070:天魔と水魔
エナーリアが泡噴いて倒れてる間に、祭壇に置きっぱなしのアエリアを掴んで、腰のベルトに引っ掛けた。途端、ぶーぶーと不満げな声が脳内に響きだす。
──ハニー。アエリアモ、シタイ。ダブルピース。シタイ。ダブルピースー。
──シタイ。シタイ。サセレ。ンホォォォーサセレー。サセレー。
えーいもう、うるせえ。
──シタイ。サセロ。サセロ。サセロ。
だから、前にも言ったろうが。城に帰るまではどーしようもないんだよ。あんまりワガママ言うなら捨てるぞ?
ぴたっ、とアエリアの声がやんだ。
──……。
なんだ?
──イ・ケ・ズ。
古いねこりゃまた。
そうこうやってるうち、エナーリアが目を覚ましたようだ。
深々と満足の吐息ひとつ。よっこいしょっと巨体を起こし、俺に向き直る。
「……」
なんか言えよ。
「……けっこうなお点前で」
茶道かよ。
エナーリアは、うるんだ瞳で、じっと俺を見つめてきた。いわゆるひとつの熱視線。なんというか、これは──恋する女の目だ。老いても女は女ってことかねえ。実際どんくらい年寄りなのか、まだ知らんが。
「あなた様のお力。確かに見せていただきました。もう、臣下でも何でもなりまする」
ウットリした顔つきで、エナーリアは自ら宣言した。
「あなた様に……いえ、魔王陛下に、身も心も捧げて、お仕えいたしまする。犬とお呼びくだされ」
いや、おまえは魚だろ。
「……いいだろう。俺の臣下として迎えてやる」
俺は鷹揚に告げた。こいつも高位魔族の端くれならば、なにかしら役に立つ能力なり知識なりがあるはずだ。見た目からして、水に関係する特殊な魔法とか持ってるかもしれんな。
「ありがとうございます。先ほどまでの無礼は、ひらにご容赦を」
エナーリアは平伏して詫びを入れた。意外に律儀な奴だ。
「なーに、気にするな。……ところで、そっちの事情もきかせてくれんか。アエリアとの関係とか、どうしてこうなった、とかな。俺はアエリアのこともよく知らんし」
アエリアを手に入れて一週間ほどになるか。まだアエリアは自分のことはあまり語ってこない。用がないときは大抵寝てるしな。ここいらで詳しい素性を聞いておくのも一興。
「承知しました」
エナーリアは大きくうなずいた。
「では、まずアエリア様と、私自身について、説明いたしましょう。──かつてアエリア様は、天空魔族六十四個軍団を率いる天魔将軍であらせられました。その背に美しい黒翼をお持ちで、つねに銀の甲冑をまとわれ、それはそれは凛々しいお姿であられたのですよ」
は?
「蒼空輝翼のアエリアといえば、その強さと美貌において天下無双と称されたほどのお方です。そして私は、水魔将軍として、長らくアエリア様の後衛を仰せつかっておりました」
天魔将軍?
蒼空輝翼?
でもって、強さと美貌で天下無双?
アエリアが? マジか。
……スーさんから、昔の魔族には厳密な階級があったと聞いたことがある。先代魔王が定めた六階級で、魔王を最上位とし、二位以下は能力の特性や程度に応じて、魔王自身が認定を行ったという。
二位「天魔」、三位「中魔」、四位「水魔」、五位「幻魔」、六位「昏魔」の順で、四位以上を高位魔族、五位以下を下級魔族と総称したようだ。結局、先代の死と、その後の魔族の衰退によって、この制度はうやむやのうちに消滅してしまい、俺がこの世界に召喚された頃には影も形も残っていなかった。現在では、そこそこ魔力と知能の高い連中を高位魔族、それ以外を低級魔族と、きわめて大雑把に分類している。
いまのエナーリアの話だと、先代の制度で、アエリアは当時の第二位、エナーリアは第四位ということになるが。
アエリアが……六階級の第二位? でもって六十四個軍団を率いる将軍で、美貌で、天下無双……。
なんか、想像がつかないんだが。
──アエリア、エライ。エッヘン。
いや、ほんと想像できん。こんなにおバカちゃんなのに。
──エライヨ?
あー、わかったわかった。……まあ、エナーリアの入れ込みようからして、それは事実なんだろう。魔剣としても、能力的にかなり優秀な部類だしな。性格と能力は関係ないってことかねえ。
そのエナーリアが続ける。
「私は、アエリア様との共同作戦を展開するため、おもにこのビワー湖の地下をわが本拠と定め、魔族の水軍を統括しておりました」
「本拠? ここが?」
「そうです。もともと、ここは超古代の遺跡だったようですが……ここの天井は湖底に繋がっており、弁を開けば、この部屋全体を湖水で満たすことができるのです。しかも、その状態なら湖底との出入りも自在なので、水魔である私にはたいへん都合のよい寝ぐらだったのですよ」
なるほど、この部屋は湖底と遺跡を繋ぐ一種の巨大注水槽であり、祭壇はエナーリアのベッドになってたってわけか。それがなんで、封神玉とやらでベッドごと閉じ込められる羽目になったんだ?
いや待て。それ以前に、そもそもここはエルフの森の結界内。瞬間移動できるスーさんですら、結界を抜けることはできないのに、なんでエナーリアは普通にここにいるんだ?
エナーリアの反応は意外なものだった。
「森の結界……? はて……聞き覚えありませぬが」
エナーリアがここを本拠に据えて活動していた頃、まだエルフの森に、魔族よけの大型結界というものは存在しなかった、ということらしい。それどころか、このビワー湖近辺は魔族の前進拠点という位置付けで、対エルフ戦争の最前線だったという。
これは、もう少し詳しく話を聞く必要がありそうだな。




