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640:長老の限界


 仙丹に別れを告げ、地下空間エリュシオンから地上へ戻った頃には、もうすっかり日が暮れていた。

 眠そうな目をしたサージャの手をとり、うしろに復活した七仙どもをぞろぞろ引き連れて、地下から長老公邸の裏庭へ。七仙どもは姿形こそ以前見たときのままだが、妙におとなしかった。仙丹がいうには、新たな肉体に擬似人格が定着するまで、まだ数時間かかるそうで、それまではこちらの指示に従うだけの人形みたいな状態だという。翌朝にはまた以前のような賑やかな連中に戻るらしい。


 地上で俺たちを出迎えたのは、二つの人影。赤紫に染まった夕空の下、皓々と並ぶ篝火の列、それに照らされながら、メルとムザーラが石畳に佇んでいた。


「おお、無事に儀式を済ませたようじゃな! ずいぶん時間がかかったようじゃのう」


 第一声を投げかけてきたのはメル。続いてムザーラが恭しく頭を垂れた。


「サージャ様、勇者どの、お疲れ様でございました」


 ムザーラはやけに上機嫌な顔つき。なんか良いことでもあったのか?


「うむ。出迎えご苦労。……珍しい組み合わせだな?」


 俺は鷹揚にうなずきつつ応えた。メルとムザーラって、犬猿の仲だったはずだが……。


「なに、こやつも腹を割って話せば、意外と話せる男でのう」


 メルが意味ありげにニヤニヤ微笑みながら言う。なんか悪事を企んでそうな顔だ。傍らでムザーラが深々とうなずいてみせた。


「左様。思えば、われらはいまや、勇者どのという共通の旗印のもとに集う同志。そのわれらが、今更いがみあう理由などありませぬからな」


 もっともらしいことを言いつつ、そのムザーラの顔にも微妙に悪そうな微笑みが浮かんでいる。

 ……こいつら、何か談合を交わしたな? おそらく、お互いに何らかの悪事を企んでおり、どこかで利害が一致して、手を結んだとかだろう。具体的にどんな企みかはわからんが。


 とか推測しながら二人の顔を見比べるうち、横から「ふみゃあー」と、サージャの大きなあくびが夕空に響いた。あくびというか、鳴き声っつーか。もう半分寝ながら立ってる状態だな。すっかりお疲れのようだ。


「……話は戻ってから聞こう。こちらからも、伝えておきたいことがあるからな」


 俺はサージャの小さな身体をそっと抱きかかえ、公邸へ向かって歩きだした。メルとムザーラが左右からつき従い、さらに後ろから七仙がついてくる。

 儀式は終わったが、あまりのんびりしている時間はない。やるべきことは数多くある。まずは――。





 ――メシだ。

 公邸内の大食堂で晩餐会。といっても同席者はメル、ムザーラだけ。出された料理はカレーライス。


 以前、サージャと初めて会談した後にもカレーが出てきたな。サージャのお気に入りとかで、公邸のメニューのひとつとして定着しているらしい。ここの厨房では、カレーメニューのさらなる独自改良と発展をめざして試行錯誤を続け、先日、ついにカレーうどんを完成させたという。その際、サージャはカレーうどんの初試食に純白のワンピースでのぞみ、大惨事を引き起こしたとか。カレーうどんに白い服はタブーだ。

 そのサージャは現在、執務室でぐっすり寝てる。さきほどの儀式の際、変身状態で全力で動き回ったため、普段より体力の消耗が激しく、疲労のピークに達していたようだ。サージャのそばには七仙がついているが、まだお人形状態なので、全員でベッドの周りをぐるりと取り囲むようにして、ただひたすら突っ立っている。傍から見ればかなりシュールな状況といえよう。ただし念のため、サージャに害意を持つ者を感知したら、ただちに全員で寄ってたかってボコボコにするよう仙丹にインプットされているとか。さっき七仙の再起動にやけに時間をかけてた理由がそれだ。もっとも、エロヒムが本気でサージャに手を出してきたら、七仙どころか俺と仙丹がタッグを組んでも守りきれるかどうかわからん。エロヒムへの対策は、今後の喫緊の課題として考えねばなるまい。


 あと、神魂ことシャダイの動向も気になるが……後でスーさんを呼び出して、話を聞いておこう。


「で? 二人して、どんな悪事を企んでいるんだ?」


 カレーを軽く平らげ、デザートの温州蜜柑――なんで温州蜜柑なんて固有名詞が付いてんだよ――を味わいつつ、俺は大卓の向こうに並んで座るメルとムザーラへ、あらためて訊ねた。


「悪事とは人聞きが悪いのう」


 メルがにやにやと悪い笑顔で答えた。


「おぬしも感じておったろうが、ここエルフの森は、あまりに古い伝統やしきたりにこだわりすぎて、すっかり凝り固まっておる。ここいらで、大きな変革が必要ではないかと、そんな話をしておってな」


 それは確かに感じていたが……とはいえ、エルフにはエルフの都合なり、やりかたがあろうと、これまで俺もなるべくそれに合わせた対応を取ってきたつもりだ。

 ただ力ずくで何もかもぶっ壊して征服しても、あとに残るのは廃墟だけ。それを人間との戦争で学んだからこそ、エルフの森の征服は、可能な限り穏便に進めてきた。エルフの古い制度に則りつつ、権力移譲によって実権を掌握する――ここ数ヶ月の隠忍自重の末、ようやくそれは実現しつつある。それを今更、変革などと言われてもな。


「これは、ちょうどよい機会なのですよ」


 ムザーラが、これまた悪人面で、重々しく述べる。やけに眼光が鋭い。ほう、普段はとぼけた好々爺然としてるが、こんな顔もできるのか。……いやむしろ、こっちが本来の顔なのかもしれん。


「勇者どのは、近くサージャ様の婿となられ、このエルフの森の摂政となられる。しかし――」

「しかし、なんだ?」

「その権力と権威をもってしても、元老会議をはじめとする神殿祭祀の勢力には手出しできませぬ。また、長老の政治権限は東西南北の四霊府の長とほぼ同格。制度上は、あくまでこの中央霊府を統治するにとどまります。……いまの制度においては、それが長老の限界。その摂政となられる勇者どのも、また同じことです」


 ムザーラがいうには、このままサージャと結婚しても、俺がエルフの森を完全掌握するにはほど遠い――という。長老制というものが、最終的に俺の足枷にすらなりうる、と。


「ゆえに……」

「ゆえにじゃ」


 ムザーラがさらに語を継ごうとしたところで、横からメルが言葉をかぶせてきた。


「おぬしには、いずれ正式に、エルフの森の王になってもらう。わらわたちは、長老制を終わらせ、おぬしを推戴するために手を結んだのじゃ!」


 メルは力強く言い切った。



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