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615:柳の枝の下で


 うららかな日差しの下、柳の枝葉は悠々と春風に揺れている。

 ここは校舎裏庭。生徒たちからは、いつとなく伝説の樹と呼ばれている大きな糸柳の下に、アイツはひとり佇んでいた。


 何が伝説なのかというと、この柳の枝の下で告白して結ばれたカップルは永遠に別れることができなくなるという悲劇的伝説があるからだ。出展も何も定かではなく、誰が言いだしたかもわからない。ある意味呪いの伝説ともいえる。ただ、同級生のなかに、実際にここで告白して付き合いだした男女もいるらしいが、噂では、数日後には普通に喧嘩別れになったとか。当てにならん伝説だ。

 で、なんでアイツはわざわざそんな場所に俺を呼び出したのか……。


 さっきのクラスメートの言葉が、かすかに意識に引っ掛かってくる。いや、まさかな。俺にはそんな趣味は無い。アイツだってそのはずだ。


「すまん、遅くなった」


 声をかけると、アイツは物憂げな顔をこちらに向けて、小さくうなずいた。


「いいよ、待つのは慣れてる」


 そういや、アイツとはよく駅前なんかで待ち合わせをしてたが、いつも俺が遅れてばかりだった。最後まで待たせてしまったか。

 俺はアイツのもとへ歩み寄った。いつになく、なんとも暗い顔をしている。よほど大事な話なのか。


「それで……話って?」


 俺が訊ねると、アイツはいかにも話しづらそうに、少しうつむいた。


「どうしたんだよ」

「いや、その……今から言うことは、すごく真面目なことで、絶対に、冗談なんかじゃないんだ。だっ、だから……笑わずに、聞いてほしいんだよ」

「わかった」


 短く応えると、アイツは顔をあげ、いやに真剣な眼差しで、ぐっと俺を見据えた。あれ? なんか顔、真っ赤?


「俺は、おまえのこと――」


 声を絞り出すように、しかし眦は決然と、はっきり言った。


「ずっと、好きだったんだ」


 一瞬の忘我の後。

 俺は、アイツに背を向けて走り出していた。


 なぜそんな反応をしたのか。自分でもわからない。

 俺にはそういう趣味はない。その嫌悪感も少しはあるが……それより何より。――俺はアイツを、ずっと友達だと思っていた。まさか、アイツからは、そんなふうに思われてたなんて、想像したこともなかった。どんな顔をして、どう答えればいいのか、さっぱりわからない。だから、――逃げた。なぜか、俺は泣いていた。自分でもわからない理由で。


 背後から靴音がきこえる。駆けつつ、ちらと肩越しに振り返ると、アイツが追いかけてきていた。土煙を蹴立てて、物凄い勢いで、ぐんぐんこちらへ迫ってくる。随分と慌ててるみたいで、必死の面持ち。あんな顔、初めて見る――「待って! 誤解! 誤解だよ!」って叫ぶ声がきこえる。いったい何が誤解だっていうんだよ。もう……どうでもいい。

 俺はそのままの勢いで校門から道路へと飛び出した。


 ちょうどそこへ――横あいから、黒い巨大なかたまりのようなものが、一陣の暴風のごとく、すさまじい轟音とともに、俺めがけて突っ込んで来た。これは――トラック?

 俺のすぐ背後に、アイツの気配がある。もう追いついてきてたのか。


 だめだ、これじゃ二人まとめて轢かれてしまう……!


 ――逃げては駄目。立ち向かいなさい。


 突如、誰かの声が脳裏に閃く。これは、さっき聞いた――?

 そうだ、俺はともかく、アイツだけは守らないと!


