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612:闇の奥義


 地図を眺めて、およその現在地を確認する。

 下山ルートも既に中腹を通り過ぎ、山麓へとさしかかっていた。


 緩やかな勾配の続く獣道を徒歩で降りながら、ふと見上げれば、視界を覆う松の枝々の間から、赤く染まった夕空が遠く望まれる。

 アンジェリカの本体を回収してから、ここまで歩き続けること数刻。そろそろ最後のチェックポイントが近いようだ。七仙最後の一体、闇仙デモーニカとやらが、そこで待ち構えているはずだが。


「それで、デモーニカの具体的な能力ってのは、どういうものだ?」


 俺の質問に、七仙で最も地味な土仙キャクが応えた。


「アタイの知る限り、戦闘に使えるような能力は持ってないはずだよ。アイツ、戦いはてんでダメダメでさ。あとアタイは地味じゃねえ!」

「なにも言ってねーだろが」

「言わなくてもわかるんだよ! アンタはそういう奴なんだ!」


 キャクめ、ちょっとイジりすぎたせいでヒガんでやがるな。かわいい奴だ。

 アンジェリカが、のんびりした声で続ける。


「さっきも言いましたけどぉ、わたしとデモーニカちゃんは、本来、戦うためではなくて、下山してきた試練の対象者さんを、癒してさしあげるために配置されてますのでー。デモーニカちゃんの能力は、睡眠に関わるものですねぇ」

「睡眠?」

「はい。闇属性は、万物に安らぎをもたらす能力です。対象者の方をぐっすり安眠させて、それはそれは良い夢を見せてさしあげるそうですよぉ。目をさませば、どんな疲れもすっきりと解消して、元気になれるんですってー」


 ははあ。なんかセラピー的なものかね。邪気眼がもたらす安眠……。良い夢ってどんな夢だろう。


「あ、でもぉー、わたしのときと同じで、たぶん今回は、色々と違ってると思いますよー。戦闘になるかどうかはわかりませんけどぉ、気をつけたほうが良いかもしれませんねぇー」


 たしかに。つい先ほど、本来は治癒を司る光属性のアンジェリカが、それと正反対の試練を俺に課してきたばかりだ。しかも中央霊府の結婚反対派の差し金であるという。デモーニカも、同じようなことを俺に強いてくるかもしれん。

 松の枝々にかかる暮色が、次第に色濃く染まってゆく。日はまさに落ちなんとして、遠くに始祖鳥がギャアギャアわめきながら飛んでいく。なんで始祖鳥なんだよ。こういう場合、普通はカラスあたりがアホーアホーと風情豊かに飛んでゆくものだが、始祖鳥にそんな風情など微塵も感じられん。これだから異世界ってやつは。


 ……と、しばし夕空に気を取られ、足を止めたところに、風切り音が迫ってきた。

 横あいから、こちらをめがけて、何か飛んでくる――俺はあえてその場を動かなかった。狙いは外れており、じっとしていれば当たらないとわかったからだ。


 飛来してきたのは、小さな物体が三つ。かなりの速度で俺の眼前をかすめ、かたわらの松の幹に、カカカッ! と音高く突き刺さった。

 むろん俺の動体視力は、その物体の形状をきっちり捉えている。薄い星型の……えーと……十字手裏剣ってやつ? あれに似てるようだったが。


 俺は、無言で顔をあげ、手裏剣が飛んできた方へ目を向けた。やや高い松の枝の上から、こちらを窺っている黒い人影。


「ハッハッハ! どこを見ている! 私はここだ! ここにいるぞ!」


 山森の静謐を破り、若い男の声が響き渡った。いや俺はハナからそっちしか見てないけど。黒い人影……というか、黒頭巾と黒装束で全身黒ずくめな小柄な人物。いわゆるニンジャ? ニンジャナンデ?


「さすがは勇者! わが奇襲の一撃、よくぞかわした!」


 いや俺は一切かわしてないんだけど。普通に外れただけで。


「我こそ闇に生まれ闇に生きし暗黒の使途、闇仙デモーニカ! わが右手に封印されし闇の忍術、いまこそ解き放つとき! さあ勇者よ、わが暗黒の技の数々をその身に受けてみよ!」


 ……あー、はいはい。こういう奴ね。右手に何か封印されてるのね。





 闇仙デモーニカ。いわゆる邪気眼という話だったが、さらに忍者かぶれとは聞いてない。色々とこじらせてそうなのは見ればわかるが。そもそも戦闘には向いてないんじゃなかったか? それも精霊の仕業とやらだろうか。


「さあ、ゆくぞ! 闇忍法奥義・暗黒手裏剣乱れ撃ち!」


 そのデモーニカ、松の枝の上から飛びあがり、枝から枝へ飛び移りながら、俺めがけて十字手裏剣っぽいものを次々と投げつけてきた。なんだよ闇忍法って。

 ……しかし、どれも狙いがいいかげんで、まったく当たらない。俺はその場から一歩も動いておらず、ただ突っ立ってるだけ。手裏剣は俺の足元の地面にどんどん突き刺さるばかり。むしろ故意に俺に当てないように投げてるんじゃないかと思えるくらいだ。


「くっ……! や、やるな! わが奥義を、こうもやすやすと……!」


 手持ちの手裏剣が尽きたのか、デモーニカは飛び回るのをやめ、ぜいぜい息をきらしながら呟いた。

 え、いまの、奥義だったのか?


 枝から枝へぴょんぴょん飛び移る身体能力だけは、多少、忍者らしいといえんこともないが。コイツ投擲の才能はまったく皆無のようだな。


「おのれっ、ならば!」


 俺が黙って見ていると、デモーニカは相変わらず枝の上から、なにやら珍妙なポーズを取りはじめた。おお、今度は何だ?


「闇忍法究極奥義ッ! 邪霊暗黒睡蓮波ァッッ!」


 えらい長い技名だ。究極奥義って。……と、見ていると、デモーニカが右手を開いて前へ突き出した。その掌から、なにか黒い霧のようなものが物凄い勢いで噴き出して――たちまち俺の視界を覆いつくした。

 あ。しまった、油断した。あまりのヘッポコ具合に、つい……。もしかして全て計算ずくか? だとすれば汚い、さすがニンジャ汚い。


 とかジョーク飛ばしてる場合じゃない。まずい、視界がまったくきかない。しかも急激に眠気が襲ってきた。これは睡眠魔法か? いや、そんなものは俺には通じないはず。だが、この眠気は……!

 いかん……。


 意識が……保てない……。



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