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653:大精霊が倒せない


 ツァバトの精神攻撃(?)により、すっかり隙だらけのエロヒム憑依体。

 俺は迷わず地を蹴り、右拳を握り締め、渾身の一発をエロヒムめがけ叩き込んだ。


 炸裂する超音速の一撃。巻き起こる衝撃波が大気を裂き、地を抉る。

 エロヒムは不気味な笑みを顔面に張りつかせたまま、この不意打ちに反応できず、跡形もなく吹っ飛んだ――。


 かに見えた。

 ふと気付くと、俺は、拳を握り締めたまま、ただエロヒムを見据えて身構えていた。


 ……あれ?

 ……なんだ?


 いま、俺は確かに、エロヒムに初撃をぶち込み、見事に吹っ飛ばした……はずだ。

 何かが、おかしい――だがともかく、まだエロヒムはそこに突っ立っている。ならばぶった斬る!


 俺はアエリアを抜き放ち、渾身の踏み込みで、まっすぐエロヒムへ斬りかかった。

 分子結合すら絶ち切る瞬刃の一斬。エロヒムの顔面、見事真っ二つ――。


 とは、ならなかった。

 俺は、まだアエリアの柄に手をかけた状態で、エロヒムと向かい合っていた。エロヒムは相変わらず、キモい笑顔をツァバトのほうに向けて、何かぶつぶつ囁いている。


「あああっ、そこのぉ、カワイイ子っ、は、はやく、こっちへおいでっ……ボクがっ、た、助けて、あげるからねっ、そしたら、ぼぼっボクと一緒に、いいとこ、行こうねっ、いっぱい、可愛がって……あげるから……それからぁ……キミの(自主規制)を(自主規制)して(激しく自主規制)の(とてもここでは書けない自主規制)を……ぐふ、ふへへ、ウェヒヒヒヒ」


 ひええ、キモすぎる! テキストでも大概だったが、こうして直接声に出されると、おぞましさ十倍増し!


「ででっ、でもその前に――ウヒヒヒッ」


 ぐっ、と俺のほうへ顔を向けてくるエロヒム。


「おやおやぁ、ゆ、勇者、不思議そうな顔、してる……ねぇ? 確かに、ボクをぶっ、ぶっ飛ばした、はずなのに……って?」


 げっ。もしかしてコイツ、さっき何かしたのか?


「ぼぼっ、ボクはねぇ? 因果律に、かか介入して、事象を書き換え、る……ってのがね? それが、ボクの力……ヒヒヒッ」


 そういやさっきツァバトも言ってたな。エロヒムの権能とやらか。


「勇者ぁ、キミがっ何をしようと、ボクは、すっ、すべて……キャンセル、できちゃうからねぇ? 無駄なあがきはやめて、そ、その子を、ボクに渡しなよ……」


 俺の行動を後付けでキャンセルするだと?

 因果律に介入した……ってことはあれか。俺がぶちかました不意打ちを「なかったこと」にした、とか、そんなところか。これ、ひょっして、森ちゃんの時間操作と同じくらい厄介な能力じゃないか?


「ほ、っ、ホントならさぁ、キミ、今ごろは、ボクが仕掛けた、無限ループにハマってる、ハズなんだよねぇ。それはっ……森のババアに、じゃ、ジャマ、されちゃったけどさっ」


 ザグロス山での一件か。確か、あらかじめ強力な送還魔法陣を仕込んでおいて、俺を過去の世界に飛ばしたんだったな。あの時点では、どういうカラクリだか正直よくわからなかったが、なるほど、今ならわかる。エロヒムが俺の因果に干渉し、俺が魔王として召喚されたという事実を「キャンセル」し、その直前に近い状況へ戻したわけだ。もし森ちゃんの助けがなかったら、俺はそのまま、なんの自覚もなく、同じことを延々繰り返す無限ループに陥っていたことだろう。それにしても、森のババアって。そりゃエルフの始祖ってくらいだから、実年齢は相当なもんだろうけど。


「むっ、胸が出た女は、みんなババアなんだよッ! ぼぼっ、ボクは、女は、ツルペタしか認めないッ!」


 いきなり力説するエロヒム。いや別に何も聞いちゃいねーよ。ツルペタって、ようするに何も無いってことじゃねーか……。虚無を愛する――とか言うと、まるで高尚な趣味みたいに聞こえるかもしれない。どうでもいいことだが。


