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670:極冷世界


 北へ北へと移動を続けるうち、空間戦車内の温度が著しく低下しはじめた。

 外気温は零下八十度。居住スペースの仕切り壁の内側でも、吐く息が白い。空調は作動しているが、それでも車内温度はおそらく氷点下近い。強冷モードの冷蔵庫の中にいるようなものだ。これもまだ序の口で、気温はこれからさらに低下していくはず。


「だいじょーぶだよ。ボクに任せて」


 居住スペースの真ん中に置かれたちゃぶ台、その脇にちょこんと座りながら、リネスが元気良く魔法を詠唱する。ほどなく、リネスの周囲、およそ五メートル四方の空間のみ、温度が上昇しはじめた。


「おおー、こりゃ、あったかいねぇ……!」

「はふー、リネスちゃん、すごい……」


 シャダーンとミレドアが、リネスの左右にしゃがみ込んで、安堵の声をあげた。リネスは、自分の周囲に気温二十度前後の暖かい空気の膜を張り巡らせている。魔力を燃料とする生体ストーブとでもいうべきか。エルフの中でも飛び抜けて大きな魔力量を擁するリネスならではの芸当といっていい。


「ほおー、これは良いものだ……。いや、こう寒くては、かなわぬな。我は当面、ここから動けそうにない」


 黒髪幼女ツァバトも、ミレドアらと一緒になって、リネスのほうへ手をかざし、ほっこり暖をとっていた。大精霊のくせに寒がりってどういうことだよ。


「それがだな。サカエドの者どもに作らせたこの肉体、知覚や運動能力こそ優れているが、どうも環境耐性は凡人とさほど変わらんようでな」


 大精霊の本体そのものは気温の影響など受けないが、人造人間としての肉体は、あまり極端な環境に耐えられるようにはできていない、ということらしい。サカエド一万年の研究成果の結晶でも、まだ克服できていない問題を抱えていたか。

 で、俺自身はというと……まったく平気だ。大精霊化とは関わり無く、もともと勇者の肉体は環境適応力に優れている。この程度の低温ならばまだ余裕で耐えられそうだ。そもそも車外はもっと寒い。これからそこへ飛び出さねばならんからな。


 リネスをストーブ代わりに暖をとってる連中は置いといて、俺はひとり居住スペースを離れ、クラスカたちのいる操縦席へ向かった。


「そろそろじゃないか?」

「ああ、待たせたな。きみの城の直上到達まで、もう間もなくというところだよ」


 俺が声をかけると、クラスカが前面のスクリーンに地形図を表示してみせた。


「レーダーがほとんど役に立たないのでな。地表の様子は、こちらからは把握できない。あの周辺は、現在地よりさらに数段強烈な冷気に曝されているようだ。地表でも気温は摂氏マイナス百五十度を確実に下回る」


 うへぇ。そりゃ、さすがの俺でもキツそうだ。

 だが、やるしかない。魔王城の、ひいては魔族の危機。俺が救わずして誰が救うというのか。





 高度二百メートルまで降下。現時点で周辺気温は零下百度。既に空間戦車の活動限界ギリギリという状態らしい。

 クラスカの解析では、この北方には、さらに強烈な極冷の領域が広がっており、いくら空間戦車といえど、このまま突入するのは自殺行為だという。


 ハッチを開かせ、俺は空間戦車の外へ飛び出した。途端、凄まじい冷気が唸りをあげて全身に襲い掛かってくる。ブリザードというかなんというか、とにかく真っ白い冷気そのものが猛然と吹き付けてきている。これは寒い……! いくら俺でも、この状況下では、そう長いこと活動できんだろう。

 視界一面、ただひたすらに白い。冷たい気流が北から絶え間なく押し寄せていることだけは、この肌で感じ取ることができる。


 極冷の白空に浮遊しつつ、懐中からそっと取り出したる白羽扇――。一見、軍師ビームでお馴染みのあの丞相ご愛用の一品にそっくりだが、この羽扇そのものは、ただの飾りでしかない。本体は、柄に填め込まれた、そこそこ大きな赤い宝玉。完全物質・エリクサーのデッドコピーのひとつだが、こいつには先々代長老サリミールの手により、仙丹の魔力が封入され、気象天候を自在に操作する特殊な術法が秘められている。

 一応、事前にシャダーンから基本的な使用法のレクチャーは受けている。前の持ち主であった六将シュボダイの死後、シャダーンが、あえてこの火風青雲扇を俺に渡さず自分で持っていたのは、より詳細な操作方法を解析し、俺に伝えるためだったそうだ。


 この宝玉に一定以上の魔力を込めると、表面に複雑な模様のような光が浮かび上がる。一種のタッチパネルになっており、指先で模様を操作することで、周辺の天候や気温などを変化させることができるという。意外にハイテクだ。

 宝玉に注ぎ込む魔力が大きければ大きいほど、より広範囲に渡って、より強力な効果を発揮する。ただし、もちろん限度はある。なにより、あまり強い魔力を外から注ぎ続けると壊れてしまう。そのへん、うまく加減しとくれよ――とはシャダーンの助言。


 俺は羽扇を前にかざした。といっても、もう羽がすっかり凍り付いちまって、ぽろぽろと崩れていってる。柄のほうは素材が特殊なのか、この冷気の中でも問題ないようだが。もはやただの棒だな、これ。

 慎重に、宝玉へ俺の魔力を注ぎ込む。その表面に浮かぶ光の模様を、シャダーンに教わった通りに操作してゆく。まずは周辺の気温を司るデータ領域へアクセスし、アドレス内の数値をどんどん書き換えてゆく……。


 ってこれ、あの賢者の石と同じ理屈か。つまり環境限定の、一種のチートツールと。これなら問題なくやれそうだ。なんで入力数値が十六進数なんだか……ともあれ、設定気温は摂氏二十六度……ってことは1A……として、風速はとりあえず00、と……範囲はこれくらい……。

 よし、書き換え完了。


 ――ほどなく、俺の周囲で、気温が急上昇しはじめた。



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