066:ホールに響く獣声
ミレドアをお姫様抱っこしながら、通路を「飛んで」いく。少し意識を集中させないとまっすぐ進めない。ちょいとお荷物があるおかげで、前回空を飛んだときとは、また勝手が違うようだ。
ミレドアはなぜか、俺の腕のなかでモジモジしている。
「なんだ?」
「い、いえ……ちょっと、わが家の家訓を思い出しましてー……」
「なんだそりゃ」
「いえ、そのぉ、たいしたことではないので……」
ミレドアはちょっと潤んだ瞳を向けて、微笑んできた。妙に恥ずかしそうな様子。だが、こちらもそう構っていられない。集中しないと。
トラップ地帯を越え、さらにアエリアの指示どおりにいくつかの分岐を通り抜けると、次第に視界がひらけてきた。通路の幅がだんだん左右に広がってきている。はるか前方に、ホール状の空間が大きく口をあけているのが見える。
──マッスグ。モウスグ。コロス。コロセ。コロセ。
アエリアが興奮している。あそこに何か敵がいるってことだな。お宝を守るガーディアンか何かか。
あれほど大量のトラップで侵入者を阻んでいた迷宮だ。よほど大事なものが存在しているに違いない。誰にとって、どういう理由で大事なのか、そこまではまだわからんが。
「降ろすぞ。ぼちぼち目的地みたいだ」
「あ……はい。や、やさしく、お願いしますぅ」
なぜかウットリ顔で呟くミレドア。
ホール入口の少し手前で、ミレドアをそっとおろして地面に立たせる。
「俺から離れるなよ。何が起こるかわからん。しっかりついてこい」
そう言い聞かせると、ミレドアは、やけに元気溌剌な笑顔を向けてきた。
「はいっ! 絶対離れません! どこまでも、ついていきまーすっ!」
さっきから様子が変だ。まあ、いいか。
ホールに足を踏み入れる。構造的には、あれだな。あの地下通路の動力室によく似ている。四方ほぼ五十メートルくらいの広々とした内部。煉瓦の壁。天井はやはり高すぎてよく見えない。エリクサーのような動力源や、祭壇などの構造物は一切見当たらない。ひたすら、がらんどうの空間だ。ただ、奥のほうは照明が届いてないようで、暗くてよく見えん。かなり大きな扉らしきものがそびえていることだけは、かろうじてわかる。まだここから先にも、部屋なり通路なりがあるのか。
さっきから、明確な敵意がこちらに向けられているのを感じる。さて、何だろうな。
アエリアの興奮は極点に達している。
──コロセ。コロセ。コロセバ。コロストキ。
おうおう、やる気満々だな。
──コロシ。コロス。コロサー。コロセスト。
もう何がなにやら。
ふと、ホールの最奥部から、ざっざっ、と複数の足音が聴こえはじめた。グルルルー……フゥゥゥー……と、低く唸るような獣声がはっきり響いてくる。
「ひょえぇっ!」
ミレドアが声をあげる。俺は宥めるように言った。
「そこでじっとしていろ。どうせ、たいしたもんじゃない」
暗いホールの奥から、ゆっくり姿をあらわす複数の黒い影。
身長は二メートルあるかなしか。一応、二本足で立ってはいるが、衣服などはまとっておらず、全身が黒い体毛で覆われている。やや背は曲がっていて、顔は──犬? 違う。こりゃ狼だ。つまり、人狼か。それが四体。いや、なんか一匹遅れて、あわてて追いついてきたぞ。五体だな。
おかしい。人狼といえば、いちおう魔族の端くれだ。エルフの結界の中で、そんなものと鉢合わせるとは。どこからどうやって入り込んだ? わけがわからん。
いずれもオパールのような目を爛々と輝かせ、牙を剥き出しにしている。息も荒い。相当な興奮状態だ。ガルルゥー! とかアオォーン! とかクゥンクゥン! とか吠えたり哭いたりやかましい。人狼は魔族のなかでは比較的知能は高いはずなんだが。本来は理性的で、きちんと話も通じる連中だ。ただし、満月の夜だけは例外で、このときばかりは理性を失って凶暴化する。
アエリアが、そっと囁いてきた。
──マホウ。アヤツル。マホウ。
ああ、そういうことか。どうやら、このホール全体に、何らかの魔法が働いてるようだ。推測だが、人狼どもの体内時計を魔力で狂わせ、満月の夜と錯覚させることで、強制的に興奮状態を惹起させてるんじゃないか。
魔力の発生源は、おそらくホールの最奥に見えている大きな扉。その向こう。魔力の元を断ちさえすれば、人狼たちは正気に戻るだろう。が──そもそも、その扉へのルートをあいつらが阻んでるわけで。
こうなったら、選択は一つしかない。
「やむをえん。おまえはそこで待っていろ」
ミレドアにそう言いつけながら、俺は腰のアエリアを抜き放った。五体の人狼どもも一斉に身構える。いまにも飛び掛ってきそうな体勢だ。互いの距離は十五メートルほどか。
俺はアエリアをかざし、床を蹴って突進した。
人狼どもが俺の動きに反応する。俺めがけ一斉に駆け出してきた。さすが魔族。人間なんぞと比較にならん素早さ。
まず先頭の一体へ向け刃を突き出す。たやすくその胸もとを貫き、すかさず刃を引き抜いたところへ、左右から人狼の鋭い爪がうなりをあげて襲い掛かってきた。こいつら、いちおう俺の動きが見えてやがる。だが、身体のほうが反応しきれないようだな。
バックステップで左右からの攻撃をかわし、右足をぐっと踏み込みつつ、斜め下からアエリアを振り上げる。輝く刃が風を巻き、二体の人狼の首を、ただ一閃のもと、はね飛ばした。
三体の人狼が、ほぼ一瞬のうちに、断末魔の声をあげる暇すらなく即死し、鮮血を噴き上げつつバタバタ斃れてゆく。残るは二体。正気を失っているだけあって、目の前で仲間が惨殺されても、臆する色さえ見せない。大きな顎をクワッと開き、猛然と咆哮をあげ、左右から襲いかかってくる。
まず体勢を左へ向け、一気に踏み込む。人狼の爪が俺に届くより先に、あえて懐へ飛び込み、その胴を横薙ぎにぶった斬った。手応えじゅうぶん。これで四体目。
振り向いたところへ、俺の肩口めがけ、最後の人狼が袈裟掛けに爪を振りおろしてくる。俺はステップを踏んで相手の右側面へ回り込み、その一撃をかわしてみせた。そのまま、アエリアの切っ先を突き出し、人狼の心臓を刺し貫く。
アエリアを鞘に戻すと同時に、最後の一体も、胸から血を噴きながら、どうと倒れた。これで全て片付いたか。
──許せ。
俺は、血泥に沈み動かなくなった哀れな人狼たちに、心の中で語りかけた。魔族は俺にとって、わが子も同然。できれば、手をかけたくはなかった。こいつらを狂わせた魔力の元を断ったうえで、蘇生を試みるとしよう。
「す、す……すごッ……!」
ミレドアは、ただただ呆然と目を見開いて、立ちつくしている。ま、そりゃびびるわな。
「なにをボケッとしてるんだ。行くぞ」
「は、はいいいっ!」
ミレドアは大慌てで俺のもとへ駆け寄ってきた。
「ゆ、勇者さまって、凄いんですね……!」
「惚れたか?」
あくまでジョークのつもりで、そう訊いてみたんだが。
ミレドアは頬を赤らめ、恥ずかしそうに答えた。
「さ、最初から……そのー。ひと目惚れ、っていうかー……」
え? そうだったの?




