651:鍛えられし魂
異次元の神……とやら。
そも何者か。
この世界における叡智の化身、精霊ツァバトの知識をもってしても、その正確な実態は把握できないという。
ハッキリしているのは、その異次元の神は、世界の外からやって来て、世界の壁を打ち壊し、侵入をはかっている、という事実。
シャダイは、これを阻止すべく、空間断裂を中心とする大陸北方上空の分子運動を極限近くまで低化させ、異次元の神がこちらの世界に実体化するのを防ぎ続けている――という。
分子運動の低化は、すなわち熱エネルギーの低下。異次元の神が何者かはわからないが、現時点ではまだ実体を持たない霊的存在であり、次元断裂を超えると同時に、この世界における物理的実体を得ようとしているらしい。それには膨大なエネルギーを必要とする。シャダイはあらかじめ断裂の周囲から熱エネルギーを奪い去ることで、迷惑な来訪者の実体顕現を全力で妨害しているわけだ。
ツァバトが言う。
「おそらく現在、かの亀裂の周囲は絶対零度に達しているだろう。汝の城も、そのとばっちりを受けておるわけだな。地下にまでは、まだかろうじて影響は及んでいないが、それも時間の問題であろう」
「つまり、急いで駆けつける必要があるってことだな?」
「そうだ。とはいえ、まだ多少は猶予がある。いまのうちに、色々と準備をしておかねばならん」
「準備?」
「そもそもだな。いま汝が、かの城に駆けつけたところで、それだけではどうにもなるまいが。さきほど汝が思いついたように、火風青雲扇とやらで一時的に周辺の気温を上昇させ、城の者どもを救い出すことは確かに可能だ。しかし根本的な解決にはならぬぞ」
「根本的な解決って、どうするんだよ。その異次界の神ってのは、シャダイでも抑え込むのがやっとなんだろ。まさか、俺に、そいつを倒せってんじゃないだろうな?」
「そのまさかだ。むしろ、汝にしかできぬぞ?」
しれっと、ツァバトは言いきった。そんなアホな。大精霊様にできないことが、俺にできるわけねーだろ。
「先ほど語ったように、シャダイは最初からそのつもりで、汝に様々な力を託していたのだ。汝が魔王としてこの世界に召喚された、その瞬間から、シャダイの計画は既に動きはじめていた」
え? そんな前から?
「あの小さな宝玉の中から、シャダイは汝の意識に思考誘導を施しておったのだ。汝が翼人の国を攻撃するよう仕向け、自分自身を汝のそば近くに置かせ、さらに汝の手で賢者の石のエネルギーを宝玉に注がせ、自らの弱まっていた霊力を回復させた。それらもすべて、あやつの計画の一端といってよい」
えぇー。じゃあなにか。俺は長いこと、シャダイにいいように操られてたのか。
「我は、あやつの計画には反対していたのだがな。汝は所詮、リリスの魔王召喚術式に奇跡的なタイミングで呼応し、たまたまこの世界に引き寄せられてきた魂にすぎぬ。いわばよそ者だ。この世界に愛着を持たぬ者に、そんな巨大な力を持たせるべきではない……と」
よそ者……か。確かにそれは事実だが、こっちに来てもう七十年以上になる。それなりに馴染んでると思うけどな。リリスって誰だっけ? と一瞬思ったが、七仙の連中から聞いてたな。スーさんが生身のサキュバスだった頃の名前だとか。
「ゆえに先日、我は汝に試練を課した。対象はなんでもよかったが、汝がこの世界において、何かを守らんとする強い意思と気概を示せるかどうか。そこをテストしてみたわけだ。結果は我の想定をも超えるものだった」
あー、地下書庫で転生トラックをぶちかまされた一件か。あれは本当にやばかった。リネスを見捨てるという選択肢もあったはずだが、なぜかあの時は、そんなことは微塵も思いつかなかったな。なんとか守ってやらねばと、そればかりを考えていた。
「あの結果を受けて、我は汝への見方を変えることにした。シャダイの計画にも、条件付きながら協力することに決めたのだ。もっとも、シャダイは、最終的には汝を使い捨てるつもりでおる。そこだけは、我は賛同する気はない」
……そうか。ツァバトが試練の直後に俺に告げた、シャダイを信用するなってのは、そういう意味か。そりゃ、用済みになったらポイ、じゃたまらんしな。
「魔王と勇者のシステムについては、ここで我が述べるまでもあるまい。汝は既に肌で知っているであろう」
えーと、たしか。魔王とは、この世界において、救われぬ無数の昏き霊魂どもの導き手……魔族とは、イビツな魂のまま受肉し、まっとうな生命になりそこなった連中の総称であり、それを導き、まとめあげるのが魔王の本当の役割だ。そして勇者とは、魔王の意思と魔力が暴走を始めた際に出現するストッパーであり、一種のセーフティプログラム。
魔王が、この世界そのものが自然に作り上げた、いわば天然の霊魂自浄システムであるのに対し、勇者は人為的に仕込まれた存在だ。誰がわざわざそんなものを仕込んだのか、俺はまだ知らないが……ツァバトの口ぶりからして、おそらくシャダイだろうな。
「それで正解だ。ただ、いまはそこは問題ではない」
またも俺の思考を勝手に読んで応えるツァバト。
「いま重要なのは、それらのシステムを通じて、汝の魂と精神を鍛え上げ、いずれ精霊以上の力を備える上位存在へと昇華させる……それがシャダイの計画であったということだ。そして、それは成就しつつある」
そんな実感は全然無いけどな。確かに現在の俺は、勇者以上の身体能力と、魔王時代を凌駕する魔力を兼備している。しかしそれでも――世界の壁を叩いて砕くほどの巨大な力に対抗しうる自信など無い。
「自信が無くて当然だ。実際、まだ汝にそれほどの力は備わっておらん。それゆえ――」
ツァバトは穏やかに告げてきた。
「まさにこれから、最後の仕上げを行うのだ。汝にはこれから、エロヒムと直接に矛を交えてもらう。その試練に打ち勝ったとき、汝の力は、我やシャダイをも凌駕するものになっているであろう」
……は?
結局、俺がエロヒムと戦うの?
もしかして俺、まんまとツァバトの思惑にハメられちゃった? ああ、とっておきの切り札ってそういう――。




