076:他言無用
俺とミレドアは、一緒に床から立ち上がった。そこへ人狼たちが駆け寄ってきて、俺たちの前に一斉に平伏する。
「し、知らぬこととは申せ、ご無礼の数々……この罪、万死に値いたします。すべての責任は私めにありますれば、どうか部下たちには、寛大なご処置を……」
床に額を擦り付けつつ、グレイセスが謝罪の言辞を述べる。いくら俺の正体を聞いたからって、大袈裟な奴らだ。だが、きちんとケジメをつけようとする、その潔さやよし。こういう律儀な連中なら、安心して使役できるだろう。
ミレドアは、きょとんとした顔を俺に向けてきた。いきなり人狼どもが態度を豹変させたことに戸惑ってるようだ。いちいち説明してやれる状況でもないから、そのへんは後で適当にお茶を濁しておくとして。
「顔をあげろ。おまえたちの事情は、こっちもわかってる。気にするな」
「は、しかし……」
「おまえたちは今回、中魔将軍の直属から、水魔将軍の部下へと転属した。それで処分は済んでいる」
クトニアの部下から、エナーリアの部下へ。これを先代魔王の軍制度に当てはめると、クトニアは第三位の中魔将軍、エナーリアは第四位の水魔将軍で、部隊ごと下位の将軍のもとへ回されるということは、降格処分といえなくもない。ちょっとこじつけっぽいけどな。先代の制度なんざ、今ではなんの意味もないし。ただ、たとえ形の上だけであっても、そういうケジメが必要な場合もあるってことだ。特にこういう、ちょいと頭の堅い奴らには。
「は……ははっ! かしこまりましたぁっ!」
グレイセスは嬉しそうに声をあげ、再度深々と床に伏した。
人狼たちを引き連れて、再び祭壇の間へ。エナーリアは相変わらず祭壇の上にいたが、俺の姿を見ると、ささっと階段を下りて、床に片膝をつき、俺を迎えた。見ためはやたらバランス悪そうな巨体なのに、意外と身軽に動けるもんだな。
「エナーリア。今後のことだが……ひとつ、やってもらいたいことがある」
「はい。なんなりと」
「もうミレドアから聞いてるかもしれんが、いま、地上では魚が取れなくなって、漁民どもが難儀している。それでだな、水魔のおまえなら、魚たちを呼び戻すことができるんじゃないか?」
漁民がどうのなんてのは建前で、本音をいえば、たんに俺様はビワーマスが食えりゃそれでいいんだがな。
エナーリアはうなずいた。
「それはたやすいことでございます。ミレドアどのの話を聞く限り、もとはといえば、私めがここで暴れてしまったのが原因のようでございますゆえ、たとえお指図がなくとも、そうするつもりでございました」
「おお、そうか。では頼むぞ」
「で、その後は……いかがいたしましょうか」
エナーリアは、すでに俺の臣下となった。外から魔族が入り込めないエルフの森の結界内にあって、俺が自由に使役できる、きわめて貴重な高位魔族だ。ただ、現状ではこれという活用法を思いつかない。こんな目立つ奴をお供に連れ回すなんて無理がありすぎるし。しばらく待機させておき、ここぞという場面に用いるとしよう。
「黒狼部隊ともども、当面は、この土地にとどまっていろ。具体的には、グレイセスたちをいったん地上へ出し、ダスクから少し離れた湖岸に駐屯させて、情報収集にあたらせる。おまえはその湖岸を定期的に訪れ、グレイセスたちと絶えず連絡を取るようにしろ。いずれ俺は中央霊府へ行く。その際には、おまえにも動いてもらうぞ。わかったな?」
「はっ!」
エナーリアは深々とうなずいた。
「それと、ミレドア」
「はいー?」
俺は少々表情をあらためて、おごそかに告げた。
「ここで見たこと聞いたこと、すべて他言無用だ。湖の地下に魔族がいるなんて知れたら、集落の奴ら、パニックになっちまうぞ」
「はっ、はい!」
「もし、集落の連中に、なんで魚が戻ってきたか尋ねられたら……そうだな、地下で暴れていた怪物を、勇者が改心させた……とでもいっておけ。とにかく、エナーリアが魔族ということは内緒にしておいてくれ」
大昔から、エルフは魔族を嫌っている。ミレドアみたいなのは例外中の例外だ。もし不漁の原因が魔族で、しかもそれが地下に健在だなんて知れた日には、どんな事態に発展するかわかったもんじゃない。少なくとも俺が中央霊府に辿り着くまでは、余計な騒動を起こしてもらいたくないからな。ようはエナーリアが魔族だという一点、これさえ秘密にしてくれれば、あとはさほど問題ないだろう。
「あのー……」
横からグレイセスが尋ねてくる。
「そういうことでしたら、我々が地上にあがるのはマズいのでは……我々も魔族ですし」
「この近辺はど田舎でな。集落を少し離れちまえば、ほぼ無人地帯だ。人目につくことはまずない。だいたい、おまえたちは、いざとなったら普通の狼として振舞えるだろ」
人狼ってのは、二足歩行できて人語を解する以外、身体的特徴はほぼ本来の狼とかわらない。四足で歩けば、その姿は大型の狼そのものだ。だからこそ隠密任務には最適な連中だともいえる。クトニアがこいつらを使役していたのも、多分、そのへんの理由だろう。
「はあ、確かに……ようは目立たなければ問題ないってことですか」
「そういうことだ。さっきも言ったが、おまえたちには当面、情報収集の任にあたってもらう。それと、エナーリアとの連絡役だな。詳しいことは地上に戻ってからだ」
「はっ」
うなずくグレイセスを横目に、エナーリアへ告げる。
「俺たちは、ぼちぼち地上に戻る。魚の件は、頼むぞ」
「お任せ下さい。すべて、お指図どおりに」
ふと、アエリアの声が脳内に響いた。
──ハニー。チョット。
なんだ?
──エナーリア、オハナシ。サセテ。
そうか。だが、手短にな。
「エナーリア。アエリアが、話したいとさ」
言いつつ、俺は、アエリアを腰から外し、エナーリアに手渡した。
「…………」
エナーリアは、アエリアを握りしめ、しばし無言で念話を続けた。その顔つきは穏やかで、なにやら嬉しそうだ。
「……お返しいたしまする」
やがてエナーリアは、そっとアエリアを差し出してきた。ほんの一分かそこら。別れの挨拶でもしてたんだろうか。俺はアエリアを受け取り、腰に戻しつつ、何を話してたのか訊いてみた。
──ナイショ。
いたずらっぽく答えるアエリア。なんだよ、教えてくれないのか。ま、女どうし、どうせろくでもない話だろうが。
──ロクデナシー。
やかましい。
俺はあらためてエナーリアの巨体を見上げ、言った。
「あとは、こちらからの連絡を待て。再会の日まで、息災でな」
「……はい。勇者……さま。どうか、ご武運を」
エナーリアは、微笑んで俺を見つめた。そこへ、ミレドアが声をかける。
「また、会いにきていいですか?」
エナーリアは嬉しそうにうなずいた。
「ええ、いつでもおいでくだされ。あなたは、我らの恩人ですからな。歓迎いたしますぞ」
「はい! 今度は、おイモさん持って来ますね。おいしいんですよー!」
「おお、それは楽しみですな」
半魚人ってイモ食えるんだろうか。それはともかく、もうすっかり友達って感じだな、こいつら。この様子なら、ミレドアもエナーリアのことを無闇に他人にいいふらしたりはしないだろう。わざわざ釘を刺すまでもなかったかもな。
さて、地上に戻ろう。




