627:魔獣と美少年の勝利
鉄の車輪をぐわらぐわらと鳴らして、大型馬車は走り出す。中身は空荷。ただしコンテナ自体が鋼鉄製なのでかなり重い。そのぶん頑丈ではあるが。
一方、相手側の二頭馬車は軽やかにスタートダッシュを切った。出足は明らかに、あちらのほうが勝っているようだ。出足だけはな。
スタート直後の直線は距離にして一キロあるかないか。出足では相手側に大きく引き離されたが、スレイプニルの八脚は力強く速度を上げ、あっという間に相手に追いつき、追い越してしまった。そのまま霊府中枢から市街地へと続く大門を駆け抜ける。
ちょうどその門をくぐるところで、アル・アラムが寄越したマップには、第一のトラップが予測されていた。案の定、門の上から銀のタライが降ってきた。またタライかよ! なんでエルフはそんなタライ好きなんだよ!
スレイプニルはいよいよ勢いを増し、土煙を逆巻かせつつ、疾風のごとく門を通過した。その風圧だけで、タライは軽々と彼方へ弾き飛ばされてしまう。もちろん走行には何の支障もない。
市街地のメインストリートに入り、最初のカーブに差し掛かる。大きな十字路をほぼ直角に曲がらねばならないため、俺は手綱を打って、いったん減速させた。この減速のタイミングもアル・アラムのマップに註釈があり、その通りにやってみたところ、難なく方向転換できた。今更ながら凄いなアル・アラムは。
メインストリートの十字路の周辺には、メルが言っていたように、大勢の見物人が押し寄せていた。どいつもこいつもスレイプニルのおどろおどろしい巨体を目の当たりにして、まさに度肝を抜かれている様子。フハハハ、どうだ怖かろう! 私の愛馬は凶暴です! いかん無駄にテンション上がってきた。気分はどこぞの世紀末覇者。
市街地のメインストリートから、交差点を折れて、いったん西へ向かう大路に入る。そこからしばらくはまた直線。スレイプニルは速度をあげ、黒い突風のごとく大路を駆けた。後方をチラ見してみると、さきほど通過した交差点はすでに遠い。そこへ相手側の二頭馬車がさしかかり、もたもた曲がってくるのが確認できた。遅い。さすがに尋常な馬の脚力ではスレイプニルに到底及ぶまい。このぶんなら、相手のことは気にかける必要もなさそうだ。
コースの街路はまっすぐ西に向かい、そのまま西の街壁に突き当たる。中央霊府の四方をめぐる三重防壁の内壁だ。そこから壁に沿って北上、ちょうど時計回りに、壁沿いの街路をぐるりと一周することになる。
スレイプニルが二度目の減速を行い、その西壁沿いの街路に入ったころには、もはや背後に相手の馬車の影さえ見えなかった。あとはトラップだが……。
地面にロープを張る、タライ、トラバサミ、タライ、道に鉄の網を張る、タライ、矢が飛んで来る、タライ……。
だからなんでタライなんだよ! そりゃ当たればイイ音するけどさ!
相手側は相当な人数を動員してコースを監視し、こちらが通りかかると見るやトラップを発動させているようだ。しかし、アル・アラムの事前予測はすべて見事に的中しており、ロープは跨いでかわし、トラバサミは普通に避け、鉄網は俺が御者席からアエリアを抜いて衝撃波で切断した。タライや弓矢のたぐいは、そもそもスレイプニルが巻き起こす風圧だけで弾き飛ばされてしまうため、ハナから問題にもならない。
すべての罠をまさに一蹴し、霊府の内壁沿いをぐるりと巡って、西端から再びメインストリートへ向かう大路へ入ったのは、レース開始からわずか一時間後。標準的な二頭馬車で五時間近くはかかるというコースだから、少なくとも通常の三倍以上の速度で突っ切ってきたことになる。途中には少々入り組んだ区画もあり、アップダウンの激しい区画もあり、まっすぐ全力で進めるようにはなっていなかったが、その条件は相手も同じだ。アル・アラムは、そうした難所で、いかに手綱をさばくべきか、素人御者の俺にもわかりやすく、その最適解を、こと細かに書きこんでくれていた。なんという使える美少年。本当にシャダーンは良い人材を譲ってくれたものだ。いっそ女の子だったらなぁ……いや、そう贅沢はいうまい。アル・アラムの能力は、こんな小事より、もっと大きな、有効な使い途があるはずだ。今後は機会をみて、そのへんじっくりと検討してみたいものだな。
最後の交差点にさしかかる。沿道には詰め寄せたギャラリーがびっしりと張り付き、なぜか熱心な声援を送ってきている。あいつらもうスレイプニルの禍々しい外見に慣れちまったのか。でっかいお馬さん頑張れー! とか叫んでる子供の声まで聴こえてくる。なんだろう、もしかしてエルフの感性だと、スレイプニルって実はあまり怖くないとか? そういやルザリクの市街にコイツで乗りつけた時も、その巨体に驚く奴はいても、無闇に怯えるような奴はいなかったな……。
減速して交差点を北に折れ、最後の直線へ。もはやトラップもなく、スレイプニルの巨体と大型馬車は、さながら一陣の黒い暴風と化して、市街中枢への大門を突き抜けた。長老公邸の正門もはや真正面に見えている――。
前方、道のど真ん中に、なにやら黒い滲みのようなものが浮かんでいる。あれはおそらく、俺たちがスタートした直後から、わざわざ相手側が人手を動員し、このゴール直前の地点に新たな罠を設置したのだろう。
だがそれすらも、アル・アラムは予測していた。
俺は素早く手綱を打ち、スレイプニルに指示を下す。
「――飛べ!」
スレイプニルは大きくいななき、八つの蹄で地を蹴り、大型馬車ごと、高々とその身を宙へ踊らせた。黒い滲みのように見えたのは地面に掘られた落とし穴だ。スレイプニルはそれを馬車ごと鮮やかに飛び越えた。着地と同時に、ガガン! と鋼のコンテナが衝撃に大きく揺れる。
その後、スレイプニルは次第に減速し、長老公邸の門前――ゴール地点へと至った。いつの間にやら、公邸内の侍従やら家僕やら神官やら山さんとスニーカーやら総勢数十人が門前へ出てきている。スレイプニルの鼻面がゴールテープを切ると、それらギャラリーから、わぁっと大歓声があがった。
「勝者、勇者どのっ!」
俺が御者席から地上へ降りるや、ムザーラが高らかに宣した。同時に、ギャラリーの中から小さな影が抜け出し、まっすぐ俺のもとへ歩み寄ってきた。メルだ。
「またまた新記録じゃのう。あやつら、もう逃げ出してしまいおったぞ」
小気味良さげに微笑むメル。そういやギャラリーどもの中に、例の元老どもの姿が見えんな。まだ相手側の馬車が戻ってないってのに、薄情な奴らだ。
「次はボートじゃ。これもなかなか難しいぞ?」
「なに、手は考えてある」
俺は肩をすくめて応えた。最後の試練は手漕ぎボートレース。しかしこれも、既に対策は思案済み。
あと一つ。これさえ終われば、エルフの森はいよいよ俺の手に――。




