓の外はもう真っ暗だった。結局、日が暮れちまったか。少々時間かけすぎたな。ルミエルはちゃんと留守番してるだろうか。
「みなさん、お夕食にしませんかー?」
ミレドアが笑顔で提案してくる。
「お。ミレドア、料理できるのか?」
「あったりまえですよー。こう見えてもわたし、ダスク創作料理コンテスト三年連続十七位の記録を持ってるんですからー」
それ、まさか出場者が十七人しかいなかった、とかいうオチじゃないだろうな。
「……あのー、私らも、よろしいんで?」
グレイセスが尋ねると、ミレドアは当然のようにうなずいた。
「もっちろんですよぉー。おいしいおイモさん、たっくさん食べてってくださいねー!」
なんか今日はイモばっかりだな。どんだけイモ好きだよミレドア。
全員、ミレドアの案内で奥の客間に通され、そこで食事ということに。ここも畳の部屋だ。十畳くらいかな。
大きな卓に、どんと盛られるふかしイモの山。どこが創作料理だ。それでもグレイセスたちは、もう心底感激したように、旨い旨いとイモを頬張っている。魔族は、強いて食事をとらなくても餓死とかはしないし、最低限肉体は維持できるんだが、やはり食わないと元気が出ないからな。ただ、狼って肉食じゃなかったっけ。イモなんか食わせて大丈夫だろうか。人狼だからいいのかな。
グレイセスたちが七百年ぶりの食事で盛り上がっている間、俺はイモをかじりつつ、ダスク周辺の地図を広げて、黒狼部隊の駐屯場所について、あたりをつけていた。地図はミレドアに頼んで持ってきてもらったものだ。
「なるべく街道からは離れていたほうがいいな。漁場からも、ある程度は距離をとって……このへんかな。ミレドア、どうだ?」
「えーとぉ、そこらへんだと、漁師さんたちの船がけっこう通りますよー。もう少し……あ、このへんとか、どうですかー?」
しばらく二人で地図を突っついて、ああでもないこうでもないと話し合う。黒狼部隊の駐屯場所は、エナーリアとの連絡に適した地形でなければならない。すでにエナーリアとの連絡方法は取り決めていて、湖岸に目印の旗を立て、エナーリアにそれを見つけてもらう手筈になっている。ただ、エナーリアの姿を付近の漁民に目撃されるのは、あまり好ましくないので、連絡場所は慎重に選ばなければならない。今頃、エナーリアは、遺跡の弁を開いて、久々に祭壇の間から湖底へ出ているはずだ。
結局、ダスク北東の湖岸に掘っ立て小屋をつくらせて駐屯させる、ということで話がまとまった。
そのかたわらで、例のピューラが、アエリアに触れて、なにやらきゅうんきゅうんと鳴きながら会話していた。なんとも楽しそうな様子だったが、アエリアは内容を教えてくれなかった。グレイセスによれば、ピューラはメスだそうだ。黒狼部隊の紅一点てとこかね。エナーリアといいピューラといいアエリアといい、女どうし、なにをコソコソ話してたのやら。少しは気になるが、無理に聞き出すのも不粋ってもんだし。
やがてすべての準備を終え、グレイセスたちはさっそく指定の場所へ向かうことになった。俺とミレドアも店頭まで見送りに出た。
「お泊りしていけばいいのに……みなさん、お疲れじゃないですかー?」
ミレドアは引き留めるつもりだったようだが、グレイセスは笑って首を振った。
「いえいえ、姐さん。ずいぶんお世話になっちまいましたし、さすがに、そこまでご迷惑はかけられませんや」
グレイセスたちは、いつの間にやら、ミレドアを「姐さん」とか呼んで、すっかり慕っている様子。ま、こいつらにとっては恩人だしな。そのうえメシまで食わせてもらったとあっては、粗略な扱いはできんだろう。ミレドアのほうでも、人狼たちを気に入ったようだ。食事中も、ピューラの頭をもふもふ撫でたりしてたし。
「それにまあ、この闇夜なら、人目につかず動けますんで。私ら夜行性ですし」
「そうですかー……」
ちょっとションボリうなだれるミレドア。それを横目に、俺はあらためてグレイセスたちに告げた。
「いいか、エナーリアとの連絡を欠かすな。いずれ、こちらから、おまえたちのところへ伝令を出す。それまで、付近の情勢に目を光らせておけ。特に、徒党を組んで動いている湖賊や野盗のたぐいについて、規模や行動範囲を調べ、資料としてまとめておけ。わかったな」
「はっ!」
グレイセスたちは一斉に頭を垂れた。
少し前に、楽士のルードから、霊府の統制が及ばない地域で好き勝手に活動している集団や勢力がある、という話を聞いている。賊ばかりではない、というが、こういう無秩序な集団には、さまざまな活用方法がある。グレイセスたちには、後々のため、それらの情報を可能な限り収集してもらうつもりだ。
「それでは、御免ッ!」
グレイセスたちは、店を出ると、足音もたてず、ささっと夜の暗がりに溶け込むように駆け去っていった。
さて、後は……そうだ。
例の日記とやらを、読ませてもらわないと。




