765:追う竜、逃げる竜
機関室から通路を抜けて甲板へ戻ると、例のアルカンシエルの世話役、オレインが駆け寄ってきた。どうにか荷物の再整理は終ったようだな。
「お客さん、どうでしたか? あの人の様子は」
「もう心配ない。元の状態に戻ってるぞ」
いや正確には、まったく以前の通りというわけでもないがな。
正気を取り戻しているし、俺の魔力を吸ったことで、全般的に能力が向上している。
もっとも、当人はその能力を活かすつもりはなく、当面これまで通り、ブランシーカーの魔力タンクを続けるつもりのようだ。
ようするに、過去も浮世もどうでもよく、あそこで男漁りをしていたいと……。もう完全に堕落しきっとるな。
「ほ、ほんとですか! よかったぁ……!」
オレインは心底ホッとしたように笑った。
「そういや、おまえら、いったいどういう関係なんだ」
ふと、気になったので、そんな質問を投げかけてみた。
最上級大天使の美女と、それを世話する人間の少年。しかも大天使のほうは常時、男どもをくわえこみ、少年はまるで達観したように、そういうものだと受け止めて、彼女を見守っている。
本当にどんな関係だ、いったい。
「いやその……実はですね。ボク、あの人に代々仕えてきた家系の子孫でして」
アルカンシエルは数千年の時を生きる大天使。その間、気紛れで人間たちを召使いやボディーガードとして使役していた時期があり、オレインはそうした一族の子孫なのだという。
大昔の覇天大戦によって世界の勢力バランスが崩れ、天使の優位性は失われ、アルカンシエルもすっかり零落してしまったが、オレインの先祖だけはあくまでアルカンシエルのそばを離れず、仕え続けたのだとか。
そして現在はオレイン自身、なにやら複雑な感情を抱えながら、父祖の家訓に従ってアルカンシエルの世話をしているようだ。
「ありがとうございました! これでまた、あの人とのNTRプレイが捗ります!」
オレインはそう言って、満面の笑顔で深々と頭を下げてきた。
NTRプレイ! そういうのもあるのか。
寝取られ好き属性持ちということか……! 正直俺には理解できん性癖だが。
……複雑な感情っていうか、実はコイツも、割と精神ぶっ壊れてるのかもしれん。
この船の女どもはアクが強いとかいってたが、オマエも大概じゃねーか。
どうぞお幸せに。
瞬間移動で操縦室へ戻ると、すでに室内は綺麗に片付き、アロア、リネス、ブランの三人でちゃぶ台を囲んでいた。なんでわざわざ床にゴザ敷いて、ちゃぶ台置いてんだよ。
どうも三人でお絵描き大会などしていたらしい。リネスもすっかり例の薄い本制作に巻き込まれてしまったようだ。
「俺はいったん船外へ出て、色々と現状を確認して回らにゃならん。リネス、おまえはどうする? 城へ戻るか?」
「なんか面白そう。ボク、一緒に行くよ」
とリネスが応えるや、ブラン、アロア、レールの三人も同調した。
「リネスちゃんが行くなら、わたしもー」
「アーク、お城の案内してくれるって、さっき言ってたわよね? さっそく案内してちょうだい」
「ならあたしも行く。仲間外れはナシだよ」
そこへ、黒い鋼鉄の球体が、ふよふよと宙を浮いて寄ってきた。アロアの護衛にしてブランシーカーのセンサーでもある機神ボルガード。
『主ガユカレルナラバ、私モ……』
「ボルちゃんはお留守番だよー」
アロアは、とびきりの笑顔で、ボルガードの希望を却下した。
『ソンナ……ナゼ、イツモ、コンナ扱イ……』
ボルガードは悄然と……いや本当にそういう状態なのかはわからんが、そういう雰囲気をなんとなく声に滲ませながら、操舵席のほうへとふらふら漂っていった。
「あれ、ほっといていいの?」
リネスが訊くと、ブランが肩をすくめた。
「誰かが留守番してなきゃ、何かあった際に対応できないからね。だいたいあの子は、アロアが呼べば空間転移でどこからでも一瞬で飛んでこれるから」
そういや、あいつには、そんな能力もあるんだったな。さすがはゲーム世界の古代遺物、理屈はさっぱりわからんが便利な設定になっている。
「よし、ではまず船外へ出るぞ」
意見はまとまったので、俺は早速リネスたちとともに瞬間移動し、ブランシーカーの転移地点である芝生の庭園の一隅へ出た。
「わ、外は真っ暗だね」
「ちょっとレール、どこ触ってんのー」
「あ、リネスちゃんのほっぺた……ぷにぷにー」
「きゃはは、くっすぐったいよー、アロアちゃんー」
「だんだん目が慣れてきたよ。ここは……?」
冴々たる月に照らされた、夜の庭園。見上げれば巨大なブランシーカーの舷側が、城壁のように視界の一角を覆っている。
その反対方向へ顔を向ければ、大手門の彼方、ライトアップされた白亜の魔王宮が、夜空にくっきりと壮麗な姿を浮かび上がらせている。
先刻まで、この庭園にはアズサたちがいた。今は別区画に移動させてるが、なんか遠くから、騒がしい声が聴こえてくる……。
「待て待てぇー! 待つがよいー! なぜ逃げるのじゃああー!」
なんだ、この声は。アズサやバハムートたちのものではない。どうも上空で声が響いてる感じだが。
だんだんこちらに近付いてくる……。
「よいではないか、よいではないか! さぁ、戻って、妾と交尾しようぞぉ!」
声のするほうへ目を向けると、月をバックに、二頭の巨竜のシルエットが空を飛びまわっている様子。逃げ回る一頭を、もう一頭が追いすがっているように見える。
逃げてるのは……ヴリトラだな。鱗が緑色だから、アズサの舎弟コンビのどっちか片割れだろう。
追いかけてる竜は……なんだ、ありゃ。
大きさも形もヴリトラに近いが、それよりは少し丸っこいシルエットで、微妙に異なっているようだ。
「なぜ逃げるのじゃー! この幻想界の女王たる妾が、交尾してやると言うておるのじゃぞー!」
……幻想界の女王。でもって、竜。
「はー、マルティナさん、また年甲斐もなく……仕方ないなぁ」
俺の横で、呆れ顔で呟くレール。
なるほど。あれは先ほど船外へ出奔したという幻想界の要介護ドラゴン女王、マルティナ。その真の姿ってわけか。
八百歳越えのボケ老婆ドラゴンが、若いヴリトラに惚れて、交尾を迫って追い掛け回してる……と。
追われる側からすれば地獄のような状況だな。普通逃げるわ、そりゃ。




