726:関門の夜
大陸のちょうど中央を東西に横切る大河、ゴーサラ。
その北岸の河畔に、巨大な石造りの関門と城砦がそびえている。数ある魔族の拠点のうちでも最南端に位置する防衛の要地で、高位魔族の一将、ベリス公爵を責任者とするゴーサラ関門とゴーサラ砦だ。
この関門から北側の大地は、ここ数十年来、完全に魔族の掌握下にあり、かつて北方にも無数に存在した人間の城市や街などは、跡形も無く消滅している。
ただし人間がまったく住んでいないわけでもなく、ごく小規模な集落が各地に点在し、細々と農業や牧畜など営んで、魔王城に年貢を納めて暮らしているという。俺自身は実のところ、その詳細までは把握してない。魔王城でふんぞり返ってた頃でも、そういうのは宰相のスーさんに任せっきりだったからなあ。
俺たちがゴーサラ関門上空へ辿り着いた頃には、もうすっかり日が暮れかかっていた。
アズサやトカゲ竜どもが本気で飛べば、おそらく昼前ぐらいには着いてたかもしれんが、なんせ背中に生身の人間やエルフを乗せての移動だからな。あまり速度を出すわけにもいかない。日没までに到着できたなら上々だろう。
まず俺が先陣をきって関門前に降り立ち、ルード、アズサ、トカゲ竜どもが続々と俺の左右へ着地した。
ほどなく、まるでこちらを待ち受けていたかのように、巨大な門扉が軋みを立てて大きく開き、そこから、わらわらと黒い影どもが飛び出してきた。翼を持つ小鬼のような石像の魔物、すなわちガーゴイルどもだ。
「オー、ヘイカ、ヘイカー」
「イラッシャイマシー」
「エーケツ、シテマンナー!」
口々に甲高い声で囃し立てるガーゴイルども。石像に悪霊が宿った、いわゆる魔法生物というやつで、本来はもっと悪意全開の罵詈雑言しか言わないような連中だが、ここのガーゴイルどもは躾が行き届いていて、かなり穏当なほうだ。相変わらずやかましいけど。誰がええケツだよ。
「ヨオキタノォゲーメスト!」
違う。
「へえぇ、これが魔族……!」
リネスが不思議そうな顔して声をあげた。
リネスだけでなく、同行してきたほとんどの連中にとって、本物の魔族を間近に見るのは、これが初めてだろう。あ、スーさんは変身してたのでノーカンってことで。
「だ、大丈夫なんですか、これ? 噛み付いたりしませんか」
ティアックが、おずおずという様子で呟く。ガーゴイルも低級とはいえれっきとした魔族。造型も不気味だし、ぶっちゃけ態度も悪い。危ぶむ気持ちもわかる。
「気にせんでいい。こいつらは上位者の命令がない限り、他者へ危害を加えるような真似はせん。おい、おまえら、下がっていろ」
俺が告げると、ガーゴイルどもは一斉に「ウッサイ、ハゲー!」とか喚きながら関門のほうへ去っていった。誰がハゲじゃあ! ……いかん、こんな低級な煽りに、ついつい乗っかりかけた。俺はハゲではないぞ。魔王時代だって、頭頂部にはちゃんと毛が三本生えていたのだ。だから決して、決してハゲではないのだ。
「へええ、本当におまえの命令を聞くんだな」
アイツが、ちょっと感嘆したように俺を見た。
「俺はいまでも一応、魔王だからな。ミーノくんも、ちゃんと俺に従ってたろうが」
「ああ、そういえば確かに……」
アイツがうなずいたところへ、やや遠くから呼ばわる声が聴こえてきた。
「陛下! おかえりなさいませ!」
見やれば、関門の彼方から、朗々たる声とともに、黄金の輝き燦々と、こちらへ歩み寄ってくる人影。
夕陽にまばゆく照り映える黄金甲冑、すなわちベリス公爵だ。一歩ごとに、ガション、ガション、と、ロボットアニメの効果音みたいな金属音がともなっている。
「お話は、宰相どのより伺っております。さあ、どうぞこちらへ。お連れの方々も遠慮なさらず」
ガキョーン、と両足を揃えて、優雅に一礼してみせるベリス公爵。いや、さっきからなんなのその効果音。
「公爵、なにか妙な音が出ているようだが……」
と訊くと、ベリス公爵は、やや申し訳なさげな様子で応えた。
「はあ。実はこの甲冑、つい先日新調したばかりでして。まだどうも関節部分が馴染んでおりませんで……あとで油をさしておきます」
新調って。ベリス公爵の甲冑の中身って、これまで誰も見たことが無いそうで、実は俺やスーさんも素顔を知らない。それでてっきり、ベリス公爵はリビングアーマーというか、さまようよろいというか、そういう系統の魔族だと思ってたが、どうも違うみたいだな。あまり深く追求する気にはならんし、別にどっちでもいいけど。
砦内では、すでに夕食や宿舎の部屋割りなどまで、準備が済んでいた。スーさんが事前に連絡を入れていたらしい。
アズサとトカゲ竜どもは中庭に入り、それ以外は主塔の来賓閣に通されて、ベリス公爵ら駐留魔族の歓迎を受けた。宴会には豪勢な料理と酒が並び、その贅沢ぶりにアイツが目を丸くしていた。
「俺の領地は貧乏だったからなあ。こんな豪華な宴会なんてとてもとても」
「ここは魔王城の次ぐらいに物資が豊富だからな」
俺はうなずいて答えた。ここゴーサラ砦は、大陸南方からかき集めた膨大な各種物資が貯蔵されている。もっとも食糧も酒も、魔族にとってはただの嗜好品だが、一応、ここの地下には、かつて魔族の捕虜とされた人間――大半はいわゆる繁殖奴隷の女ども――がいまだに生活していて、そいつらを養うためには必要なものだ。
宴のホストはベリス公爵がつとめ、その指図に従って、低級魔族のコボルドどもが甲斐甲斐しく働いている。その様子に、アル・アラムなどが感嘆の眼差しを向けていた。
「彼ら、意外と愛嬌がありますね……毛並みとか、モフモフしてそうで」
「うん。こうして見てると、かわいいよね。昔はあんなのと戦争してたなんて嘘みたい」
リネスが同意した。コボルドは、いわゆる半人半犬で、低級魔族のなかでは比較的かわいい容姿なので、ベリス公爵が気を遣ってコボルドだけをホールで働かせてるんだろう。砦には他にゴブリンとかオークとかポピュラーな低級魔族もいるが、エルフや人間にはちょっと刺激的な容姿というか、ぶっちゃけ不細工な連中だからな。あえて出さないようにしてるだけかと。
「戦争といえば……あ、そうだ。ねえねえ、アーク」
リネスが何か思い出したように声をかけてきた。
「たしか、レンドルのお墓、ゴーサラ河の畔にあるって言ってなかった?」
んー? レンドルって、ミレドアの曽祖父っていう魔術師か。七百年前の大戦の際、アエリアにトドメ刺されて死んだっていう。その後、当時の二代目勇者がレンドルの墓碑をゴーサラの畔に立ててやった……とかいう話は聞いたことがあるな。
「行ってみたい! ねーねー、連れてってよ!」
リネスが懇願してきた。レンドルは新生属性魔法の始祖であり、リネスにとっては師匠筋の大元にあたる人物。その墓碑へ御参りか。
しょうがねえ、ちょっと寄り道になるが、連れてってやろう。アエリアに案内させるか。




