644:凍て付く世界
魔王城が――俺の城が、凍っている。
いま、ツァバトが俺に見せている映像は、かなり遠めのもので、詳細はよくわからない。だが吹雪の彼方に佇むシルエットは見覚えのあるものだ。俺の城であることは間違いない。
俺は、大急ぎで右手にはめているブレスレットのボタンを押してみた。このブレスレットに付いている小さなプレートは、俺の現在位置を魔王城に知らせる電波っぽいものを絶えず放射しており、プレートの端っこのボタンを押せば魔王城との通信も可能という優れモノだ。陛下トレーサーという名称はさすがにどうかと思うが……。
ザザザーッ、と、一瞬、激しいノイズがブレスレットから流れた。まさか、通じないのか?
「ほう、奇妙な道具だな。この世界の技術ではないようだが……例の巨竜どもがもたらしたものか」
いつの間にやら俺のすぐ脇に移動していたツァバトが、興味津々という顔で見上げていた。どうやらコイツ、異世界からこっちに来てるバハムートたちのことも、既に知ってるようだな。
「より正確には、バハムートのクラスカが提供した技術資料をもとにして、うちのチーが作ったものらしいがな。だが、今は役に立たんようだが……」
「チー……? おお、あのオーバーロードか。なるほど、あれは昔から器用だったからな」
呟きつつ、やけに納得顔でうなずくツァバト。ん? オーバーロードってなんだ?
「どういうことだ? チーを知ってるのか?」
「むろん知っているとも。おそらく、汝よりよほど詳しく……な」
なんだよそれ。気になるじゃねーか。今はそんな場合じゃねーってのに。
「説明してやってもよいが、それは後でよかろう。そら、電波が繋がったようだぞ」
「え、繋がった?」
ツァバトの言葉に、俺は慌ててトレーサーをのぞき込んだ。てっきり通信途絶かと思ったが、どうやらよほど電波状況が悪いようだ。トレーサーからは、相変わらず砂嵐のようなノイズが流れている。しかし、かすかに声が……俺のよく知る声がまじって聴こえてくる。
「……えー、テス、テス……本日……天気晴朗……なれども……三波春夫……でございます……」
意味がわからねえ!
声の主は他でもない、チーだ。ずいぶんと久しぶりに聞いたな……懐かしい。というか、こういう場合は大抵スーさんが出てくるはずだが、なぜチーが?
「おい、チー。聴こえるか?」
「……おー、魔王ちゃん。おひさー」
魔王城は異常事態の真っ只中のはずだが、久々に耳にしたチーの声は、やけにのんびりと落ち着いている。
「久しいな。相変わらずのようで何よりだが……そちらの状況はどうだ」
「そうだねー。たいしたことじゃないけど、最近、お城の地上部分がカチンコチンに凍っちゃってね。あんまり寒くてしょうがないから、今はみんな地下に潜ってるんだよねー」
いや充分たいしたことあるだろそれ!
「詳しい事情を聞かせろ」
「わかったよ。三波春夫っていうのは……」
「そっちじゃねーよ!」
「まぁまぁ、あわてない、あわてない。じっくり聞かせてあげるからねー」
チーはお気楽な口調で説明をはじめた。本当に相変わらずだなコイツは。
前兆は、数ヶ月前から、すでに現れていた。
大陸北方に猛威を振るう寒冷化現象の急激な南下。その影響は瞬く間に魔王城から大陸中央のゴーサラ河付近にまで及び、大陸の北半分がおびただしい氷雪に覆われはじめた。ちょうどミーノくんの反乱騒ぎが起きていた時期で、俺も事態収拾のため直接ゴーサラの関門に赴き、異常気象を目の当たりにしている。本来、あの辺にあんな大雪が降ることはまずないからな。
この時点で魔王城と、その城下の市街は、すでに半ば孤立状態にあった。いつまでも止まぬ吹雪によって、付近の砦や、いくつかの農村――かつて魔王城建設のために強制連行してきた人間の奴隷どもが、魔王城完成の後、各地に定住を許され、せっせと田畑を耕して年貢を納めていた――とも連絡が取れず、馬車も動かせないため、物資の出入りもままならない状況に陥っていたらしい。それこそスレイプニルのような化け物馬でもなければ、あの積雪のなかを移動することは不可能だったろう。
もっとも、あらかじめ俺の指示によってゴーサラ以南の魔王軍はすべて北方へ引き上げており、それとともに南方から持ち込まれた膨大な物資が魔王城に集積されている。たとえ孤立したままでも、五年や十年は支えられるだけの備蓄があるはずだ。そもそも魔族は食事を必要としないし。また、魔王城には魔族だけでなく、けっこうな数の翼人や人間も住んでいる。大半が後宮の関係者……俺のハーレムの女どもと、その世話役の奴隷どもだが。それらを養うための食料、水、燃料なども、備蓄は充分にあったはず。
ミーノくんの反乱騒ぎが収まった頃合から、魔王城近辺ではさらに低温化が進み、城下町の住民なども王宮のほうへ避難してきた。さらに、神魂が消失した頃から、王宮内でさえ温度を維持するのが困難になりはじめた。チーは状況の悪化を悟り、当時まだ工事中だった地下のスペースを開放して、城の住人をすべて地下に収容することにした。魔王城の地下深くには巨大水脈が通っている。ただの水脈ではなく、温泉だ。つまり天然の地熱によって暖を取ることができる。チーは突貫工事で地下に居住可能なスペースを作り上げ、かろうじて魔王城の全住民を収容した。
「魔王ちゃんのメカケたちも、みんな地下に避難させてるよ。ここは暖かいし、物資も充分あるから、今のところはまだ、みんな元気だねー」
ほう、それは何より。
「たださー、アタシらが避難した後、さらに地上の温度が下がっちゃってね。寒さに強いガーゴイルたちでさえ、地上に出てしばらくしたら、凍って動かなくなっちゃったぐらい。人間なんか一歩でも外に出たら即死するレベルだよ。おかげでアタシら、出るに出られないんだよねー」
……それ、本当にただの異常気象だろうか?
もしかして、何者かが魔王城にそういう攻撃を仕掛けてきてるんじゃなかろうな?




