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622:湖畔の宴


 下山後に実施される七仙の申告というのは、ようするに道中で不正がなかったかどうかを立会人が確認するためのもの。その点さえ問題なければ、七仙を揃えて下山した時点で試練の通過は確定しており、評価はオマケらしい。その割にはどいつもこいつも、合格だのなんだのと偉そうだが。

 ……そういや、ついさっきまで、俺は故郷に飛ばされて大学受験をやり直してたわけだが、あれの結果はどうだったんだろう。結局、公立大学の合格発表を見ることなく、こっちへ戻ってきてしまった。今となってはどうでもいいことではあるが。


「ミルサージャさまが起床なさいました」


 ちょうど七仙どもが好き勝手なおしゃべりを終えたところで、レグルスの家僕の一人が、そう告げた。

 天幕のほうへ目をやると、篝火の向こうから、いそいそと駆けて来る小さな影。


「勇者しゃまぁぁー!」


 寝起きとは思えない元気な声をあげ、満面の笑顔とともに、サージャが俺の胸へ飛び込んで来た。


「お帰りなさいでしゅー! はやかったでしゅねー! ほんとに勇者しゃまはスッゴイでしゅ! さすが、わたしのおムコさんでしゅ!」


 俺の胸もとに、ふくよかな頬をぷにぷに押し付けながら、心底嬉しそうに言う。その頭をやさしく撫で撫でしてやると、サージャは幸せそうに微笑んだ。


「待ってる間、退屈しなかったか?」

「そうでもなかったでしゅよー。移動とか準備とかがあって、けっこう忙しかったんでしゅ。タイクツしてる暇なんて全然なかったでしゅ」

「準備?」


 と、俺が訊いたところで、横からレグルスが応えた。


「もちろん、宴の準備でございますよ。婿どのが雪中登山の儀を無事に通過されたお祝いと、次なる試練への壮行会を兼ねたものです。これも婚姻の儀にまつわる伝統のひとつでございまして」


 とはいえ、レグルス夫妻やサージャは、俺が下山するまで早くとも一週間はかかると予測していたらしい。そもそも常人がまっとうに登れば半月はかかる険しい道のりだそうで。

 ところが蓋を開けてみれば、二日目の夜には、いきなり森の大精霊の思念がサージャのもとに届き、すでに勇者が山頂へ続く最後の氷壁にさしかかっていると告げてきた。おそらく後三日とかからず勇者は試練を終える――とも。


 サージャとレグルス夫妻は大慌てでキャンプを畳み、車馬を総動員して山裾の街道を駆け抜け、最終地点へ移動した。この湖畔に到着して天幕を立てたのは、つい半日前のことだという。そこから急いで俺を迎え入れる準備に取り掛かり、ようやく万端整え終わったのが、つい先刻。さすがのサージャも疲れて休息中だったというわけだ。


「……もしかして、俺が帰るの、早すぎたか?」

「そんなの、勇者しゃまは気にしなくていーんでしゅよ。こっちが勝手にやってることでしゅからー」


 サージャはにこにこと機嫌よさそうに青い目を向けてきた。


「宴会は、夜明けから丸一日やりましゅからね。いまのうちに、勇者しゃまも、ちょっとだけ寝ておいたほうがいいでしゅよ」

「そうだな。……ああ、こいつらはどうするんだ?」


 と、俺は蓆に並べた七仙どものほうへ目をやった。アクイラがそれに応える。


「それは勇者さまがお持ちください。最終試練の後、神殿にお入りいただき、仙丹の本体に直接、それらの欠片をはめ込んでいただく儀式がございますので」


 ほう、そんなイベントまであるのか。パズルみたいなもんかね?





 早朝。

 俺とサージャは同じ天幕に入り、同じ毛布にくるまって、しばし仮眠をとっていたが、やがてアクイラが起こしに来た。


 サージャと手を繋いで外に出てみると、もう山間の湖畔に眩い陽光が差しこみ、穏やかな湖面には金細工のような輝きが揺れていた。

 朝陽の下、キャンプ内では総勢三十人ほどの家僕どもが、いそがしく駆け回り、立ち働いている。


 地面に蓆を敷き詰め、湖畔のあちこちに設けられた竈に薪を積み、炎を揺らして魚を焼き肉を炙り鍋を煮て、野趣あふれる料理をどしどしとキャンプの中央へ運び込んでいくのが見えた。

 俺とサージャは蓆の上に腰をおろし、レグルス夫妻とともにビワーマスの塩焼きにかぶりつき、竜肉とカボチャのスープを啜った。このスープは初めて味わう料理だ。カボチャの素朴な甘みと竜肉の旨味が絶妙なバランスで、互いの長所をぎゅーっと引き出しあってる感じ。早朝の空気はキリッと引き締まって少々肌寒いが、これは身体が温まる。サージャもスープの湯気に顔を包みながら、なんともご満悦な様子。


 やがて腹も少し落ち着いたところで、今度は続々と酒瓶が運び込まれてきた。


「ささ、勇者さま。どうぞどうぞ」


 レグルスが瓶をあけ、上機嫌で勧めてくる。朝っぱらから酒か……。

 大杯になみなみ注がれる透明な酒。こりゃ原料は米か。焼酎じゃなく日本酒だな。香りからして、かなり上等なやつ。度数はさほどでもないようだ。二十度あるかないかぐらい。


「ミルサージャ、おまえも遠慮なくやってよいぞ。なにせ今日はめでたい祝宴だからの」


 レグルスが告げると、サージャは大喜びで「わっ、ほんとでしゅか? 飲んでいいでしゅか!」と、当然のようにお猪口を手にした。


 え? サージャは実質四歳児だぞ。飲酒なんて無茶な……。


「ああ、勇者さま、ご心配は無用ですよ」


 アクイラが言う。


「この子、実はお酒大好きなんですよ」


 は?


「それに、酔っ払っても、酒精を分解する魔法を自分でかけることができるので、泥酔することはないのです。どんどん飲ませてあげてください」


 またなんとも便利な魔法を持ってやがるのな。しかしそれでも……。

 いや、ここは日本じゃないし、飲酒を制限するような法や常識があるわけでもない。まして人間でなくエルフだしな。こいつらがそれで良いというなら、野暮を言うこともないか。


 サージャは俺の見ている前でお猪口を傾け、くいっと一気に飲みほし、幸せそうに息をついた。


「はーっ、これこれ! これでしゅよぉー! 生きててよかったでしゅぅー! 勇者しゃまも、どんどん飲んでくだしゃいねー! おおばっちゃ、お酒おかわりでしゅ!」


 ……その後、いい具合に酔っ払ったサージャは、いきなり服を脱いでかぼパン一丁でヘソ踊りなど披露しはじめ、それを周囲の誰も止めずに、むしろやんやと囃し立ててヒートアップ。あげくアクイラやレグルス、家僕一堂まで激しく酔っ払って裸踊りをはじめることになる。老婆の裸踊りなんてもう地獄絵図だ。誰か止めてくれ。

 と、そんな喧騒を眺めつつ、俺はひとり、ただ黙々と飲んでいた。


 ……一族そろって、どいつもこいつも酒癖悪い。そういやメルも酒好きだったなぁ。そういう血統ってことだろうか。この一族とは今後、長い付き合いになるはずだが、正直この酒癖だけは付き合いきれんな……。



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