074:届かなかったメッセージ
「事情って……てめえ、いったい何者なんだ」
「名乗ったところで、すぐには信用できまい。少なくとも、敵ではない。今はそれでいいだろう」
グレイセスが尋ねてくるのを、俺はあえて遮った。
エナーリアにしてもそうだったが、七百年ものブランクがある相手に、いきなり魔王だとかぶっちゃけて名乗ったところで、胡散臭がられるのが関の山だろう。エナーリアの場合は、たまたまアエリアの旧知だったから、アエリアとの対話で納得してもらえたが、こいつらには少し時間をかけたほうがよさそうだ。人狼ってのは低級魔族の範疇ではあるが、それでも人間に劣らない程度の高い知能と理性を備えている。前後の状況を整理し、その上でエナーリアと対面させ、現状を教え諭して、今後の身の振り方を考えさせるとしよう。
グレイセスは鼻を鳴らしながら、なお疑うような眼差しを向けてくる。
「ふん……敵ではない、か。あの扉……おまえが開けたのか?」
「まあ、そうだ。あの奥には、おまえたちのお目当てのエナーリアがいるぞ。健在だ」
「なに?」
ちょっと驚いたように、耳をぴこんっと立てるグレイセス。お、なんか、意外にかわいい。
「おまえ、俺達の任務を知ってるのか?」
「魔族がわざわざこんなところまで出ばってきてるんだ。およそ推測はつく。エナーリアに会いに来たんだろ?」
「おうよ。クトニア様のご命令でな」
グレイセスがいうには──黒狼部隊は本来、中魔将軍クトニア直属のお庭番衆だったらしい。対エルフ戦争終盤、クトニアとアエリアの軍勢が撤退した後、ビワー湖近辺に孤立したエナーリアにクトニアのメッセージを届けるため、グレイセス率いる黒狼部隊はエルフの森へ赴き、ダスクの地上階段から遺跡に入ったという。途中、待ち受ける数々の罠を乗り越えて、ついに一人も欠けることなくこの大ホールまで到達したはいいが、どうしても最後の扉を開くことができず、悪戦苦闘している間に、どうやら全員意識を失ってしまった──ということらしい。
「真っ先におかしくなったのは、ボスだぜ」
「そうそう。いきなり、叫び出してよぉ」
「でも、そん次はおまえだったじゃんか」
「え、そうだっけ?」
「くぅんくぅん」
人狼の部下どもが口々に補足を入れてくる。やかましいぞおまえら。というか、さっきから一匹だけおかしいのがいるな。まあ気にしないでおこう。
扉を開けられなかったのは、グレイセスたちがここに到達した時点で、すでにエルフの魔術師が封神玉を作動させ、扉に施錠の魔法をかけて立ち去った後だったということだろう。そして、封神玉から放たれる魔力波が、扉越しにグレイセスたちの五感を狂わせた──そんなとこか。
「なるほど。そっちの事情は把握した」
俺は大きくうなずいてみせた。
「では、エナーリアに会わせてやろう。おっと、もう一人いるが、けっして敵じゃない。むしろ、おまえたちにとっては恩人だ。間違っても牙を剥くような真似はするなよ」
「どういう意味だ……?」
グレイセスが訊いてくる。こいつらにとって、まだエルフは戦争相手という認識のはず。いきなりミレドアに襲いかかられてはかなわんからな。先に言っておかんと。
「おまえたちを正気に戻してくれた張本人だからさ。エルフだが、敵ではない。ちゃんと礼を言うんだぞ」
「エルフが、俺たちを助けたぁ?」
「そうだ。魔族とエルフの戦争はとっくに終わっている。今でも敵対関係ではあるが、少なくとも、おまえたちと彼女が争う理由はない」
「……なぁ、色々知ってるみたいだが、そもそも、お前は何者なんだよ。人間が、なんでこんなとこにいるんだ」
「それは後々エナーリアから聞け。物事には順序ってものがあるからな。ほれ、ついてこい」
俺はさっさと奥へ向かって歩きだし、グレイセスたちも慌てて俺に従った。
祭壇の間に足を踏み入れると、なにやら楽しげな話し声。エナーリアとミレドアは、すっかり仲良しになったようだ。ミレドアは人懐っこいからな。エナーリアにしても、ずっと孤独で退屈してたんだろう。しかし美少女エルフと特大半魚人の組み合わせってのは、なんともシュールな絵面だ。
俺の足音に気付き、二人は一斉にこちらを向いた。
「あっ、勇者さま……って、ひょえぇぇっ!」
ミレドアは、俺の後ろにつき従う人狼たちの姿を見て、途端に後ずさった。そりゃ、ついさっき襲いかかってきた奴らだしな。無理もないが。
「心配するな。みんな正気に戻ってる。おまえを取って食ったりはせんよ」
