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610:病毒三十七種


 アンジェリカが差し出した白い錠剤。

 見ためは、その大きさといい形状といい、いかにも頭痛腰痛生理痛なんかに良く効きそうな例のやつにそっくり。あれは半分が有効成分で、あと半分は、巨大ロボットの名前みたいな胃薬が入ってるらしいが。……それはともかく。


 実際にはアンジェリカ特製の魔法術式が凝縮された一粒であり、アンジェリカ曰く、三十七種の病毒効果を持つという。


「ほら、一気に飲んじまいな。なーに、一瞬で即死するような病気は含めてないから。呼吸器系を中心に、じわじわと体内を蝕んでいくタイプの、特にいやらしいのを厳選しといたからなっ」


 妙に良い笑顔で、そんな恐るべき錠剤を差し出してくるアンジェリカ。なんで嬉しそうなんだよ……。


「一応、確認しておきたいんだが」


 錠剤をアンジェリカの手から受け取りつつ、俺はあらためて問うた。


「……この試練、なんの意味があるんだ?」


 アンジェリカは、うんうんとうなずいてみせた。いつの間にか、また穏やかな顔つきに戻っている。忙しい奴だな。


「本来はぁ、わたしとデモーニカちゃんは、試練を与える存在ではないのですよー。従来の手続きでしたらぁ、婚姻の儀の試練は、ザグロス山脈の登頂に成功して、マテルちゃんと戦って勝ったところで、おしまいなんですぅ」


 え? そうなのか? デモーニカってのは、最後のチェックポイントにいる闇仙のことだろうけど。


「下山ルートの二つのチェックポイントはぁ、疲れ切って下山してきた試練の対象者の心身を癒してさしあげ、元気に地上へ帰っていただくために用意されてるものなんですよー。光属性のわたしがここに配置されてるのも、本来そのためなんですけどねー」

「つまり、今の状況は、本来の試練とは異なると?」

「そりゃあ、対象が伝説の勇者さまですからねぇ。それで今回だけ、下山ルートでも、特別な試練を受けていただこうと。ただぁ、わたし、戦闘は得意じゃありませんので、こういう形で試させていただくことになったんですー」


 はあ。勇者専用に設けられた特別試練ってことか。確かに、俺はここまでピンピンしてて、癒しなんぞ不要だしな。






 白い錠剤を口に放り込み、一気に飲み込む。

 ……十秒。……二十秒。まだなんともない。胃の中で、錠剤がじわっと溶けていくのを感じる。


 三十秒。おお、なんか胸もとがムカムカしてきた。喉のあたりに何か込み上げてくる。右の側頭部のあたりにズキズキと痛みが……。

 アンジェリカは、わくわく顔で俺を観察している。


「わー、すごいですねぇ。いま特に効いてるのは、肺結核と喘息の病毒ですね。常人ならもう血を吐きながら痙攣して昏倒して、一月くらいは立ち上がることもできないぐらいですよぉ。あ、偏頭痛のほうもそろそろ……」


 来てる来てる、その偏頭痛。これがまた、けっこうツライんだよなぁ。

 本来、勇者たる俺に毒物は効かない。病気にもならない。病毒魔法だって、もちろん効果はない。……はずだが、キッチリ効いていやがる。偏頭痛なんて感じたのは、この世界に転生以来、おそらく初めての経験だ。ある意味、珍しい状況といえなくもない。


 ほどなく、心臓あたりがズキズキ痛み出した。これまた新鮮な感覚。以前、幼馴染に刺されたり、あるいは自分でアエリアを胸に突き刺したりしたことはあるが、こう内側からじわじわと責められる痛みというのは、本当に久々に感じるものだ。

 ただ、いずれも痛覚よりは不快感のほうが大きい。若干発熱もあるようだが、意識はハッキリしている。


 おそらく今、俺の全身は常人なら三十回くらい死ぬレベルの猛烈な病毒に冒されまくっている。それは感じるものの、致命的とまではいかないようだ。喉のあたりがイガイガしてて、ちょいと呼吸がしづらいのが鬱陶しい。それ以外はまるで大したことないな。

 そんな俺の様子を眺めて、アンジェリカは呆れたような顔つきを浮かべた。


「うはー……マジかよ。もう全ての病毒の効果が出てるはずだぜ。なんでそんな平然とした顔で立ってられるんだよ。やっぱ勇者はすげえな。もう少し苦しむと思ってたのに」

「いや。たぶんもう、勇者がどうとか、そういう問題じゃないと思うぞ」


 俺は小さく息をつきながら応えた。首をかしげるアンジェリカ。


「どういうことだよ?」

「つまり、こういうことだ」


 痛みや不快感が、だんだん鬱陶しく感じてくると同時に、俺の周囲に、ぼうっ……と、薄青い燐光が浮かび、全身を包み込みはじめた。どうやら、久々に感じた痛みに変な興奮を覚えたせいで、さっきの崖登りのとき同様、少々精神が昂ぶってしまったようだ。


「えっ……? な、なんだよこれ……!」


 途端、アンジェリカが目を見張る。


「この輝き、まさか?」


 燐光が次第に輝きを増していく。同時に、俺の体内から、様々な痛みや不快感が急激に薄まりはじめた。病毒に冒されまくっていた体内が、ぐんぐん浄化されていくのが自分でもハッキリとわかる。


「これって、せ、精霊様と、同じ力……?」


 アンジェリカの驚きを込めた呟きに、俺は苦笑しつつ、うなずいてみせた。


「そうらしい。残念ながら、おまえの病毒程度じゃ、今の俺には通用しないようだ」

「はぁー。馬鹿と勇者は風邪を引かないって、本当だったんだな……」


 やかましいわ。それじゃ俺が馬鹿みたいじゃねーか。いや否定はできんけど。



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