634:への八番
花と緑の地下空間エリュシオン。
エルフ最大の秘宝・仙丹が祀られた神殿……ということになってるが、どうもこの空間、必ずしも、そのためだけに存在してるわけではなさそうだ。なんせ俺の視力をもってしても、四方の果てが見えないほど広い。位置的にはごく浅い地下にすぎないはずなのに、天井が見えない。サカエドもそうだったが、いったいどんなカラクリになってるのやら。
ハッキリしてるのは、ここはエルフが築いた空間ではなく、超古代よりさらに昔の、遥か先史文明の遺跡だということ。さっき見た入口の扉の文字も先史時代のものだったから間違いなかろう。それがどういう経緯でか、エルフの土着信仰の総本山として利用されていると。
森の大精霊が自ら築いた聖域……と、いま元老のひとりが説明したが、おそらくそれも事実ではあるまい。そのへんの事情については、せっかくだから、あとで大精霊本人に訊いてみよう。
白亜の台座上に整列していた八人の元老どもは、サッと左右に分かれ、俺たちに道を開いた。
「さあ、長老さま、それに勇者どの。仙丹がお待ちかねでございます。どうぞお進みください」
元老の一人が、いかめしい顔つきで告げてくる。言われんでも――と、俺とサージャは黙って手を繋ぎ、横に並んで、巨大台座の中央まで、ゆっくり歩を進めた。
「よくぞ、おいでになられました」
頭上から声が響いた。まるで天から降り注いでくるような、殷々と深いエコーのかかった玲瓏たる美声。聞き覚えがある。つい先日、直接話してるからな。あの森の大精霊の声で間違いない。
元老どもとサージャは、声が響くと同時に、その場で一斉に拝跪した。だが俺は突っ立ったまま。
これはあらかじめサージャやムザーラから説明を受け、打ち合わせた通りに振舞ってるだけで、ことさら俺が不遜な態度を取ってるわけではない。俺は形の上では大精霊の招きを受けた賓客という扱いになってるらしい。ゆえに、俺はここの礼法に則る必要はないのだとか。もちろん、だからといって気ままな言動や行動が許されるわけでもない。ようは、儀式の進行を妨げぬよう、おとなしくしてればいいってことだ。
「伝説の勇者どの。七仙の欠片はお持ちですか?」
その声は、巨大オブジェ上に鎮座する、直径六メートルの巨大球体、すなわち仙丹そのものから発生しているようだ。あの球体の中に、かの大精霊がいるんだろうか。以前会ったときは生身の少女の姿だったが、今はどういう状態なんだろうな。
俺は無言で平服のポケットに手を突っ込み、小さな色とりどりの小石――七仙の欠片を取り出した。心なしか、どいつもツヤツヤと輝いてやがる。
「ミルサージャ、顔をあげて、お立ちなさい」
優しく囁くような声に促されて、サージャはゆっくり立ち上がった。
続いて――。
「神官たちは席をお外しなさい」
サージャへの優しい囁きから一転、ちょっと冷ややかな気配が声に滲む。どうやら森の大精霊様、元老どものことはあまり良く思ってないようだな。
八人の元老どもは、一斉に身を起こすや、さささっと摺り足で移動し、列をなして台座から降りかけた。そこへ再び、思い出したように天上から声が掛かる。
「そうそう、への八番。退がる前に、あなたには罰を与えねばなりませんね」
老人どもの足が、ひたと止まった。への八番?
元老の一人が、慌てて顔をあげ、なにやら陳弁しようとしている。
「せっ、仙丹さま、わたくしは……」
もしかして、こいつがへの八番……か? さすがに本名ってことはあるまいから、コードネームとか会員番号的なものなんだろうが、よりによって、への八番って。他の元老どもも似たような名前なんだろうか。いの一番とか、ろの六番とか。
「言い訳など聞きません。問答無用です」
冷然たる宣告とともに、仙丹がチカチカっと短く瞬き、白い光を放った。
「そっ、そんな……ぬおおおぉぉー!」
への八番なる元老は、いきなりしわがれた悲鳴をあげ、その場にガクリと膝をついた。
「おっ、おおっ、お許しをぉぉ……!」
「連れて行きなさい」
仙丹の声が響くと、他の元老どもが左右から、苦悶の声をあげるへの八番をかかえ起こし、その足を無理矢理引きずるようにして、一同さっさと台座から退出していった。
「……コホン。見苦しいところを見せてしまいましたね。あ、二人とも、もう口をきいても大丈夫ですよ」
元老どもが引き退がった後、再び仙丹から穏やかな声が降り注いだ。このちょっと軽い感じは、間違いなく、あの森の大精霊様だな。養豚業界誌にもやけに詳しい……。
「まだそれ引きずりますか?」
素早くツッコミが入る。あ、やっぱ俺の思考はきっちり読んでるのね。
「はぁー、やっと喋れるでしゅー!」
ふと、サージャが安堵の息をついて、その場に座り込んだ。いきなりそんなリラックスしちゃっていーのかね。まだ儀式とやらは始まってすらいないハズだが。
と、そんなことより前に、ひとつ大精霊に訊いておきたいことがある。
「……いま、への八番とやらに、いったい何をしたんだ? 罰といってたが」
「ふふふ、たいしたことではありませんよ」
やけに楽しそうに応える仙丹の声。
「あの者は、あなたに課された試練に対して、様々な妨害工作を企て、その陣頭指揮を執っていたのです。こそこそ動き回って、あなたの足を引っ張ろうとしていたのですよ。わたしにバレさえしなければ良いと思っていたようですが……」
への八番。元老会議の議長にして現職では最古参の神官であり、その影響力と人脈を駆使して、俺とサージャの婚姻の儀をぶち壊そうと策動していたらしい。
俺自身はそんな工作なんてほとんど気付きもしなかったが、たとえば雪中登山の際、登山ルート途中の桟道が丸ごと消えて無くなってたのは、まさに、への八番が送り込んだ工作員の仕業だったらしい。下山ルートの桟道も同じように落とされてたそうだ。もっとも登りのほうは俺が直接崖をよじ登って済ませてしまったし、下山に至っては山頂から身投げして山麓まで落っこちていったため、それらの工作はまるで無意味だったわけだが。他にも色々と、細かく底意地の悪い妨害工作を仕掛けていたようだ。そういや俺の靴の中に画鋲が入ってたことがあったな……馬車レースの当日朝だったか。
「もちろん、わたしはそんなことをしろなどと命じたおぼえはありません。わたしに無断で行動し、あまっさえミルサージャちゃんのおムコさんの心証を損ねるなど言語道断です。ゆえに罰として、あの者の体内の時間を操り、腰の筋肉の老化を早めておきました」
時間を操り、腰だけピンポイントで老化を早めた……。
つまりギックリ腰を引き起こしたと。ああ、そりゃ悲鳴も上げるわ。なんともイヤな罰だな。
さすが時間を司る大精霊様。その気になれば、腰どころか全身老化を進めて、一気に老衰死させることすら可能だろう。
やっぱコイツにゃ勝てる気がしねえ……。




