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624:長老、還る


 ザグロス山脈一帯を離れ、サージャを抱えてアエリアの魔力で空を飛ぶこと、およそ半日。

 やがて彼方に、五角形の三重防壁に囲まれた中央霊府の特徴的な外観が視界に入りはじめた。


 こう、やや離れた上空から見るぶんには、まるで大森林のど真ん中に忽然と描き出された正五角形のオブジェのようだ。その外側を白く縁取るように、水をたたえた外濠が巡っている。

 眼下には薄緑と褐色のまだら模様が広がる森。その木々の間を縫うように、左右にうねりながら延々続いてゆく赤茶色の街道。これは中央霊府の南外門へと直接通じている道路だ。


「あー、いたでしゅ! きっとあれでしゅよ!」


 俺の腕の中で、サージャが声をあげ、おもむろに手を伸ばして街道の彼方を指さした。

 見ると、街道のど真ん中、二両の馬車が前後に連なり、土煙を上げ、中央霊府めがけて驀進してゆく様子。先を走るのは二頭立ての箱馬車、その後ろに四頭立ての大型の荷馬車が続いてゆく。あのペースなら、おそらくあと二時間もあれば中央霊府へ到達できるだろう。


 俺は速度を維持しつつ街道へと降下し、ほどなく二両の馬車に追いつき、箱馬車の御者席へと接近した。


「おい、ちょっと止まれ」


 空中から声を掛けると、御者の若いエルフは、ギョッとした顔をこちらへ向けてきた。


「ぼ、ボスっ?」


 おや、どっかで見た顔だと思ったら、こいつはスニーカーじゃないか。本名はスーニ・カー、もと警吏隊の警部補で、スニーカーは俺の脳内で勝手につけた渾名だ。上司の山さんことヤン・マーニ警部とともに、幾多の犯罪現場を駆け抜けてきた刑事だが、現在はルザリク警備隊本部の幹部として、山さんともどもデスクワークに回っているはず。


「誰かボスだ。いいから、さっさと止まれ」

「は、はいぃっ!」


 スニーカーは慌てて手綱を引き、二頭の馬を止めた。ほぼ同時に後方の大型馬車も止まった。ほう、後ろの御者はずいぶん有能だな。ちゃんと前方の状況を見ていたようだ。

 その後方の御者席からは、これも見覚えのある顔が地面に降り立った。


「おお、やはり市長閣下でしたか!」


 スニーカーの上司の山さんだった。もと刑事の凸凹コンビが、なんで中央霊府行きの馬車で御者なんかやってんだよ。二人とも、今や警備隊本部のお偉いさんだろうに。……いや、どうせ仕事が部下に全部取られてヒマだとか、そんな理由だろうけど。わざわざ事情を聞くまでもない。


「おお? なにが起こったんじゃ? なんで急に止まったんじゃ?」


 俺がサージャを抱えて着地するのとほぼ同時に、箱馬車の窓から、メルがひょいっと顔を出してきた。


「先代しゃまー。戻ってきたでしゅよー」


 サージャがにこにこ微笑みながら手を振ると、メルは目を丸くして俺たちを凝視した。


「お、おぬしら……もしかして、もう登山を済ませたのか?」

「その通り。ここから先は、おまえに同行させてもらうぞ」


 俺が応えると、メルは苦笑を浮かべた。


「いくらなんでも早すぎじゃ。わらわの最速記録をあっさり抜かれてしもうたのう」


 これまで幾度となく長老候補、および長老配偶者候補を対象として実施されてきたザグロス雪中登山の儀。そのクリア最速記録の保持者は先代長老メルだったらしい。下山まで八日という記録だ。一方、俺はわずか四日で下山を果たし、堂々の最速新記録を樹立した。おそらくこれを破れる者など永遠に出てくるまい。山頂から身投げする馬鹿が新たに出現しない限りは。ついでにいえば、現長老サージャは十日で下山し、これは現時点で歴代五位タイらしい。いや、今となっては本当にどうでもいい記録だけどな。





 そこから先は、メル一行と合流し、俺とサージャは箱馬車に便乗して、つつがなく中央霊府へと入った。

 日はやや傾いていたが、暮れるまではまだ少し時間がありそうだ。天気は曇りがちで、ひと雨来そうな雰囲気。



 二両の馬車は蹄を鳴らし、南外門から北へ、さらに二つの門をくぐって大通りに入る。

 ――本来、メルはいったん下町にある自分の邸宅に馬車二両を入れ、そこで俺とサージャの到着を待ってから長老公邸へ赴く予定であったという。が、俺とサージャが早々に合流してきたため、わざわざ待機する必要がなくなった。そこで、まず大型馬車のみ、御者を山さんから、荷台のコンテナに乗り込んでいた「ある人物」と交代させ、メルの私邸へと向かわせた。以前、俺とメルが初めて対面した、あの屋敷だ。その後、山さんを箱馬車に乗せ、あらためて長老公邸へと向かう。

 大型馬車と別れた箱馬車は、そのまま人通りの多い市街地のメインストリートをまっすぐ進み、外縁部を抜けて、中枢区画へとさしかかる。その正門を抜けると、いきなり視界が左右にひらけ、広々とした内苑の風景が望まれる。その彼方に連なる壮麗な尖塔群こそ長老公邸。エルフの木造建築技術の粋を結集したきらびやかな建物だ。


 その長老公邸の門前で、ムザーラと儀仗兵が列をなし、楽隊まで従えて俺たちを出迎えた。馬車を降りるといきなり、ぱぁーぷうぅーとかラッパの音が高らかに響き、楽隊は典雅な曲を奏で、同時に馬車からスルスルと赤い絨毯が玄関口まで伸びてゆく。至れりつくせりだな。もっとも、メルがいうには、これは長老サージャの帰還に対する慣例的な儀礼にすぎず、とくに俺やメルが歓迎されてるわけではないらしい。


「つい今しがた、元老会議から連絡が来ましてな。次なる試練の開催日が決定いたしました。いささか準備もありますので、開始は明後日の早朝からとなります。その間、勇者さまとお連れの方々につきましては、離れの客館のほうを宿舎として提供させていただきます。ただ、長老におかれましては、本来のお務めに戻っていただきますぞ。すぐに執務室へおいでくださいますように」


 ムザーラは相変わらず飄然とした態度で言う。見ためは好々爺なんだが、いまいち何考えてるかわかんねーんだよなぁこのジジイ。年の功ってやつかね。あと元老会議って初耳なんだが。だいたいどんなもんか推測はつくが、後でメルから説明を聞いておくか。


「えー……今日くらい、お休みしたいでしゅよー」


 サージャが不満げに言う。だがムザーラは、にべなくはねつけた。


「駄目ですな。ご不在の間に、処理すべき案件が山のように溜まっております。神殿への礼拝もありますからな。おそらく今夜は寝られませぬぞ。ささ、こちらへ」

「ふぇぇー……」


 サージャは侍従どもに引きずられるように、執務室へと連れ去られていった。いや、エルフの長老ってのもなかなか大変だな。

 メルがカラカラと笑った。


「ああいうのが面倒じゃから、わらわはとっとと長老をやめたのじゃ。まったく正解であったわ」


 いかにも気楽そうに言い放つメル。ただ……これ、俺にとっても他人事ではないんだよな。サージャと結婚してエルフの森の政務を執るようになれば、俺も同じような目にあうわけか。

 これは優秀なサポートが必要になりそうだな。今からでも人材を見つくろっておくか?



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