766:幻想竜女王
上空では月をバックに、二頭のドラゴンのシルエットが追いつ追われつ飛び回っている。
「ういやつ、ういやつ、照れるでない! おとなしく妾に子種を注ぐがよい!」
マルティナの声は、俺たちにもハッキリわかる人語。声質は人間の老婆そのものという印象で、おせじにも可愛いものではない。
いっぽう追われる側の若いヴリトラは、本気で恐怖を感じているようで、時折ピキィィー! とかピギャー! とか悲痛な叫びを発し喚きながら、それはもう必死に逃げ回っている。
ちょいとステータスを参照してみよう。
new!
(レジェンドSSR)幻想始源滅殺竜神マルティナ
職業:幻想竜女王
種族:竜神(862・雌)
戦闘力:60000
二身合体:可
備考:幻想竜女王マルティナの竜形態。普段は人間の姿に変身しているが、激しい怒りの感情などによりリミッターが外れたとき、真の竜神として、物理世界に顕現する。なお発情期に入ると繁殖準備のため当人の意思によらずリミッターが外れ、いつの間にか本来の外見に戻っている例もしばしばある。
なんだよレジェンドSSRって。季節限定よりさらに上のカテゴリが存在するのか。
あとnew!って、ようするに最新のガチャキャラってことか……。容赦ねえなこのソシャゲ。
備考欄から察するに、今のマルティナは発情期で暴走状態になってるようだ。
「うわー……どっちも速いねえ。あ、もうちょっとで追いつきそう……わ、いまの惜しかった」
リネスは、素直に二頭の追いかけっこを楽しそうに見物している。どっちかというとマルティナのほうを応援してるようだ。
「マルティナさん、ああなると、誰にも止められないんですよ」
と、レールが呆れ顔で呟いた。
その横から、ちび妖精ブランが「あたしたちじゃどうしようもないわね」と語を継いだ。
「彼女は、幻想竜っていう種族をまとめる女神でね。普段は理知的で穏やかなんだけど、繁殖期が来ると、ああなっちゃうのよね。理性のリミッターがぶっ飛んで、戦闘力も異常に上がって、この船のメンバー総がかりでもかなわないほど強くなっちゃうのよ」
そりゃそうだろうな。ボルガードでさえ戦闘力は二万ほどしかない。マルティナの竜形態ってのは、ソシャゲの一キャラクターというよりレイドボスに近い状態なんじゃなかろうか。
そこへ新たに、翼の羽ばたく音が響いて、大きな影が低空を滑るように、こちらへ飛んできた。
(おっ、アニキ様、ここにいたんだ!)
真紅のヴリトラ、すなわちアズサだ。少々慌しい様子で念話を飛ばして来る。
用向きは聞くまでもないがな。舎弟の片割れが、わけもわからず変なババアに追われてるんだから。そりゃ慌てもするだろう。
(うへぇ、こりゃまた、すっげーデカい船……船だよな、これ?)
アズサは俺たちのそばに着地しつつ、ブランシーカーを見上げて感嘆の念をあげた。
いっぽう、レールやアロアは一瞬、アズサの凶悪きわまるシルエットに驚き、つい身構えかけたが、リネスが横から「だいじょーぶ、ボクたちの仲間だよ! 見ためはすっごく怖いけど、頼りになるおねえさんだよ!」と、笑って一同を宥めていた。
ちび妖精は……と見れば、アズサの眼光によほど驚いたのか、泡噴いて、レールの肩の上でひっくり返っていた。器用な気絶の仕方をするやつだ。そんなに怖いかアズサの顔。怖いよな。やっぱ。
俺は、あらためてアズサのほうへ向き直った。
「船については後で説明してやるよ。ところで、もう一匹のほうはどうした?」
(ああ、隅っこの植え込みの中に隠れて、震えてやがるぜ。アタシにゃよくわかんねえけど、あのいきなり出てきたヤツ、あいつらの基準では、とんでもねーブサイクババアらしくてな。顔見ただけでショックで死にかねないぐらい醜いんだとさ)
はあ。ドラゴンの世界にも、そんな美醜の感覚があるわけか。俺にはさっぱりわからんが……。むしろアズサの顔のほうがよっぽど怖いぐらいだ。
もちろんそれは人類や魔族の一般的感覚であって、ドラゴン同士にはまた別の基準があるってことだろうが。
(アニキ様、どうする? 殴っていいんなら、アタシが出てってぶん殴ってやってもいいけど。一応、先にアニキ様に聞いておいたほうがいいかなって)
なるほど。仮に、あのババアドラゴンが俺の関係者だった場合、いきなり殺傷するのはマズいかも……とか考えたわけだ。アズサも、こんなナリではあるが、意外と思慮深い。
さて。殴って止めるのは簡単だが、それはそれで、ちょっとかわいそうな気もする。マルティナも悪気があるわけでなく、種族的な本能に抗えず、ああなってるだけだろうし。
……そうだ。マルティナを宥めるなら、もっと簡単な方法があるな。
「アズサ、例のアレって、ルザリクに置いてきたんだよな?」
(ん? 例のアレ?)
「おまえがずっと入ってたアレ」
(あー、アレかぁ! うん、あそこの中庭に置いてきたな)
「そうか。じゃあ、アレを使おう」
(え、使うって……)
「ちょっと待ってろ」
俺は瞬間移動魔法の詠唱をはじめた。
例のアレ……すなわち、竜捕獲器ドラゴキャプチャー。
アズサすら病みつきにさせたアレならば、おそらくマルティナをも満足させられよう。
俺は早速、瞬間移動を発動させ、ルザリク市庁舎の中庭へと飛んだ――。




