646:良いしらせ
チーとの通信を切り、大急ぎで思考をめぐらせる。
魔王城周辺を襲う異常冷気。まずはこれに対抗する手段が必要だ。
そこで俺が真っ先に思いついたのが――エルフの森の先々代長老サリミールが製作したという気象兵器、火風青雲扇。
コアとなる部分は完全物質エリクサーのデッドコピーであり、そこに同じく完全物質、仙丹の魔力が注ぎ込まれている。ついでに風仙ビョウ、火仙アグニの魔力も封入されており、それが名前の由来だとか。念じるだけで風を呼び込み、天候を変化させるという、魔王でも勇者でも不可能な芸当を可能にする力を秘めている。
以前は北苑の六将の一人シュボダイが所持していたが、俺がシュボダイを討った後、シャダーンが持ち去っていた。あれを入手できれば、魔王城の現状を打破できるはずだ。そのシャダーンは、もう南霊府に戻ってるはずだが……。
「あの星読みならば、南霊府にはおらぬぞ?」
俺の思考を勝手に読んで、ツァバトがぽそりと呟いた。なぜか俺の胸もとを両手両足でがっちりホールドして、全身ぴっちり張り付きながら。
俺がチーと話してる間、コイツは何を思ったか小さな身体で必死に俺にしがみ付き、俺の胸にぐりぐり顔を押し付けたり、くんくん嗅いだりしていた。なぜ嗅ぐ。いちいち突っ込む気にもなれないので、ここはスルーで話を進めよう。
「居場所を知ってるのか」
「うむ。我に知らぬことなど何もない。少なくとも、この世界の内側の事象に限ってはな。ただし、汝のように、この世界の外からやってきた存在については、どうにも把握しきれない場合もあるが」
くんかくんかと俺の胸もとを嗅ぎながら応えるツァバト。だからなぜ嗅ぐ。しかもやけに嬉しそうというか、なんとも陶然たる顔つきになっている。俺の匂いに何かあるのか? いや突っ込むだけ無駄だとはわかっちゃいるが。
「……で、シャダーンはどこに?」
「かの者は今、ダスクに逗留しているぞ」
「ほう?」
ダスクって、ちょうどこれから行こうとしてた場所じゃねーか。あそこにはリネスがいるはずだし。
「偶然ではないぞ。かの者は、汝の行動を星の運行から読み取り、常に先回りをしているのだ」
なるほど、星読みってのはそういう能力だったな。ってことは、あのババア、魔王城の窮状も既に知ってるんだろう。
「そういうことなら話は早い。俺はすぐダスクに向かう」
「そうか」
ツァバトは呟くと、俺の身体からパッと離れて、まるで綿毛のように、ふわりと地面に舞い降りた。あきらかに物理法則を無視した挙動。それをさも当然のようにやってのけるあたり、やはり尋常じゃない。大精霊様に常識は通じないようだ。
「すでに方策を思いついているのなら、この件について、我から言うべきことは何も無い。悪いしらせは、これまでとしておこう」
ああ、そういや、良いしらせと悪いしらせと、両方あるんだったな。
「さて、お待ちかねの、良いしらせのほうだ」
言いつつ、ツァバトは左右色違いの目で、じっと俺を見つめてきた。
「エロヒムを知っているな? あの幼女凌辱魔のことだが」
知らいでか。つい先刻、インパクト抜群のメッセージを見せられたところだし。しかし幼女凌辱魔って、物凄い字面だな。
「あやつめ、ミルサージャをつけ狙って、色々とつまらぬ動きを見せていたが……近頃、ターゲットを変更した。当面、あの娘に直接危害が及ぶ心配はなかろう」
ほほう。叡智の大精霊様は、そんなことまで把握できるのか。それが事実とすれば、俺としても後顧の憂い無く出発できる。確かに朗報といえるかもしれんが。
「もっとも、あやつは別にミルサージャを諦めたわけではない。ミルサージャ以上にあやつの気を引く対象が新たに現れたというだけだ。森ちゃんには、すでに念話で事情を伝えてある」
念話……離れた場所から、念じるだけで意思疎通ができるってわけか。便利な技を持ってるな。それも精霊という高位存在だからこその芸当か。
「そうか。なら、俺はこのままダスクへ向かっても問題ないってことだな?」
「そうなるな。当然、我も同行するぞ」
なぬ? オマエもついて来るのか? 当然ってどういうことだ。
「森ちゃんから頼まれた用事は、もう済んでいるのでな。あとはなるべく早めに、ここから離れる必要があるのだ。ゆえに今後、我は汝に同行する。否やはいわさん」
やけに尊大な物言いだが、声や表情が無闇に可愛らしいせいか、あまり不快な感じはしない。傍目にゃただのワガママ幼女に見えるし。とはいえ、こう唐突に、俺について来るなんていわれてもな。まずは事情を聞かんと。
「……どういうことだ?」
「うむ。話せば長くなるし、色々複雑な事情はあるが」
「要点だけ述べろ」
「では要点だけ。いま、かのエロヒムが、ミルサージャからターゲットを変更した、と説明したな」
「それは聞いた」
「で。いま、そのエロヒムに狙われているターゲットというのが」
一拍置いて、ツァバトは、なんとも微妙な面持ちで、こう告げた。
「他でもない、我なのだ」




