703:悪役令嬢と犬
こちらの世界へ転移する直前――ブランシーカーの次元歪曲砲とやらがぶっ放される前。リネスの魔法のペンダントを通じて、ツァバトに頼みごとをしておいた。
――俺たちを迎えに来てくれるよう、森ちゃんに話を付けておいてくれ、と。
ツァバトの説明によれば、たとえ異世界であろうと、俺の現在座標はいわゆる陛下トレーサーを通して追跡できるという。ならば森ちゃんに来てもらえば、あとはどうにでもなるだろうと。森ちゃんにはまた借りをつくることになってしまうが、それはそれ。森ちゃんのほうにも、俺を連れ戻さねばならない理由がある。なにせ俺は、森ちゃんが最もかわいがってるサージャの婚約者。森ちゃんとしても、俺をよその世界に放置してはおけまい。
「ええっと、アーク……この人は?」
リネスが訊いてくる。まさに悪役令嬢かくあるべし、というゴージャス黒髪縦ロールな美貌に圧倒されてる様子。
そんなリネスへ、森ちゃんは、慈母のような優しい眼差しで微笑んでみせた。
「ふふ、あなたがリネスちゃんね? はじめまして。わたしは、エルフの森の守護者。名前はないけれど、森の大精霊と呼ばれています。ツァバトに頼まれて、あなたたちを迎えに来たのですよ」
「えっ……も、森の大精霊さま? 中央霊府の大神殿の?」
さしものリネスも驚いたようだ。なにせエルフにとって森の大精霊は最大の信仰対象。神様そのものというも過言ではあるまい。
「リネスちゃんの噂は、わたしのもとにも届いていますよ。まだ小さいけど、とっても強くて賢い、かわいい天才魔法使いさんですってね。うちのミルサージャちゃんの良いライバルになりそう」
「え、そんな……かわいいだなんて。えへへ」
リネス、いきなり照れっ照れ。なんか珍しいな。他人に褒められるのなんて慣れてるだろうに。
「……ところで、そちらの方は?」
ふと、森ちゃんがワン子に目を向けた。リネスへの優しい眼差しから一転、いかにも悪役令嬢らしい厳しい眼光が、刃のごとく閃く。
「ワン子、自己紹介しとけ」
「はい、パイセン!」
俺が促すと、ワン子は元気に応えた。
「えっと、アタシはー、色々あって、アークパイセンの後輩やってる邪神でっす。こう見えても無害なんで、心配ご無用。アークパイセンのダチなら、アタシのパイセンも同然でっす。ワン子と呼んでくださーい」
無害な邪神。どの口でいうかね。確かに今のコイツは本来の力を喪失して、かなり弱体化してるが、それですっかり心を入れ替えたってわけでもあるまい。現状がどうであれ、こいつが俺たちの世界を滅ぼしかけた「邪神」であることには変わりない。
ただ、だからといって、コイツをこの世界に置いていくわけにもいかん。むしろ、なるべく俺の手許に置いて、きっちり手綱を握っておいたほうがよさそうだ。
……という俺の心の声が、どうやら森ちゃんにも届いたらしい。森ちゃんは、小さくうなずきながら、表情を消し、能面のような顔をワン子に向けた。
「では犬。あなたも同行するということで、よろしいですね?」
千年の氷室のごとき冷ややかな声で確認する。犬って。情けも容赦もねえ。
「パイセンたちに着いていけるなら、どこでも行きますよー。それとー、森野パイセン? できれば犬じゃなくて、ワン子……」
「黙れ犬」
ぴしゃりとワン子の自己主張を切って捨てる森ちゃん。あの森ちゃんが、ここまで冷ややかな態度を見せるとは。よほどワン子がお気に召さないのか。さすがのワン子も、ちょいと二の句を継げずにいる。
と、思いきや。
森ちゃんは、つと手を伸ばし、ワン子の髪をやさしく撫でた。リネスに向けたのと同じく、慈愛溢れる優美な眼差しとともに。
「ふふふ。驚きましたか? ごめんなさいね。いまのわたしは悪役令嬢という設定らしいので、ちょっとやってみたかったんですよ。悪役令嬢ロールプレイというのを」
そう穏やかに囁く森ちゃんへ、ワン子は、くすぐったそうに笑ってみせた。
「あー、あははっ、そういうことですかー。アタシ、ちょーっとびびっちゃいましたー。もー、パイセン、お人が悪いですよー」
「では、仲良くしてくださいね。ワン子さん」
にこりと微笑む森ちゃん。だが、目がまったく笑っていないことに、おそらく俺だけが気付いている。表面上はああやって取り繕ってみせてるが、ロールプレイじゃねえ。ガチだよあれ。
その日の放課後、俺たちは校門前で再合流すると、いったん市営地下鉄に乗ってヌーヴェル・エビス駅で下車、そのまま連れだって通天閣の展望台へのぼった。
なぜ通天閣なのか。よくわからんが、森ちゃんいわく、ここの展望台あたりが、ちょうど俺たちの世界へと転移するのに都合の良い座標なのだという。
ついでに通天閣の内部をちょいと観光してみたが、俺が知ってる通天閣とは微妙に違っている部分もあった。ビリケンさんでなくビリー・ザ・キッドの木像が安置されており、頭を撫でるとステータスの狙撃命中率に(+2)されるらしい。ステータスってなんだ。わけがわからん。あと、売店では魔法少女グッズなるものが大量に売られていた。ようは変身ステッキとか安っぽい女児用ドレスとかの玩具類。この世界では、通天閣と魔法少女に何か接点でもあるんだろうか?
生憎と午後から曇天で、展望台からの景色といっても、ほとんど白く霞んでいてよく見えない。それでもリネスなどは大はしゃぎで双眼鏡を覗き込んでいた。この子にとっては、この世界で見るもの何もかも珍しいだろうしな。もう少し色々見せてやりたいが……残念ながら、あまり時間がない。
「さて、みなさん。そろそろ戻りますよ」
ひとしきり観光を終え、展望台に再集合すると、森ちゃんが能力を解放した。
周囲の時間が、ひたと停止する。以前と同じだな。転移の下準備として、俺たち四人のみ、この世界の時間から切り離されたのだ。
「みなさん、互いに手を繋いでください」
いわれるまま、俺と森ちゃん、リネス、ワン子の四人で手を繋ぎ、輪をつくる。
「あ、そうそう。先にお知らせしておきますね。いま、私たちの世界では、かなり大きな騒動が起こっています」
いきなり森ちゃんが告げてくる。
「ですので、戻って早々、アークさんたちには、色々と頑張ってもらわなくてはなりません。気を抜かず、しっかり身構えておいてください」
「おい、なんの話だ?」
「例の巨龍……バハムートでしたか。その大群が、わたしたちの世界へ攻め込んできました」
「なにぃ? このタイミングでか!」
「詳しいお話は、あちらに着いてから、ツァバトに聞いてください。では、いきますよ」
俺の驚声を軽やかに受け流しつつ、森ちゃんが、なにやら小声で呪文を囁く。たちまち周囲の情景がぐにゃりと歪み、足元の感覚が無くなった。
視界が漂白される。ようやく、元の世界に戻れる――のはいいが、ここでバハムートの侵攻とは。
こいつは、またまた忙しくなりそうだな。




