668:叩いて砕く
ハッチから勢いよく外へ飛び出してみると、そこは乱気流吹き荒れる暴風の世界。
――真空というほどではないが、かなり空気が薄いようだ。現在の高度は上空一万メートルほど。対流圏上層にまで達している。こんな高度まで素で上がれるんだから、空間戦車のスペックってとんでもねえな。
その空間戦車は、素早くハッチを閉じると、そこに浮いたまま、ひたと静止した。まるで気流の影響を受けていないように見えるが、これは重力制御とオートバランサーの性能によるものだとか。むろん、俺自身も凄まじい強風に煽られながら、意識して姿勢を保っているような状態だ。アエリアの魔力に頼って飛んでいた時と異なり、今の俺は自力で飛行も浮遊も可能になっている。。
轟々たる大気のうねりを聴きながら、ともあれ眼前の情景をじっくりと観察してみる。白夜の天地を覆うオーロラ状の電磁障壁。淡く多彩な光のカーテンが幾重にも折り重なって、ゆったりと風になびいているようにも見える。モニターごしでもなかなか壮観だったが、こうして生身で相対してみると、実にカラフルで幻想的。だが自然現象ではない。リネスが感じ取り、ツァバトも認めていたように、あそこから感じられるのは、膨大な魔力。その放射による大気への干渉が、あのような見ためを作り出している。まさに大精霊シャダイの面目躍如といったところか。
だが今の俺ならば――。
空間戦車から離れて、ゆっくりと宙を進む。腰には一応アエリアを佩いてきてるが、今回は抜く必要もあるまい。出番無しだ。
脳内に、そのアエリアの声が響く。
――やっぱり用済みなんだー! アエリア、パーティー追放されちゃうんだー! 復讐してやるー! ざまぁしてやるー!
なんか、最近流行ってるみたいだな、そういうの。もっとも、パーティー追放はともかく、この世界にゃ俺を恨んでる奴なんて星の数ほどいるだろう。魔王時代はむろん、勇者になってからも、割とあっちこっちで無慈悲な振舞いをしてるしな。それくらいの自覚はある。復讐したけりゃいつでも来やがれってなもんだ。まとめて返り討ちにしてくれるわ。
オーロラへ接近するにつれ、肌に圧力を感じはじめた。膨らみ続ける巨大ゴム風船に、全身でぶつかってるような感覚といえばいいか。エネルギー放射の影響か、見えざる大気の膜のようなものが、強烈な反発力で俺を押し返そうとしている。昨夜、クラスカは空間戦車でも電磁障壁には接近できないと云ってたが、確かに、これを突っ切るのは難しいだろうな。
俺ならば、この反発力を押し切って、さらに障壁へ近付くことも可能だが、身体はともかく、服が破れかねん……。目的を果たした後、全裸で帰還とか、さすがにどうかと。いまの俺の様子も、みんな空間戦車のモニターごしに注目してるはずだし。
さて――この障壁はシャダイの仕業だという。俺は目をこらし、その発生源を解析してみた。大精霊エロヒムの力を擁するがゆえに、この眼は、同じく大精霊たるシャダイの魔力を感知できるようになっている。どうやらシャダイ自身が、この近くまで来ている。俺の現在位置から十数キロ離れた北方……ゴーサラ河の北岸付近、高度は一万二千メートルぐらい。用いている魔力は、何らかの術式によるものではない。ただひたすら純粋な魔力の放射によって付近の空間を覆いつくし、巨大な壁をつくっているようだ。
これをぶち抜くには、一定以上の物理衝撃力もしくは魔力を直接叩き込む必要がある。純粋な物理攻撃だけでは、ちょっと威力が足りない。だが、この拳に、魔王65535人分の魔力を乗せて、一気に撃ち放てば――って、いかん。それを本当にやったら、この大陸丸ごと消し飛びかねん。ある程度までセーブせねば。
俺はぐっと右拳を握り締め、そこに体内の魔力を込めた。ぼううっ……と、青白い燐光が拳を包むように浮かび上がる。だいたい全力の百分の一にもならない程度だが、これでも俺の見立てでは、障壁をぶち破ってお釣りが来るほどの破壊力がある。
小細工は無用。あとはこいつを、まっすぐ前へ――叩きつける!
俺は右拳を突き出した。途端、ぐおううっ! と、周囲の大気が渦巻き、吼える。拳から障壁へ向けて、膨大な魔力を乗せた青い輝きが、扇状に広がりながら、ぐんぐん伸びてゆく――。
視界の先で、猛烈な赤い電光が四方へ弾けた。俺の魔力が障壁に届いたようだ。互いに干渉し、ぶつかりあい、反発しあっている。だが……。
光のカーテンに亀裂が走りはじめる。ほどなく轟音とともに、輝くオーロラは、ガラスのように崩壊し、砕け散った。破片が七色の光の粒と化して、見るも鮮やかに飛び散り、消えてゆく。俺の前進を阻んでいた圧力も完全に消え失せた。白夜のようだった周囲の光景も、次第に本来の暗い星空へと戻りつつある。
大気の乱流の彼方、風の唸りに乗って、ふと、かすかに悲鳴のようなものが聴こえた――。
……あ、やべ。もしかすると、勢いあまって、シャダイ本人までぶっ飛ばしちまったかもしれん。