ミレドアを宥めつつ、エナーリアに声をかける。
「連れてきてやったぞ。おまえの推測どおり、クトニア配下の人狼たちだ。なんか知らんが、クトニアからの言付けがあるんだと」
「これはこれは。わざわざお手間を取らせてしまい、申し訳ありませぬ」
エナーリアは丁寧に頭を下げて俺へ礼を述べてから、グレイセスたちへ顔を向けた。
「おお。……その顔、見覚えがあるぞ」
エナーリアは懐かしそうに微笑んだ。
「確か、片目のロリコンウルフとかいうたか」
「……ロンリーウルフです」
グレイセスは溜息まじりに応えた。
五匹の人狼たちは、祭壇の手前に並んで、一斉に片膝をつき、エナーリアへ礼をほどこした。ほう、こういう作法はちゃんとできるんだな。
「エナーリア様。われら、クトニア様直属、黒狼部隊。私は隊長のグレイセスでございます。クトニア様からのメッセージを携えてまいりました」
朗々たる声で告げるグレイセス。エナーリアはうなずいてみせた。
「見せよ」
「はっ。……おい、ピューラ」
「くぅーん」
ピューラと呼ばれた人狼の一匹が、妙に甘ったるい声で返事しながら、自分の右耳の穴に、いきなり指を突っ込み、ほじくりはじめた。やがて、耳の穴から、小さな紙きれを、ひょいっと取り出す。羊皮紙か何かの切れ端だな。丸めて耳に突っ込んでいたらしい。それを丁寧に押し広げ、グレイセスへ手渡す。グレイセスは立ち上がり、前へ進み出て、再び膝をつき、エナーリアへ紙片を差し出した。
「さ、どうぞ」
「ふむ……」
エナーリアは太い指で紙片をつまんで受け取り、内容を一瞥した。
ミレドアが、横からちょいと覗き込む。
「……うわ、知らない字です……全然読めませんよぉー」
「覗き込むなよ。行儀悪いぞ」
と言いつつ、俺もチラと覗いてみる。やべぇ、全然読めん。当時の暗号文字らしいが、字体が古くさすぎる。
ふと、エナーリアは、大きく溜息をついた。読み終わったようだな。
「クトニア様も、無茶をおっしゃられる。今更こんな……」
「何て書いてあったんだ?」
「この湖の水を汚染し、エルフどもに毒を飲ませてやれ。具体的な方法はそちらで考えよ、と……」
「……そりゃまた、えぐいな」
水源汚染というのは、大昔からある戦法で、それ自体は珍しいことではない。俺の好みではないけどな。おそらく、このメッセージをクトニアが出したのは、時期的にみて、対エルフ戦争終盤、魔族の軍勢の大半がエルフの森から叩き出された直後くらいだろう。
クトニアは、少しでもエルフの力を弱め、反攻の足がかりを得ようとしていたに違いない。ただ、当時、ビワー湖近辺で孤立していた水魔たちに、その湖水を汚染させるというのは、ほぼ自殺を命じるようなものだ。エナーリアが溜息をつくのもわかる。上将軍たるクトニアが下してきた過酷な命令。これが届かなかったことが、結果的にエナーリアを救ったことになる。
「いずれにせよ、もう過ぎたことだ。今更そんなものを実行する義理もあるまい?」
「それは無論でございます。結局、彼らには無駄足を踏ませてしまったようですが……」
エナーリアは、グレイセスたちの姿を眺めおろし、優しげな視線を向けた。
「しかし、おかげで、同じ時代を生きた者達と、こうして再び会うことができました。それで、へい……あ、いえ、勇者、さま」
陛下、と言おうとして、慌てて訂正するエナーリア。ここにはミレドアもいるからな。俺が魔王だということは、まだ内緒だ。
「なんだ?」
「この人狼たち……私の部下として、用いてようございますか」
「ほう。……ま、こいつらも、もう行き場がないだろうしな。いいだろう」
「ありがとう存じまする」
エナーリアがゆっくり頭を下げる。グレイセスは、わけがわからないという顔つきで俺を見た。
「行き場がない? どういうこった。だいたい、勝手に俺たちを部下だなんだと……」
それへエナーリアが告げる。
「グレイセスとやら。詳しい説明は、これから私がしよう」
「は……?」
きょとんとエナーリアを見つめるグレイセス。それを横目に、俺はそっとミレドアの手を取った。
「ついてこい」
「えっ?」
「魔族は魔族どうし、積もる話もあるってことさ。俺たちは、ちょっと席を外していよう」
「あー……はい。わかりましたー」
ミレドアも、なんとなく空気を察したようだ。素直にうなずき、俺と一緒に祭壇の間を出た。
あとの説明はエナーリアに任せよう。その後で、もうひと働きしてもらわねばならんな。




