611:妨害策
光仙アンジェリカの特製錠剤による、病毒の試練――。
「もうどこにも異状はありませんかぁ? でしたらぁ、合格ですねー」
アンジェリカは、にこにこ微笑みながら宣告した。
三十七種の致死性病毒魔法も、俺にはちょいと不快な程度。それもすぐに収まり、即座に完治してしまった。
「今だから言っちゃいますけどぉ、中央霊府には、勇者さまとサージャちゃんの結婚に反対してる人たちがいるんですよぉ。ここの試練は、わたしたち七仙ではなく、その方々の意思で決まったことなんですー」
「……ようするに、この試練は、俺への嫌がらせってことか?」
アンジェリカはゆったりと微笑んだ。
「ただの嫌がらせというより、妨害ですねー。あそこの皆さん、昔から、偏屈でイジワルなお年寄りばっかりですからねぇ。あわよくば、ここで勇者さまを足止めできるかも、って考えたんだと思いますよぉ」
「ほう……そんな意図があったか」
アンジェリカの説明に、俺は薄笑いを浮かべてみせた。
常人なら三十回は死ぬような病毒の塊を、試練と称して、この俺に飲ませる。殺しても死なない伝説の勇者といえど、こんなものを飲めば、まず無事では済まないはず。その場でぶっ倒れて悶え苦しみ、かなりの長期間、人事不省に陥ることだろう。
そしてルール上、季節が冬の間に俺が下山を果たさねば、試練は不合格となる。俺とサージャの婚姻も成立しないことになる。それを狙って、春先まで俺を山中に釘付けにしておくための一策だったというわけだ。
実際にあの錠剤を飲んだ身として言うなら、実はあながち的外れとはいえない。そもそも病毒魔法など勇者には通用しない……と、俺も思い込んでいたが、内側から攻められると、意外なほど強烈な効果があった。致命的なレベルにはほど遠いにせよ、俺が現時点で上位存在としてのパワーアップを果たしておらず、ただの勇者のままだったなら、本当にぶっ倒れていた可能性すらある。
「いや、あたしもさぁ、ちょっとくらい苦しむだろうと思って、期待してたんだけどさ」
またまたコロリと口調と表情が変わるアンジェリカ。今は冬の日本海モード。何を期待してたんだ何を。
「でもアンタ、ほんとにビクともしねえんだもんなァ。くっそ、あと五十種くらい病毒追加しときゃよかった。あっ、なんだったら、これから試してみねえ? 二時間もあれば新しいの調合できっからよ!」
「お断りだ」
「ちぇー。ケチー」
アンジェリカは不満げに呟いて、その場に座り込んだ。
……ともあれ、およそ事情はわかった。俺への足止め目的で魔法毒を飲ませようなんざ、到底マトモな奴らの発想ではない。その反対派とやら、かなり性根が腐っていやがるな。あちらがそう来るなら、こっちも今後、少しばかり対応を考えねばなるまい。
アンジェリカは自らの意思で人化の状態を解き、本体である小石に戻った。親指の先くらいの大きさで、真珠そっくりの光沢を帯びた球状の石だ。
他の七仙もそうだが、とくにダメージを受けなくても、必要に応じていつでも本来の姿に戻ることができるらしい。ただし、いったん小石になってしまうと、仙丹のところに戻らない限り、再び人化することはできないそうだが。
「本当はぁー、石に戻る前にぃ、勇者さまと、ここで一晩過ごしたかったところですけどねぇー。そしてぇ、一夜の過ちを犯した二人は、そのままの勢いでぇ、丘の上の教会まで、手と手を繋いでゴールイン……という計画をですねぇ」
一夜の過ちくらいでそんなとこまで駆け抜けてたまるか! そもそも無機物相手に過ちの犯しようもないっつーか。
「でもー、こんなメチャクチャな場所で一晩過ごすというのも、無理がありますしねぇー……断腸の思いで、ここは使命を優先しますよー」
ここは山の中腹の森林部……だった場所。むろん、現在は俺のメラゾーマ、いやメラの直撃で木々も地面も黒々と焼けただれ、まだそこかしこから白煙がプスプスと立ちのぼる焦土のごとき情景と成り果てている。たしかに、ご休憩にはちょっと適さない場所かもしれん。誰だこんな酷いことをした奴は。すみません。
戦闘や試練の結果に関わらず、試練の対象がチェックポイントを通過する際には、七仙は必ず小石の状態に戻り、それを回収して下山するのがルールだとか。そんなこんなで、俺は小石に戻ったアンジェリカをザックに放り込み、次なる……最後のチェックポイントへ向かって歩き出した。
「闇仙ってのはどんな奴だ?」
森の中に一条、細い獣道が伸びている。そこへ踏み入り、枯れ草をかきわけ歩きつつ問うと、ザックの中から風仙ビョウが応えた。
「デモーニカか。ひとことでいやぁ、邪気眼だな」
「は?」
「本人はいっぱしのワルを気取ってて、見た目も悪人っぽいし、口も悪いんだけどよ。でも実際には気が小さくて、悪事なんて絶対働けねえし、いつも口ではなんだかんだいいながら、実は他人の心配ばっかしてやがる」
「……それのどのへんが闇属性に繋がるんだよ」
「ほれ、アンタにも昔あったろ? ダークとかブラックとかちょいワルとか、そういうのに憧れて、カッコイイと思える時期がさ。あいつはその状態でずっと存在し続けてる、永遠の中学二年生なのさ」
なるほど。それはある意味、心の闇が深そうだ……。というかなんでこの鶏ゴボウ、邪気眼だの中二だのいうワードを知ってんだよ。
もっとも、マテルやアンジェリカのように、デモーニカもまた、精霊とやらにイジくられて性格が変わっちまってる可能性もある。最後のチェックポイント、まだまだ油断はできないな。




