071:封神玉
アエリア、エナーリア、ともに先代魔王の信任を受けた高位魔族の将軍であり、対エルフ戦争で活躍したという。
そのエナーリアの説明を、俺がもともと知っている魔族側の記録とあわせ、ざっとまとめてみる。
先代魔王は外見もメンタリティーもまだ子供っぽい、可愛らしい少年だった、とエナーリアは言う。もっとも、それでもきっちり結婚して正妃を娶っていたそうだから、けっこうなマセガキというべきだ。
この少年魔王は、人間や翼人にはたいして敵愾心を持たなかったようだが、一方で大のエルフ嫌いだったらしい。エルフのほうでは、むろん伝統的に魔族を嫌っている。必然、争いは熾烈なものになった。
今をさかのぼること、およそ七百年ほど昔。先代魔王は、長らく続くエルフとの小競り合いに決着をつけるため、大規模な侵攻戦を企図し、魔族軍二十万の兵力をエルフの領域にさし向けた。当時、エルフの結界というのは、中央霊府とその周辺のみを遮断する小規模なもので、エルフの森全体を覆うような巨大結界はまだ存在していなかったという。侵攻自体は現在よりずっと容易だったのだ。
エナーリア率いる水魔十四個軍団、中魔クトニア率いる地上魔族二十二個軍団、そしてアエリア率いる天空魔族六十四個軍団が、それぞれ別の方角から進撃し、エルフの森を目指した。なにせ、エルフ側はもともと総人口わずか四十万ほど。迎撃の軍勢も少なく、エルフ自慢の魔法も、魔族には一切通じない。どの方面でも、緒戦は魔族側の一方的な圧勝に終わった。
空と地上からの進撃に加え、海上からはエナーリアの水魔軍団が侵入し、河川と運河を利用して西進、ついにビワー湖近辺に前進拠点を築くまでに至った。
ビワー湖はエルフの森全体の水瓶というべき巨大湖で、湖底地下には寝ぐらに最適な遺跡もある。エナーリアはいったんここに腰を据え、あらためて上将軍であるアエリア、クトニアと合流をはたし、空陸から中央霊府を攻略すべく、作戦を練っていた。
ほどなく、エルフ側が封神玉という新たなアイテムを大量に精製し、戦線に投入してきたことで、状況が一変した。封神玉は完全物質エリクサーのデッドコピーで、万能ではないものの、用途を絞り込むことで絶大な効果を発揮する。中央霊府のエルフたちが魔族の特徴を研究し、その魔法技術を結集して作り上げた、エルフの最終兵器というべきものだった。
エルフの迎撃軍は、大量の封神玉を用いて、魔族を寄せ付けない小型結界を生成し、各戦線に強固な防壁を築いて魔族側の進撃を食い止めた。さらに魔族の五感を惑わせる様々な魔力波を放出し、罠へ誘い込んだり、同士討ちを強いたりと、徹底的に魔族側を翻弄した。最終的に、クトニアの地上軍は半壊し、アエリアの天魔軍団も前進を阻まれ、撤退を余儀なくされた。
エナーリアだけは、指揮下の水魔軍団をビワー湖近辺にとどめ、魔族の橋頭堡を確保し続けることにつとめた。より正確には、撤退したくてもできない状況だった、というべきだろう。回れ右でまっすぐ撤退できる地上軍や天魔軍と異なり、水魔は水があるところを伝って移動せねばならない。その限られたルートをエルフ側に抑えられてしまい、動くに動けなかったのだ。
エナーリアの軍勢はビワー湖近辺に孤立し、、次第に部下たちも討ち減らされていった。状況は刻一刻と悪化していき、やがて、エルフの魔術師たちの一団が、ダスクの地上階段から、エナーリアの本営である地下遺跡に侵入してきた。おそらく水魔の大将首を狙って、長老が差し向けてきた刺客だったのだろう。
祭壇上で瞑想の眠りについていたエナーリアが、異変に気付き、慌てて跳ね起きたとき、すでに祭壇は十数人のエルフの魔術師たちに包囲されていた。
