072:鍵を解く者
エナーリアとアエリアにまつわる、およその事情は把握した。残る謎は、手前のホールにいた人狼たちだ。エナーリアは、そんなものは知らないという。
「あるいは……私を救助しに来た者たちだったのかもしれませぬ。人狼はクトニア様の配下でしたから」
エナーリアはそう推測した。中魔将軍クトニアは、いわゆる巨人で、身の丈五メートルという威容と、山をも打ち砕く怪力の持ち主だったという。とはいえただの筋肉馬鹿というわけではなく、つねに複数の隠密部隊を直属として抱え、様々な工作任務を与えて各地へ派遣していたらしい。その人狼たちも、そういう連中だろう、と。
ではさっそく蘇生させてみよう……と思ったが、ちょっと待て。
おそらく、あいつらは封神玉の魔力で体内時計を狂わされ、興奮状態を強いられていたんじゃないか。とすれば、いま蘇生させても、また襲い掛かってくる可能性が高い。先に封神玉をなんとかする必要がありそうだ。というわけでアエリア、ちょいと仕事。
──アイヨ、オマイサン。
誰がおまいさんだ。
アエリアが魔力を解放し、飛行可能に。俺はその場からまっすぐ宙へ翔けあがり、はるか頭上、ふわふわ浮かぶ青い光球へと近寄った。
こう向き合ってみると、オリジナルのエリクサーより、ひとまわり大きいようだ。バスケットボールくらいか。材質はさっぱりわからんが、いわゆるエネルギー体のたぐいではなく、いちおう物理的な実体があるようだ。周囲にかなり強烈な魔力をバチバチと放出しているが、やはりエリクサーほどではない。素手で触れても、即黒焦げってことはないだろう。
試しに、一発ぶん殴ってみる。
ぐんにょり、と、やわらかーい感触。俺の手首から先が、すっぽりと封神玉のなかに入り込んでしまった。ゼリーの塊にでも手を突っ込んでしまったような。俺は慌てて手を引っこ抜いた。たちまち封神玉の表面がぬるり、ちゃぽんっとうごめいて、瞬時に破損部を塞ぎ、修復してしまった。スライムかよ。
こりゃちょっと、想像以上に厄介な代物かもしれん。岩をも砕く俺の拳を、まったく何事でもないように受け止めてしまう。剣で斬ってもおそらく結果は同じだろう。エナーリアの衝撃波も、このやわらか素材に威力を吸収されてたせいで、まるで効果がなかったわけだ。力ずくでこいつをどうにかするのは難しいようだな。
俺は祭壇に着地し、エナーリアに向けて、軽く首を振ってみせた。
「……そうですか。魔王陛下でも、あれの破壊がかなわぬとは」
エナーリアは溜息まじりに俺から視線をそらし──ふと、ある一点に目をとめた。そのままじっと、何かを見つめ続けている。なんだ?
