732:瞬間移動
レンドルの授業は、その後一週間ほど続いた。休憩とか一切無しで。
……ずっと俺の背中を黒板がわりに使いながら。
いまこの場にいるうちで、実体を持つのは俺とリネスだけ。レンドルやアエリアは幽霊だしな。
で、授業のテキストは、リネスにもきちんと見えるように、実体を伴った物質に刻み付ける形で表記する必要がある……とかなんとか。
レンドルの言いようがどこまで本当だかわからんが、実際それで滞りなく授業は進んだので、途中からはもうツッコミ入れる気も消えうせてしまった。
「六属性の編成についてだが、まずは主動力のほうだな。これは大きく分けて加護、神性、霊性の三つに分けられる。属性ごとに、そのうちひとつを選択し、そこから具体的な魔力編成を組み立てていくわけだ」
「複数は選べないの?」
「それは素人がよくやるミスだ。実際にやってみるとわかるが、個人の保有魔力キャパシティーを分割運用することになる。この場合、個々の能力はそのぶん低下することになり、大きく効率が落ちる」
「そっか、だからどれかひとつなんだね」
「そうだ。次に魔力編成の内容だが、これは主動力の術式とうまく噛み合うように、複数の動的魔力を組み合わせることになる。動的魔力の術式には大きく分けて通常、方陣、特殊の三種があり、これらは同種ならば加算、異種は乗算によって効果を増大させる働きが……」
なに言ってんのかさっぱりわからん……。リネスは普通に理解しているらしいが。
ただわかるのは、かつて俺がケーフィルから受けていたような、子供向けの魔法講座なんぞとは、文字通り次元が違う……ということだけだ。
このへんはまだ俺でも聞き取れるレベルだったが、授業も終盤になると、もはやこれ人類の言語なのかどうかすら怪しいレベルで、文字にすると「○▲◎☆□●★▽○」とかいう具合になる。ネトゲの廃人どうしの会話なんかに近いかもしれない。宇宙語で会話してるようにしか聞こえんよなあれ。
休憩はないが、授業がある程度の区切りまで来ると、レンドルは講義を止めて試験問題を出し、リネスに解答させる……というのを三度ほどやった。定期テストみたいなもんかね。
一度目、二度目までは楽勝だったようだが、三度目にはリネスの顔色がサッと変わった。リネスの知識と技術をもってしても、よほどの難問だったらしい。かなり悩んで、悩み抜いて、長い時間をかけて、ようやく解答を出した。何言ってんのか俺にはさっぱり理解できない言葉で。
「ふっ……は、ははははは!」
リネスの解答を聞くや、レンドルはいきなり大笑した。
「いやはや、こいつは……とんでもねえ。この世界でも、かつてオイラ以外には誰も証明できなかった多層次元構築術式を、こうもたやすく解くか……!」
「え、じゃあ……」
リネスの眼が輝く。レンドルは大きくうなずき、渋い笑みを浮かべた。
「正解だ。リネス。これならもう心配はないな。今のおまえなら、やれるぜ」
「なにを?」
「……いいか、これからおまえに、最後の術式を教える。それを正しく理解し、うまく使いこなしてみせろ。それができれば、この授業は終わり。めでたく卒業というわけだ」
言いつつ、レンドルは、すばやく俺の背中にカッカッとチョークのようなもので文字列を刻みつけた。
……俺もはやく黒板から卒業したい。頑張ってくれリネス。
最後の術式の修得まで、さらに体感で半日余というところ。リネスはまったく集中力を切らすことなく、すべてを暗誦し、理解し、自らの魔力に組み込んで、詠唱による発動を可能にした。
これは、エンジンの設計図を手渡されて、それを自力で全て組み上げ、自前の車に搭載して点火するところまで一気にやってのけたようなもの――といえば、少しはわかりやすいだろうか。つまり、とんでもないってことだ。
「よし、上出来だ。っていうか、たぶんもう、オイラよりうまく使いこなしてるぞ、それ……」
レンドルは、もはや感心を通り越して、呆れ顔になっている。伝説の大魔術師をして、そこまで言わしめるとは。どうもリネスの才能というのは、俺が思っていた以上にとんでもないもののようだ。
「でもこれ、すっごい制御が難しいよ。こんなピーキーな術式は……」
「だからこそ、おまえにしか扱えないんだよ。さあ、やってみろ。オイラにも見せてくれ、そいつが完全に発動する瞬間を!」
レンドルの檄を受けて、リネスは大きくうなずき、例の高速詠唱を始めた。ふんにゃごにゃー、うにゃにゃん、とか、傍からは仔猫の鳴き声にしか聴こえないアレだ。
次の瞬間、ずっと俺のそばに佇んでいた全裸のアエリアが、慌てて俺の腰もとにしがみつき、そのままミストルティンの鞘へと吸い込まれるようにして消えた。にゅるーんっと。
どういうことかと怪しむ間もなく、突如、視界一面、白い閃光に包まれ――。
眩い光が消え去ると、そこは、荒れはてた泥土の河川敷。
崩れた堤防の残骸が、茶色い土塊のように点々と連なる荒涼たる風景。その向こうに、陽光に照り映えて、ちらちらと金細工のように水面を輝かせつつ流れてゆく雄大な河水。
間違いない。ここはゴーサラ河の畔――レンドルと出会った、あの場所だ。亜空間を抜けて、再びここに戻って来たわけだ。
俺のすぐ隣りに、リネスが佇んでいる。やりきった、という顔で、ぐっと空など見上げている。
そして――。
(合格だ。もうおまえに教えられることは何もねえ)
堤防の残骸上には、きっちりレンドルの姿があった。
(これにて、オイラの特別授業はおしまいだ。卒業おめっとさん、リネス!)
「えへへ、ありがとう! お師匠さまっ!」
リネスが満面の笑顔で応えると、レンドルは、これまた満足げな顔してうなずいた。もう半透明っぽい姿になっている。これは宿星が落ちる直前の人間に見られる現象。ボッサーンの最期のときにも見たやつだ。
(ふふふ、これでようやく、オイラも安心して逝けるってもんだ。リネス、おまえはきっと、凄い魔術師になるぜ。オイラが保証してやる)
ふと、レンドルは、俺のほうへ顔を向けた。
(アーク。もし、どこかでオイラの子孫と出会ったなら、伝えてくれ)
「……なにをだ」
(オイラの家の天井裏に、小さな箱が隠してあるんだ。もし、何かの拍子にそれを見つけたら、無理に箱を開けようとせずに、そのまま火にかけ、焼き捨ててくれ……と)
レンドルの家……って、いまミレドアが住んでる、ダスクのあの家だよな。そこになにか隠していたと?
というか、そうか。レンドルには、ミレドアの話はしていない。俺が既にレンドルの子孫を愛人にしちまってるなんて、言えば話がややこしくなることうけあいだからなぁ。
「それは何が入ってるんだ?」
(言えねえよ。まあ、てめえも男ならわかるだろ。なんというか……とにかく、焼いてくれ。それだけ伝えてくれりゃいいからよ。頼むぜ!)
そうして、大魔術師レンドルは、空気に溶け込むようにして消えてしまった。同時にこの世界におけるレンドルに関わる物理アドレスもすべてゼロになり、データ上でも、もはやこの世の存在ではなくなってしまった。
……レンドルの遺品、ねえ。どうせロクなものではあるまいが、後でミレドアに直接聞いてみよう。屋根裏で小さな箱を見かけなかったか、と。




