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642:いにしえの叡智を授ける者


 ムザーラがぶち上げた大構想。

 すなわち、この俺を、エルフのみならず、最終的には大陸全土を統べる王とする。


 それは俺にとっても大いに望むところだ。実際そのために今日まで様々な悪戦苦闘を続けてきたのだから。

 シャダーンやルードも、かつて俺に同じことを語っている。さっさと大陸を統一し、四種族を取りまとめてしまえ――と。ただし、シャダーンとルードの目的は微妙に異なっている。シャダーンは、いずれ来る「世界の熱的死」という未曾有の危機に対し、俺を矢面に立たせるつもりでいる。ルードは、この危機への対策には、長らく消息不明という「造物主」の復活が不可欠であるとし、そのために必要な「完全物質」の製造環境を整えるため、四種族すべてを協調させたいのだという。


 では、ムザーラは、俺を世界の王へと据えたその先に、何を望んでいるのだろうか。

 あ、当の俺自身は、べつに何も考えてないけどな。世界制覇の暁には四種族の美女どもを集めて一大ハーレムを作りたい。あとは……リネスのために、夜景の美しい近代風都市を築いてやりたい。その程度だな。今の俺が望むところは。


 そういえば、近く異世界からバハムートの大軍が攻め寄せて来る――という問題もあるが、これはわざわざ四種族を協調させるまでもなく、現状でも対処可能だ。そのための準備は既に進めている。


「私めが望むことは、サージャ様の幸福。ただただ、それのみでございます」


 ムザーラはいかにも悪そうな顔で、しかし妙に実感の篭った声で、そう述べた。なんか言ってることと顔つきが一致してねえぞ。


「もし勇者どのが、ただ伝説に語られるような善人でしかなく、野心もなく欲も無いような御仁であったならば、私めは今度の縁談には断固として反対しておったろうと思いますぞ。そのような小人輩では、決してサージャ様を幸福になどできませぬ」


 いきなり、先代までの勇者をバッサリ切り捨てるムザーラ。一刀両断かよ。


「サージャ様は、真にエルフの至宝たる御方。小人風情との婚姻など、到底釣り合いが取れませぬ。その点、勇者どのは、まだまだこれから大きくなられる。いずれ四種族を統べる王となり、すべてを従え君臨する、まさに時代の巨人となられる御方。それくらいでなければ、サージャ様に相応しい殿方とはいえませぬ。私めが、勇者どのをまずエルフの王に推戴せんと考えておりますのも、まさにそのため。結局、最終的には、すべてサージャ様の未来と、その幸福のため……ということですな」


 いかにもな悪人顔で、しかし口調はきわめて真摯に熱弁するムザーラ。言葉の内容と表情がまるで一致しないのは、意図的なものか、それとも素でやってるのか。なんかコイツも色々と複雑な内面を抱えてるらしい。

 すべてサージャのためというその言葉自体は、おそらく本心からのものだろう。それでも、ここであえて語らない、より深い本音の部分というものも、まだ腹に残ってるようだな。


 コイツは、サージャのこととは別に、この俺に、何かをさせたがっている。具体的なことはまだ見当もつかんが、何やらロクでもない企みを抱えていそうだ。そのために俺を王に推戴すると。サージャとの婚姻などは口実に過ぎまい。なかなか興味深いジジイというべきだ。





 婚姻の儀にまつわる手順は、この日、すべて終了した。あとは吉日を選んで、公邸内でささやかな祝言を挙げれば、俺とサージャは正式に夫婦となる――。

 だが肝心の祝言の日取りについては、まだ何も決まっていないそうだ。これからムザーラをはじめ公邸内の重臣たちが協議し、俺やサージャの都合なども考慮に入れたうえで、正式なスケジュールを決定することになるという。俺は別にいつでも構わんから勝手に相談でもなんでもやってくれ。


 ……というわけで、晩餐会の後、俺はさっさと公邸を離れることにした。当面、ここでやるべき事は何もないしな。メルやアル・アラム、山さんとスニーカーのご一行はここに置いていくことになるが、あいつらも用事は済んでるし、あとは馬車でのんびりルザリクに戻ればいいだけだ。

 ただ、エロヒムの件だけは少々気にかかるが、このタイミングでサージャに何かを仕掛けてくるとは思えん。ここは一応、森の大精霊様のお膝元だしな。


 祝言の日取りが決まったらルザリクに使者を寄越すようにと、それだけをムザーラに伝え、後事はメルに委ねて、俺はザックを背負いアエリアを佩き、夜更け、客館から公邸の前庭へ、一人で抜け出した。目的地はダスク。あそこにリネスを待たせてるからな。迎えに行ってやらねばなるまい。

 飛び立つ直前――見上げれば雲ひとつない鮮やかな夜空。悠久の銀河がけぶるように輝き横たわる星々の海――。


「美しいものだな。あの星々は、ただの無機物ではない。あの輝きのひとつひとつが、この世界のすべての生命と相関を持つフィールド・セオリーの表象であり、燃焼する生命の輝きそのものなのだ」


 ……は?


 誰だ? いま、まったく唐突に、わけのわからん台詞を俺に向かって囁いたのは。

 あわてて背後を振り返る。見慣れぬ小さな人影が、俺のすぐそばに佇んでいた。


 星明りの下、俺をじっと見つめる、左右色違いの瞳。左目は碧く、右目は黒い。長い黒髪とシンプルなワンピースを風にそよそよとなびかせる、幼い女の子。背格好から、六歳か七歳くらいか……。

 だが、どう考えても、ただの幼女ではない。なにせ、この俺としたことが、今の今まで全くなんの気配も感じなかった。瞬間移動の使い手か? それとも……なんか特殊な能力でも持ってるのか?


「なんという顔だ。まるで鳩がボフォース製12・7ミリ機銃を食らったようではないか」


 そう呟いて、幼女は小首をかしげてみせた。いやそれ死ぬだろ。鳩が。


「我が誰かわからぬか? 我だ。我我」


 ワレワレ詐欺?


「この姿、見覚えがあろう? 地下で長いこと氷漬けになっていた……」


 地下の氷漬け幼女……。

 って、まさか!


「まさか……ツァバト……か?」

「正解だ。また会えて嬉しいぞ、勇者」


 黒髪幼女は、穏やかに微笑んだ。これがツァバト……あの地下遺跡の守護精霊の、現在の姿……だと……?


「では正解の褒美に、いにしえの叡智をひとつ授けてつかわそう。食パンの袋の口留めなどに使われる例のアレは、正式名称をバッグ・クロージャーという」


 それ全然いにしえの叡智でもなんでもねえよ! そうか、アレはバッグ・クロージャーっていうのか……。

 いや、そうじゃなくて。なんであのツァバトがこんなトコにいるんだよ。地上に出たとは聞いてたが、わざわざ歩いて来たのか?



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