633:おいでませエリュシオン
一夜明けて、中央霊府の空は快晴。
今日は昼から、俺とサージャの婚姻の儀にまつわる一連の試練、その締めくくりとなる儀式が執り行われる。
あくまで試練の締めであって、それが済んでも、まだ俺とサージャの婚姻がただちに成立するわけではなく、その前段階に過ぎない。まったく、古い伝統だのしきたりだの、面倒くさい話ばかりだな。これだから名家ってやつは。
なんだかんだで冬も終わりに近い。うららかな陽光の下、庭園に点在する紅白の梅の蕾もすっかり綻び、本格的な開花の時期にさしかかっている。じきに満開になるだろう。天気もいいし、こんな日にわざわざ地下に潜るなんて、勿体無い気もするけどな。
俺はメルに教わった作法にのっとって、いわゆる斎戒沐浴した後、客館まで迎えに来たサージャとともに、公邸の庭園をぐるりと巡り、裏庭に入った。その先に地下神殿へ続く階段があるという。サージャは純白の長衣をまとい、銀の宝冠をかぶり、銀の杖を掲げて、いつになく真面目くさった面持ちで、俺の先に立ち、黙々と裏庭の真ん中を歩いてゆく。しきたりにより、儀式が終了するまで私語は一切禁止らしい。今回は随員も無し。この儀式中、地下神殿に入れるのはサージャと俺、あとは元老どもをはじめとする神官たちのみで、ムザーラやメルも付き添うことはできないのだとか。
裏庭は一面の石畳。彼方を見れば、朱色の構造物がぽつねんとそそり立っている。形状は鳥居に似てるな。俺とサージャはその構造物へ歩み寄り、無言で下をくぐり抜けた。その先の石畳の一部がぽっかり口を開けて、地下への階段が伸びている。
サージャは、ちらと俺のほうへ視線を送った。俺がうなずいてみせると、サージャもコクコクとうなずき、再び歩を進めていく。ぽくぽくと石段を踏みしめ、二人並んで地下へ入った。
かなり長い石段の先は、褐色の土壁の地下通路。天井に魔力球の照明が並んでいるため暗くはないが、装飾も何もなく、寂漠とした静けさが漂っている。
ほどなく通路の奥に突き当たる。いかにも重厚で頑丈そうな両開きの鉄扉。その表面には複雑怪奇な模様と文字のレリーフが刻まれている。模様のほうはよくわからんが、文字のほうは……現代の人間のものではなく、エルフのものでも、まして魔族のものでもない。しかしなぜか俺には読めてしまう。これは――先日、遺跡書庫から回収したタブレットに刻まれていたものと同じ。超古代よりさらに古い、先史文明の文字じゃないか。
肝心の内容自体は、たいしたことは書かれてない。
――「花と緑の楽園・エリュシオンへようこそ!」
って書いてある。
なんじゃそりゃ。観光地の看板かよ。
……たぶん現代のエルフにはこれを読める奴、一人もいないだろうな。ただ古い文字っぽいものを、意味もよくわからず有難がってるだけなんじゃなかろうか。
俺とサージャが歩み寄ると、鉄の扉は、重々しく軋みをあげながら、ひとりでに左右へ開いた。いや、内側から誰かが開けたのか。そのまま扉の向こうへ進むと――。
いきなり視界が一変した。
土壁のうら寂しげな通路を抜け、扉の彼方に広がっていたのは、青い空から降り注ぐ眩い光彩の下、見渡す限り緑の芝生のカーペットが広がり、色とりどりの草花が咲き乱れる、まさに花と緑の楽園の風景。ここは地下のはずだが、こりゃいったい……。
……これに似たものは、前にも見たな。地下遺跡の中層にあった、超古代都市サカエド。あそこもこんな空間になっていた。詳しい理屈はよくわからんが、ひょっとしたら同じような仕組みなのかもしれん。もっとも、ここはサカエドのようなゴチャゴチャした人工物はほとんど見あたらないが――。
ただ、楽園のど真ん中に、白亜の台座のようなものが、ぽつねんと佇立している。ここからだとかなり距離があるので正確な大きさはまだわからんが、おそらく高さ二十メートルくらい。その台座上には、銀色に輝くオブジェが突き立っている。ちょうどオリンピックの聖火台みたいな形状になっており、その上に、かなり大きな金緑色の球体が乗っかり鎮座している。もしかして……あれか? あれが仙丹か?
どうやらサージャたちは、この広大な空間そのものを地下神殿と呼びならわしているらしい。俺とサージャは連れ立って芝生を踏みしめ歩き、この不思議な空間を進んでいった。白亜の台座へ近付くにつれ、オブジェ上の球体が次第にキラキラと輝きを放ちはじめた。まるで、早くおいで、と呼びかけてでもいるように。
白亜の巨大台座の四方は、やや急な階段状になっていた。二人してそれを登り、ほどなく台座の上まで辿り着いた。そこはかなり広い平坦なスペースで、その中央部に、例の白銀のオブジェの根元部分が突き刺さっている。見上げれば、金緑色に輝く球体が、異様な迫力をもって空にそびえている。こりゃデカい。直径五、六メートルくらいはあるな。地下遺跡の動力源たるエリクサーでも直径は三十センチかそこらだったから、これは破格の大きさといっていい。
……ここまで三十分くらい、無言でひたすら歩き通しだった。俺はともかく、サージャはさすがに少々お疲れ気味のようだ。
オブジェの周囲にはサージャ同様に白い長衣をまとった元老ども八人が、ずらり整列していた。
俺たちがその手前まで歩み寄ったところで、おもむろに元老の一人が口を開いた。
「勇者どの、よくぞ参られました。ここはパルケエスパーニャ。太古、森の大精霊様が御自ら築きたもうた、聖なる領域です」
パルケエスパーニャって……。間違ってるぞ。入口の扉にゃ、エリュシオンってハッキリ書いてあるからな。
おそらく、あの扉の文字が誰にも読めず、さらに数百年か数千年かの伝言ゲームの末、本来の名称がだんだん歪んでいったんだろう。だからって最終的にエリュシオンがスペイン村になっちまうのは無茶すぎるが。
古い風習やらしきたりやら、無闇に有難がってるくせに、肝心なところでコレだ。伝統なんざ所詮、こんなものよな。




