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616:静止する時間


 俺たちは学校を離れ、近所の公園のベンチで、あらためて話をすることになった。

 アイツはまた男の姿に戻って学生服を着こんでるが、今の俺の感覚は、表面上の姿とは無関係に、アイツをきっちり女として認識している。転生して勇者となって以降、俺は相手の性別を正確に判断できるようになってるからな。かの女装少年パッサも、外見は愛くるしい美少女そのものだったが、俺の眼力は即座に男の子だと見抜いている。困るのは七仙みたいな連中で、あいつら無機物だから性別は無いんだよな。そのくせ外見だけは絶世の美女とかだったりするし。


 住宅地の公園の片隅。三月の風はまだまだ冷たく、桜も咲いていないが、花壇のほうでは、ぼちぼち春の草花がまばらに開きはじめていた。傾いた陽の光が斜めに木々を照らし、朱金の木漏れ日がベンチに落ちかかってくる。白い頬に夕映えの光が差して、アイツは少し眩しげに長い睫毛を伏せた。

 見慣れた顔のはずだが……こう女としてあらためて見ると、実はとんでもない美少女だったんだな。


「よければ、まず事情を聞かせてくれるか? ……あ、いや、あまり込み入ったことまで話さなくていいぞ。かいつまんで聞かせてくれればいい」


 そう促すと、アイツは、ちょっぴり不思議そうな顔で俺を見た。


「……ずいぶん気を遣ってくれるんだね」

「なにいってんだ」

「いやさ、なんか急に……懐が深くなったというか、大人っぽくなってない? 顔つきもさ……気のせいかな」


 いや、気のせいじゃないと思うぞ。なにせ今の俺は、魔王として七十年近く生きてきた記憶を持っている。いわば中身はおっさんだからな。とはいえ、そんなことをここで口走るわけにもいかない。そもそも、今のこの状況、ただの夢なのか、はたまた現実なのか。いまだハッキリしない。

 それから日暮れまで、アイツの事情を聞き続けた。アイツの家は、たいそう伝統のある名家らしい。系図を遡れば奈良時代あたりにまで行き着くというから相当なものだ。


 代々、家は長男によって相続されてきたが、アイツの両親からは女しか生まれず、親戚も女だらけという困った状況になっていたらしい。普通、そういう場合は養子を取るもんだが……アイツの両親は何を思ったか、末娘を長男と偽って育て、家を相続させることにしたという。

 古い名家ってのは大抵が親族やら分家やら数多く、その人間関係は複雑怪奇をきわめるもの。娘を男として育てるなど部外者にはアホとしか思えん話だが、分家への体面やら親族への体裁やら、当人らには色々のっぴきならぬ事情があってのことだろう。家名の存続のために個人が犠牲を強いられるなど、古今東西、どこにも例のあることだ。


 むろん、アイツ当人も、そんなことは望まなかったが、両親に説得され、やむなく中学から大学卒業までの期間、男子として振舞う約束をする羽目になった。大学在学中に家督の相続を行うためという。肉襦袢はそのためのもの。両親がカネにあかせて誂えた特注品で、ぱっと見たくらいでは生身と区別できないほど外見も感触も精巧につくられている。……さすがにスーさんの魔法の着ぐるみにはかなわんがな。そして、制服のない学校で、わざわざ男子用の学ランを着込んでいたのも、カモフラージュであったらしい。


「今でこそ慣れたけど……中学に上がったばかりのときは、やっぱりつらかったよ」


 アイツはしみじみと述懐した。小学生までは普通に女の子として過ごしてきたものが、わざわざ遠くの中学に入れられ、そこからは男子として振舞わなければならない。そんな矢先に、たまたま声をかけてきたのが、他でもない、俺だった。


 ――おまえ、なんだか、女みたいだな。


 それまでの自分を、いわば両親から否定されて、渋々、望まぬ姿を演じていたアイツの心理に……俺の何気ない一言は、どういうふうに響いたのか。


「嬉しかった。なにがどうって、うまく言えないんだけど、とにかく……まだ、そういうふうに見てくれる人がいる、っていうのがね。この人と一緒にいれば、男として振る舞いながらでも、自分が女だってことを忘れずに生きていけるんじゃないかって……そう思ったんだよ」


 キッカケはそんなものだったが、それが恋愛感情に変化するまで、そう時間はかからなかった、という。


「……まだ、俺は大学に行ってる間は、男でいなくちゃいけない。でも、おまえと離ればなれになる前に、どうしても、本当の自分の気持ちを伝えておきたかったんだ」


 俺は大きくうなずいてみせた。


「なるほど。事情はよくわかったよ。逃げたりして悪かったな」


 まさかこの現代に、こんなカビの生えたお家事情が実在するとはな。これまで随分と苦労してきたんだろう。


「ううん、それは仕方ないよ。こっちこそ驚かせてしまって、本当にごめん」


 アイツは、恥ずかしげにうつむいていたが、やがて顔を上げ、俺を見据えた。


「それで、その。できれば、でいいんだけど……俺と、お付き合い……してくれないかな」


 あらためて、そう告白してきた。

 無論、俺の返答は決まっている。俺は――。





「はい、そこまで」


 唐突に、周囲の時間が静止した。

 気配を感じて振り向くと、ベンチの手前に端然と佇む黒髪の女生徒の姿。コイツ、さっきの養豚の。


「だから養豚はどうでもいいんですってば」


 困り顔で呟く女生徒。いちいち俺の思考を読むなっつーの。


「どうなることかと、少々ハラハラさせられましたが……無事に覚醒したようですね」

「覚醒……?」

「もう、すべての力が戻っているでしょう? もちろん記憶も」

「ああ、確かに」

「危ないところだったんですよ? あのまま放っておいたら、無限ループに突入する可能性があったんです」


 無限ループ?


「ある者の企てによって、あなたは時系列を遡り、こちらの世界に飛ばされ、戻ってきていたのです」


 なんとぉ? じゃあこれ、本当に現実なのか。夢じゃなくて。


「そして本来ならば、今日、あなたはトラックに轢かれて死亡し、またあちらの世界に魔王として召喚される……もちろん、時間を遡っていますから、また北の旧魔王城から、全てやりなおしです。そして人間の王国を滅ぼし、再びトラックに轢かれて勇者となり、エルフの森へ入り……また時間を遡ってこちらの世界へ。最悪、これを永遠に繰り返す状況に陥っていたかもしれないわけです」

「……!」


 俺は思わず立ち上がっていた。無間地獄じゃねーかそりゃ。いったい誰の仕業だ?


「現在は、わたしの力で時の流れを無理矢理抑え込んでいる状態です。本来の力を取り戻した今のあなたならば、わたしと力を合わせることで、あちらの世界の、もとの時間軸へ帰還できるはずです」

「……おまえ、何者だ?」


 俺の問いかけに、黒髪の女生徒は、陽光にけぶるような微笑を浮かべた。その穏やかな眼差しは、きわめて純粋な慈しみに満ちている。まるで女神でもあるような。


「わたしに定まった名はありません。ただ、森の民、エルフをずっと見守り続けてきた者です。仙丹の欠片たちから聞いていませんか? あなたたちの言葉でいう、精霊と呼ばれる存在ですよ」


 仙丹の欠片ってのは、七仙のことだよな。アイツらが知ってる精霊っていうと……。


「森の大精霊、か?」

「ええ、そう呼ばれてますね」


 女生徒はうなずいた。森の大精霊――完全物質、仙丹に宿っているという精霊か……!

 その森の大精霊が、無限ループに陥りかけていた俺を救うため、わざわざこっちの世界に介入してきたと?



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