魔術師たちは、例の封神玉をここに持ち込み、作動術式に取り掛かっていた。エナーリアは必死に抵抗し、その巨体でほとんどの魔術師たちを薙ぎ倒し、衝撃波で吹き飛ばしたが、ただ一人、かろうじてその場に踏みとどまった魔術師が、作動術式を完成させ、封神玉から結界を生成し、エナーリアをその内側に封じ込めてしまった。
エルフの攻撃魔法は、魔族のエナーリアには通じない。したがって、彼らではエナーリアを殺すことはできないが、封神玉を使えば封印することができる。最初から、それが魔術師たちの目的だったのだ。
エナーリアを封じた魔術師は、封神玉に何やら特殊なプロテクトをかけ、さらにこの祭壇の間へ通じる扉にも、魔法で厳重な鍵をかけて立ち去っていった。ひとり取り残されたエナーリアは、しばらくあがき続けたものの、結界の効力には如何とも抗えず、いずれ助けが来ることを信じ、魔力の消費を抑えて肉体を維持するため、いったん祭壇上で眠りについた。
「少し前に目覚めたものの、残念ながら、私を取り巻く状況は何も変わっておりませなんだ。それで、なんとか自力で脱出できないものかと……」
エナーリアが封神玉めがけて衝撃波を撃ち込み続けていたのは、そういう理由からだそうだ。それこそ、ここ半年ダスク近辺に頻発していた地震の正体。そしておそらく、その衝撃に驚いた湖の生き物たちが逃げ出し、寄り付かなくなったことが、不漁の原因だろう。エナーリアを解放してやりさえすれば、そのへんは一件落着となりそうだ。が、その前に。
エナーリアが封印された後、魔族はどうなったか。魔王城にも大雑把な記録は残ってるが、細部については、やはり経験者に聞いてみないと。ってことで、アエリアからも続けて説明を聞いた。なんせ辿々しいんで、聞き取るのに苦労したが。
──エルフの森への侵攻に失敗した魔族軍は、いったん北方に兵を返し、魔王自らの指揮のもと、組織再編にとりかかった。魔族側の被害は甚大なものがあったが、エルフ側のダメージも大きく、逆侵攻を受ける恐れはない、と判断したのだ。そこへ、降って湧いたかのごとく出現したのが、勇者だった。いわゆる二代目勇者は、魔族が対エルフ戦争に敗退した直後という、魔族側にとって最悪のタイミングで覚醒したのだ。
二代目勇者は人間の王国軍を率いて魔族軍の本陣へと押し寄せた。アエリアら魔族の将軍たちは、残余の兵力を糾合してこれを迎撃したが、ついに防ぐことができなかった。大地の巨人と称された最強の地上魔族クトニアは、人間たちの包囲攻撃でめった刺しにされ、魔王自身も勇者に討ち取られてしまった。それまで、人間に対してほとんど敵愾心も警戒心も抱いていなかった少年魔王が、人間の勇者に殺されたのだ。皮肉というしかない。
一方、アエリアも、勇者との空中戦で叩きのめされ、瀕死の重傷を負って、北方最果ての地にそびえる魔王城──現在の旧魔王城──まで落ちのびたものの絶命した。──はずだった。
──アエリア、ケンニ、ナッテタ。……イツノマニカ。
ちょっと複雑そうな口調でつぶやくアエリア。
こいつの記憶では、当時、魔王城に残留していたのは、宰相のスーさん、魔王妃レリウーリア他、あまり戦闘向きではない少数の高位魔族たち。彼らのうち誰かが、死亡直後のアエリアの魂を剣に封じ込め、魔剣としたのだろう、という。意識を取り戻したら、すでに肉体はなく、しかし不思議と自分の状態についてはすぐ把握できたそうだ。
ほどなく、魔剣アエリアは、魔王妃レリウーリアの持ち物となった。最愛の少年魔王を殺され、復讐鬼と化したレリウーリアは、アエリアを振るって幾度となく人間の軍勢を蹴散らしたが、やはり魔王不在の影響か、次第に魔力が衰えていき、ついには彼女も戦場の露と消えた。アエリアは戦利品として人間の王国へ持ち去られ、以後、人間たちの手から手へ、転々と渡り歩くことになる。
そしてこの時代に、ようやくアエリアは俺と出会った。先代魔王の死から、およそ六百年余りの時を経て、アエリアは再び魔王のもとへ帰ってきたのだ。




