750:備えよ、つねに
世界が滅ぶ――とか、いきなり聞かされてもな。
いきなりすぎて、実感も何もあったものではない。だいたい、そんな話を俺に聞かせて、どうしろってんだ。
「もちろん、主の覚醒自体は、今日明日というような話ではありませんよ」
ルードが補足を入れた。
「いま、お目覚めの兆候が見えているとして、実際に覚醒なさるまで、まだ何万年もかかるでしょう。ただ、我々にとっては、そう長い時間ではありませんが」
不老不死ゆえの時間感覚ってやつか。それも何十億年も前の創世直後からこの世に存在してる大精霊なら、数万年ぐらい一瞬のことだろうな。俺も一応、不老不死の身ではあるので、ルードが言ってることは理解できる。
ともあれ、そんなすぐに世界の滅亡が起こるわけではないと。だったら当面は問題ないんじゃないのか?
(……勇者よ。ルードの言葉に嘘はないが……決して、事実をありのままに告げているわけではない。あまり真に受けるな。こやつには未来が見えておるのだからな。その点はツァバトもそうだが)
シャダイが、やけに重々しい口調で告げる。本人の前で、そんなハッキリ言っちゃっていいものかね。そりゃ俺も常々、ルードの言動にはいちいち胡散臭さを感じちゃいるが。
ルードには未来視の能力があるという。当人は、意識して使いこなしているわけではない、と以前言ってたが、それだって鵜呑みにしていい話とも思えんしな。案外色々と見えていて、あえて俺などには語らない、というだけのことかもしれん。
でもって、ツァバトについては、なにせ備わってる権能が、この世界に関わるあらゆる知識――過去、現在、そして未来まで、そのすべてを掌握している、というもの。いずれこの世が滅びることも、ツァバトは当然知ってるわけだ。
(主の覚醒まで、余の見立てでも、実際まだ相当な時間は掛かるであろう。その点でルードの言い様に嘘は無い。だがこやつは……)
「シャダイ先輩。いくらツァバト先輩にぼこぼこに殴られたからといって、私に八つ当たりをなさらないでください」
ルードは、やや苦笑まじりにシャダイの言を遮った。ぼこぼこって。幼女にぼこぼこに殴られるとか、もう最古の大精霊の威厳も何もあったもんじゃねえな。
「……もう少し詳しく申しますと、主の覚醒は、まだまだ先のことです。ですが、その過程で、いつ、どこに、どんな余波が生じるか、そこは私も、シャダイ先輩も、正確には把握しておりません」
「余波?」
「主の覚醒それ自体より、実はそちらのほうが問題なのです。先に述べました通り、主の状態は不完全、かつ不安定なものであり、そのお力も、まったく制御されていません。ようするに……」
「ようするに?」
「人間でも、寝起きの際に、大きく伸びをしたり、あるいは寝ぼけて手足を振り回したりするでしょう。これを、空間も次元も無関係に、まったく無意識に、無制限な力でもって、ところかまわず行なわれるとすれば……」
「……おう、なんとなく理解した」
天を突くような大きさの巨人が、森の中で寝てたとする。それが寝ぼけて暴れたりすれば、森はひとたまりもなく壊滅するだろう。ルードが言ってるのは、そういうことだな。
しかも、それがいつ、どんな形で、どこで生じるか、それはルードにも把握できない。下手すりゃ明日、いや今すぐにでも、そうなりかねない……と。
(おそらくツァバトは、もっと詳しく知っているだろうが……あやつには、聞いても無駄だ。『未来の知識』を具体的に他者へ語ることは、この世界の基本法則に反する。我ら神霊といえど、そこに抵触することは禁忌なのだ)
そりゃ……そうだろうなあ。説明されんでもわかるわ。
(いま、ここで余とルードが貴様と会っていることも、その語る内容も、ツァバトは把握しているであろう。すべてを知っているからこそ、あやつは貴様には何も語るまい。ゆえに、余がじきじきに、貴様に警告を与えに来てやったのだ。主の復活と覚醒、その余波がいつどのような形でこの世界を襲うか、それはわからぬ。だが確実に起こることだ。今はまだ、特に何をせよともいわぬが、いずれそういうことが起こる、という意識だけは、常に持っておくがよかろう)
ホントどこまでも偉そうだなコイツは……。だが、確かにこの件、知ってるのと知らないのとでは、かなり違う。ようするに災害に備えておけってことだしな。
(余はこれより、主の状態を観測するため、残りの力をほとんど費やさねばならぬ。有事の際はルードに諮るがよかろう。ツァバトはアテにならぬぞ。あのようなくされ外道は放っておけ)
言うだけ言うと、シャダイは音もなく瞬間移動で消え去った。
って、どんだけツァバト嫌いなんだよ! あの弱体化っぷりからしても、今回よっぽど酷い目にあわされたんだろう。実は警告にかこつけて、ツァバトの悪口ぶちまけに来ただけだったりしてな……。
シャダイが消え去った後、俺はルードと肩を並べて回廊を歩いた。目的地は城の中庭。バハムートの侵攻状況を把握するため、クラスカとイレーネに会わねばならないからだ。
「先ほどのお話ですが……」
道中、ルードが言う。
「まだ、災害を未然に防ぐ手段は残っています。私はこれから当面、そちらに注力するつもりです。むろん、新しい魔王城の建設には、変わらず協力させていただくつもりですが」
「手段って、具体的には?」
「完全物質の生産ですよ。もともと、私は主を完全復活させる手段として、その計画をずっと進めていましたので」
あー……そういや、ちょっと前、そういう話をしてたっけなあ。どんな理屈か知らんが、エルフの身体に「初代勇者の肉体のカケラ」を埋め込むことで、賢者の石にそっくりの完全物質を「育成」してたんだっけか。現状だと、レマールとクララの体内で、新たな完全物質がすくすく育っているはずだ。というかその現物、直接見てるからな。俺も。
「私の計算だと、賢者の石クラスの完全物質が、あと二十個ほども揃えば、そのエネルギーで主の状態を安定化させ、暴走による余波を防ぐことができるはずです」
「そうなれば、当面の危機は回避できる……と」
「ええ」
ルードはうなずいた。しかし二十個って。現存してる完全物質はエリクサーと仙丹の二つ。それにレマールらや、すでに死亡した六将やら八部衆やらに埋め込んでた分をすべて回収していたとしても、それらは未完成のもののはず。まだまだ時間がかかりそうだな……。
「アークさんには、後々、この件でお力を貸していただきたいのです。今はそれどころではないでしょうけど、バハムートの件が片付いた後にでも、ご協力を願えませんか」
ルードは、いつになく、きわめて真剣な面持ちで、そう告げてきた。
……この世界を救うため、か。
柄ではないが、そこまで言われちゃ、手を貸さないわけにはいかんか。
だいたい、この世界は俺の所有物だ。滅びちゃ困るしな。
「しょーがねーな。俺の手が必要なときは言え。そのかわり、おまえにも今まで以上に色々協力してもらうからな?」
俺が応えると、ルードは「ええ、承知しました。約束ですよ」と、穏やかに微笑んでみせた。
盟約成立……ってとこかね。先行きは色々不安だがな。