「で、でもっ、今度は、ジャマは入らないっ。あのババアっ、いまは、ミルサージャたんをっ、見守るのに手一杯の、はず……!」


 うーむ、そういう考え方もあるか。俺とツァバトは、エロヒムをサージャから引き離すために行動してたわけで、エロヒムの認識とはアクションとリアクションが逆だ。とはいえ実際、この状況で森ちゃんの助力は期待できまい。自力でどうにかせねばならんのか。


「わ、わかったかぁ、キミじゃあ、ぼぼボクには勝てないんだよぉ! ぎゅげへぇ! べぎゅふぇぎゅぶぇふぇふぇ!」


 胸をそらして勝ち誇るエロヒム。なんだそのやたら発音が難しそうな複雑怪奇な笑い声は。ふざけとんのか貴様。


「さ、さあ、勇者っ、そこからっ、離れろ……! おとなしく、その子を、渡せばぁ……命だけは、たっ助けて、やる……!」

「そういうわけにはいかんな」


 俺は首を振った。いや正直、ツァバトがエロヒムに何をどうされようが、それはそれで、とくに問題ないような気もするんだが。ツァバトの肉体は人造人間、ただの依り代でしかないし。


「こら汝、この期に及んで、何を考えておる。我はエロヒムに(熱く激しく自主規制)など断じてされたくないぞ」


 なんとも嫌そうな顔して、こっそり苦情を囁いてくるツァバト。そりゃ嫌だろうなぁとは思うが、いざとなりゃ肉体を捨てて逃げることもできるだろう。精霊なんだから。

 ……とはいえ、エロヒムにこうまで言われて、素直に引き下がれるものでもない。ここまでの様子を見るに、もとは生命繁栄に力を尽くした大精霊も、長すぎる年月によって理性が磨耗したのか、いまや人格ならぬ神格が完全に崩壊している。ただの変態ロリコンの域を超えた狂気を感じとれる。まるで敬意など湧いてこないし、むしろこれを野放しにしとくのは人類全体にとって色々マズいんじゃないかという危機感すらおぼえる。


 となれば、ここは、やるしかないじゃないか。

 俺が身構えると、エロヒムは怒り心頭という形相で両眼をぎらつかせ、俺を睨みつけた。


「お……っ、や、やる気かッ? ぼぼっボクは、警告、したからなァ……!」


 エロヒムが右手をぐっと差し伸べる。その掌が強く蒼い輝きを放った。ただ光っているのではなく、細い光線が複数、エロヒムの前に縦横に駆け巡り、空中に円形の模様に似た何かを描き出してゆく。

 これは――まさか、魔法陣?


 俺はアエリアを抜いて地を蹴った。あの魔法陣が具体的にどういう効果を持つのかわからない。だが完成すれば、絶対ロクなことになるまい。その前にエロヒムをぶった斬らねば――!

 ――ふと気付くと、俺はまたも、アエリアの柄に手をかけた状態で、ただ地面を踏みしめていた。またキャンセルか! なんつう厄介な能力だよ!


 そうこうするうち、エロヒムの前面に、蒼く輝く魔法陣が完成しつつある。

 マズい、このままでは……!


「さああ、この世界から、け、消し去ってやるうぅ! けふふへへぎゅぢゅぢぇびぇ!」


 もはやキモいを通り越してわけがわからない笑声をあげながら、エロヒムが叫んだ。

 完成した魔法陣が空中に蒼く激しく輝きはじめた。ほどなく、俺の眼前の空間が急激に歪曲暗転し、視界が闇に閉ざされる。この感覚は、ザグロス山で経験した、あの送還魔法陣の……!


 そのとき――。

 焦る俺の耳に、パキン! と、指を鳴らすような軽快な音が聴こえた。


 ほぼ同時に、暗転していた視界が回復した。

 俺の前には、妙ちきりんなポーズで右手を突き出すエロヒムの姿。空中に浮かんでいた魔法陣は、きれいさっぱり消え去っている。

 なんだ、今のは。何が起こった?


「いけませんねぇ。アークさんを消されてしまっては、これまで私がやってきた投資が無駄になってしまうではありませんか」


 涼やかな声とともに、森の木々の間から姿を現したのは――。

 黒絹のごとき長髪をなびかせ、四肢なよなかに銀の竪琴を抱き、亜麻の衣をゆったりとひるがえす、さながら蒼月の化身のような白貌細腰の美青年。


「ルード……?」


 ただただ目を見張って立ち尽くす俺へ、ルードは木漏れ日のような微笑を向けてきた。


「アークさん。あなたに恩を売りつけに来ました。なるべく高く買ってくださると有難いですね」


 恩の押し売りかよ!



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