俺もつられて、エナーリアが見ている方に顔を向けた。
この祭壇の間から、隣のホールへと通じる出入口。
その手前の床に無造作に転がる金ダライ……と、死んだまま絶賛放置中のミレドア。
おお。なるほどな。エナーリアが何を考えてるか、だいたいわかったぞ。そういうことならば。
俺は祭壇を降りて、ミレドアのもとへ歩み寄った。
「陛下?」
エナーリアが背後から不思議そうに声をかけてくる。
「こいつは、俺が魔王だってことを知らない。おしゃべりな奴だから、それをいま教えるわけにはいかん。こいつが目を覚ましたら、なるべく口裏をあわせてくれんか」
「は……? しかしその者、もう死んでるようですが……」
「いかなる理不尽もインチキも、勇者ならでは許される。勇者ってのは、そういうものらしいんでな」
俺は蘇生魔法の詠唱をはじめた。今日もう何度目になるやら。床に横たわるミレドアに向け、右手をかざす。輝く白濁光が、ミレドアの肉体を押し包み──。
「……ふひぇ?」
妙な声を発しつつ、ミレドアは、むっくり起き上がった。
「おはよう。よく眠れたかね?」
「はれっ……まさか、わたし、また……?」
ぽけーっと、寝ぼけまなこで、俺を見つめるミレドア。俺は爽やかな笑顔で応えてやった。
「そのまさかだ。このドジっ子ちゃんめ」
「す、すみませんー……。って、え?」
異変に気付いたようだ。俺の背後に見える、巨大な影。祭壇上に横たわる……特大半魚人。その姿が、ようやく視界に入ったのだろう。目をぱちくりさせるミレドア。
「え……え? えっと……」
一拍、間をおいて。
「──ひょええええええええーっ! あ、あれぇっ、なっ、なんですかああーッ?」
やっと驚愕の叫びをあげた。本当にいちいち賑やかな娘だ。
「はぁー、それで、ずっとここに閉じ込められていらしたと……」
エナーリアが、昔の大戦の生き残りの魔族であること。現在ではとくに危害を及ぼす存在ではない、ということ。この部屋に閉じ込められて、助けを待っていた、ということ──俺とエナーリア自身が、かわりばんこにそのへんを説明して、ミレドアも一応、納得したようだった。なんせ勇者である俺様が、危険はない、とお墨付きを出してるわけだから、納得せざるをえないだろう。実際はエルフどもにとって危険きわまりない高位魔族だがな。
「でもぉ、なんていうか……」
ミレドアは、祭壇のすぐ下から、まじまじとエナーリアの姿を見上げた。
「魔族さんってー、すごく悪くて恐い、って聞いてたんですけどぉ。エナーリアさんは、なんだか可愛い感じですねぇ。お魚のヌイグルミみたいでー」
そう言ってミレドアは微笑んだ。どうもお世辞でなく、本気で言ってるようだが。この半魚人が可愛いって、どんな感性だ。
エナーリアも、老いた顔に笑みを浮かべた。
「そ、そうかね? いやぁ、そう言ってもらえると嬉しいねぇ」
オマエも素直に喜んでるんじゃねぇ。水魔将軍の威厳もへったくれもないな。
「それでな。ミレドア、おまえにひとつ、やってもらいたいことがある」
俺がいうと、ミレドアはキョトンとした顔で俺を見つめた。
「はいー? なんでしょう?」
──エナーリアの記憶によれば。封神玉を作動させたのは、祭壇の間へ押しかけてきたエルフの魔術師たちのうち、最後の一人。その魔術師は、エナーリアの封印を完了した後、祭壇の間へ通じる扉にも魔法で鍵を掛けて立ち去っていったという話だ。
その扉の鍵を、よくわからん呪文で解除したのが、他ならぬミレドア。どういうカラクリかは、よくわからん。ひょっとしたら、ミレドアは、その魔術師の子孫か何かかもしれん。年代的にみて、その魔術師はちょうどミレドアの曽祖父母くらいにあたるはず。ミレドアが持つ魔力だか遺伝情報だかが封印解除の鍵になっている可能性があるってことだ。
いずれにせよ、ミレドアが、その魔術師が掛けた魔法の鍵を、いとも簡単に解除してみせたのは事実。ならば、封神玉のロックも解除できるかもしれない、というわけだ。
「えーと……あの青い玉に向かって、例の呪文を唱えればいいんですかー?」
「そうだ。これから、あそこまで運んでやるから」
俺はひょいっとミレドアを抱きかかえた。またお姫さまだっこ。
「ひゃっ! ……えへへ、な、なんか、クセになっちゃいそうです、これ」
俺の腕の中で、テレテレと頬を赤らめるミレドア。実にウブで愛らしい反応だ。後々、別の意味でクセになるまで、じっくり可愛がってやろうじゃないか。
が、その前に。アエリア、もいっちょ仕事だ。
──アエリア、トンジャウウウゥゥゥー。
やかましい。
ふわっ、と、身体が軽くなる。
エナーリアが不安げに見守るなか、俺はミレドアを抱えて、再び、封神玉のもとへと飛びたった。




