067:祭壇に横たわるもの
ミレドアが言うには──俺がはじめて店を訪ねてきた時点で、すでに俺にひと目惚れしていた──らしい。
「たっ、ただ、自分自身でも、しばらく、そのことに気付いてなくて、ですね……とにかく、胸がきゅうううん、ってなっちゃって、何がなんだかよくわからないけど、とにかく、どうしてももう一度お会いしたいなーって思って、お釣りをですね……」
あのとき、わざわざ馬車まで追いかけてきたのは、そういうことだったのか。
「で、その、いまさっき、抱っこされちゃったときに……あ、そういうことなんだって、やっと、気付いちゃいましてー……」
それで妙にモジモジしてたのか……。
ただ、その気持ちは嬉しいんだが、今はそんな話をしてる場合じゃないな。
俺は、つと手を伸ばして、そっとミレドアの髪を撫でてやった。
「詳しい話は、あとでじっくり聞かせてもらう。今はまだ……な。しっかりついてこい」
「は、はい! ついていきますっ!」
思えば、こいつはここまで、助手どころかお荷物にしかなってない気もするが、こんな陰気くさい場所を一人でウロウロしてもつまらんしな。賑やかし程度には、ミレドアも役に立ってるといえなくもない。
暗いホールを横切り、巨大な鉄の扉の前に立つ。高さ四、五メートル、幅二メートルくらいの両開きで、いかにも頑丈そう。ドアノブのようなものは見当たらない。鍵穴もない。むろん、少々押しても、びくともしない。どうやって開けるんだこれ。
「……ぶっ壊すしかないか」
俺様の力なら、素手で殴るだけでも十分壊せるだろう。変な魔法とか掛かってなきゃな。
ミレドアが冗談めかして言った。
「試しにー、呪文となえてみましょうかー? ラ・ヨダソウ・スティアーナ……なーんてー」
「そりゃさっきの地下室の開錠呪文だろが」
「あ、やっぱダメですか。てへっ」
いきなり、どこからか、ガチャリ、と金属音が響いた。
続けて、ギギィー……と、耳障りな軋みをたてながら、巨大な扉が、ゆっくり、奥へ奥へと開いてゆく。
「あ、あれ……」
ミレドアが、ぽかんと目を見開いた。
「……まさか、正解だったのか?」
俺は驚き呆れつつミレドアのほうをかえりみた。単なる偶然の一致とは思えない。
「ミレドア、その呪文は……」
「えっ? 昔、わたしが適当に考えたものですよ。地下室の扉をロックするためのキーワードで、それ以上でもそれ以下でも……」
ほう。ならばこれは、呪文じゃなくて、ミレドアの声、もしくは存在そのものに反応して扉が開いた、と考えるほうが妥当かもしれない。とすれば、ミレドアをここまで連れてきたのは正解だったってことか。なんにせよ、そのへんを追求するのは後回しだ。今は先にやるべきことがある。
「とにかくー、せっかく開いたんですから、入ってみましょぉー」
なぜかミレドアが、俺の先に立って中に入ろうとする。
「ちょ、待っ」
言いもあえず、カチリという音が周囲に響いた。ミレドアが、嬉々として開いた扉の向こうへ足を踏み入れた途端、またもや床のスイッチを作動させてしまったらしい。
うなりをあげて金ダライが落ちかかり、ミレドアの脳天にバギャゲゲーン! と直撃する。
「ぽげっ」
再びミレドア即死。この期に及んで、なぜタライ。
ともあれ蘇生させてやらんと。俺は溜息をつきながら、扉の向こうへと踏み込んだ。
途端、俺の全身に電流のような緊張が走った。勇者としての気配察知能力が、全力で警告してくる。強い魔力が、俺を一気に呑み込もうとしている──と。
どうやら緊急事態のようだ。ミレドアのことは後回しにせざるをえない。
広大な石造りの空間。はるか上方に、青く輝く巨大な光球がふわふわ浮かんでいる。どういう物体だか、まだ判断できんが、相当な魔力を秘めているのは間違いない。
内壁は材質不明だが、ガラス質のタイルか何かで覆われている。床はおそらく黒曜石を敷き詰めたものだろう。そして最奥部にそびえる巨大な祭壇。何十という篝火が、祭壇を囲むように燃え輝き、壇上に横たわる「それ」を恒々と照らし出している。
体高は五メートルほどだろうか。体長のほうはというと、二、三十メートルぐらいはあるかもしれない。
一見、魚のように見える。アマゾン川のピラルクーとか、ああいう感じの巨大魚をさらにスケールアップしたような。
しかし、よくよく見れば、その腹からは、人間のもののような頭が突き出ている。胴からは人間のもののような腕が、尻尾あたりからは、やはり人間のもののような脚が。ぱっと見には、巨人が巨大魚にのしかかられている、あるいは巨大魚の着ぐるみをまとった巨人がうずくまっている、というほうが近いだろうか。見方によってはユーモラスなフォルムといえなくもない。
つまりこれは──半魚人。超特大サイズの半魚人だ。
アエリアが、俺に囁いた。
──エナーリア。
なに? なんだって?
──エナーリア。マゾク。アエリアト……オナジ……。
心なしか、アエリアの声が、少し震えているように思える。えらく複雑な心情が、俺の中に流れ込んでくる。驚愕、歓喜──そして懐旧。どういうことか。
俺がアエリアに問い返すより先に、祭壇上の巨大半魚人が、ゆっくりと頭──魚のほうの──を持ち上げ、こちらへ向けてきた。
おもむろに魚の顎がクワッと開く。
次の瞬間、目に見えぬ強烈な衝撃波が、俺の全身を打ち叩いた。