 俺は足を止め、迫り来るトラックのフロントへ、咄嗟に右手を差し伸ばした。何も考えてなどいない。ごく自然に、身体がそういうふうに動いていた。

 次の瞬間。


 ――俺の右腕から、おびただしい青白い燐光が炎のように湧きあがり、たちまち俺の全身を包み込んだ。





 俺は暴走トラックのバンパーを右腕一本でがっしと掴み、その突進をたやすく食い止めた。

 失われていた力が、俺の全身に戻ってきている。もと魔王であり勇者であり、なおかつ上位存在たる力の全てが。同時に、すっかり忘れていた様々な事柄を思い出す――いや俺、なんでこんなとこで学生やってんだ? 夢か? そうなのか? いまの外見は……アークのものじゃないな。異世界転移以前の、日本人だった頃の俺の身体だ。十八歳当時の。


 それにしても、異世界転生の直前に一度経験した状況を、三ヶ月も前から、そのまんまなぞり続けてたとは。なにが悲しゅうて大学入試やら高校の卒業式やらの面倒事を二度も経験せにゃならんのか。

 よく見ると、トラックに運転手が乗ってない。ってことは、これはこの世界の本物のトラックじゃなく、異世界の神器――精霊の仕業ってことじゃねーか。いったい何がどうなってやがる。さっぱり状況がわからん。


 ふと、足元を見ると、アイツがうつ伏せに倒れていた。怪我などは見当たらない。たぶん、ショックで気を失ったんだろう。

 俺は右腕に力を込めてトラックのバンパーを握り潰し、高々と左足を振って、フロントに蹴りを叩き込んだ。ぐしゃりと、ボール紙が潰れるような感触が伝わると同時に、黒いトラックは粉々に砕け散り、光の粒子と化して、跡形も無く消え去った。やっぱりこれは転生トラックだったか。かつては手も足も出なかったが、今の俺ならば容易に打ち砕くことができる。しかし、なぜこんなところに……。


「ん……」


 アイツが気付いたようだ。身をよじらせ、顔をあげる。


「あ、あれ? トラックは? 俺、てっきり――」

「ギリギリで避けていったぞ。怪我はないか」


 俺はアイツの手を取って、助け起こした。


「そっ、そうか。二人とも助かったんだ……よかったぁ……!」


 アイツはほっと大息をついて、その場にへたっと座り込んだ。その姿を見て、俺はある違和感を抱いた。あれ?

 今の俺には、アイツの姿が、これまでとはまるで違ったものに見える。別人というわけではなく、これまでまったく気付かなかったというだけのことだが――。


「なあ、おまえさ――」

「そうだ、せっかく助かったんだ。ついでに、誤解をといておくよ」


 俺が問いかける前に、アイツのほうから切り出してきた。

 アイツはやおら立ち上がり、俺の手を引いて校門の陰まで駆けた。俺は素直に引っ張られるままついていく。


「よく見ててくれ」


 物陰に身をひそめつつ、アイツは俺の眼前で、学生服とシャツをいきなり脱ぎ捨てた。肩幅広く、いかにも男らしい、がっしりと逞しい上半身。

 アイツはそのまま背中に右手を回した。

 ジィィー……と、チャックを下ろすような音が響く。……チャック?

 

 バサリ、とアイツの上半身が足元までずり落ちた。

 ……ゲェーッ、肉襦袢!


 その肉襦袢の下から、白くて細い裸身があらわになった。胸にはしっかと二つの膨らみが……!


「……えーと。つまり」


 俺は、やや呆れ顔で呟いた。


「おまえ、女だったと?」

「そ、そう……。あんまり見ないで。誤解は……とけた、よね?」


 アイツは、心底恥ずかしそうに、上目遣いで俺を見た。

 なんたることだ。アイツは女だったのか。それでずっと、俺に惚れていたと。そういうことだったのか……。

 それに、性別のことはともかく、アイツの安否は、こっちの世界で唯一の気がかり、心残りだった。無事でなによりだ。

 そもそも……これは夢なのか、それとも現実なのか。


 もし夢なら、もう少し醒めないでほしいものだが。



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