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607:外道式下山法


 ――そろそろ下山に取り掛からねばならない。太陽はもうはや西へ傾きはじめている。

 だがその前に。


 俺はザックから金色の小石を取り出した。金仙マテルの本体。他の七仙と違い、やけにきっちりした長方形で、サイズは親指ほどながら、さながら小さな金の延べ棒のようだ。ただし俺がみたところ、材質は純金ではなく、オリハルコンやヒヒイロカネに近い魔法合金っぽいものと思われる。


「さて、マテル。聞かせてもらうぞ?」


 俺の呼びかけに、マテルは嬉しそうな声をあげた。


「ええ、なんでもお聞きください。愛するあなたさまにだけ、わたしの秘密をそっとお教えいたします。あ、でも、体重だけは、どうかお聞きにならないでくださいね? 乙女のトップシークレットですので。それ以外のことでしたらなんなりと」


 ええいやかましい。そんなもんハナっから興味ないわ。重力使いなら、それこそ自分の体重なんぞ、どうとでもできるだろうが。


「スリーサイズはもちろん、特に敏感な部位や、あちらの具合なども……」


 無機物のスリーサイズなんぞ、どうでもえーっちゅうねん!


「俺が聞きたいのは、他でもない。オマエを改造したという奴のことだ」

「ああ、なんだ、そのことですか……」


 マテルは、テンションが急降下したように低い声で応えた。いったい何を期待してたんだコイツは。俺は続けて問うた。


「おまえのその異常な力は、いったい何だ? ビョウたちが言うには、性格も変わってるそうだが……」

「残念ですが、今はまだ、詳しい事情を明かすことはできません。いずれ時が来れば、必ずお話しいたします」


 マテルはやけに冷ややかに告げてきた。なんだそりゃ。


「ただ、ひとつだけ……わたしの能力に大幅な拡張を施し、メモリ領域に改竄を施した御方とは、エルフや人間ではありません。もっと上位の、大いなる意思によって、ある明確な目的のためになされたことです。今はそれだけしかお教えできません」

「大いなる意思?」

「はい。凡人が呼ぶところの、精霊……といわれる、高貴な存在です。現在ではあなた様も、それに近しい存在となられつつあるようですが」

「精霊だと……?」


 俺は呟いたが、マテルはそれきり口をつぐみ、沈黙してしまった。

 現時点で俺が知る精霊といえば、ずっと魔王城にいて、今は行方不明の神魂と……あとは、地下遺跡の守護精霊で書庫の番人でもあったツァバト……このふたつだが。このどちらかがマテルと接触し、改造を施したというのか? あるいは、まだ俺が知らない別の精霊の仕業かもしれない。そういえば仙丹には森の大精霊とやらが宿ってるという話もあったな。そいつか? あと、何か目的があってのことらしいが、それもサッパリわからん。


 どうにも疑問は尽きないが……肝心のマテルは、もう話す気がないようだ。

 やむをえん。今はまだ、この件はひとまず置いとくしかないか。





 今回の冬山試練におけるルールのひとつに、空を飛んではならない、というものがあるそうな。

 そりゃ山登りの試練で、山頂まで飛んで行ったのでは意味ないわな。


 ところが、火仙アグニ曰く――飛ぶのはダメでも、下山時に飛び降りるのは、とくに問題ないらしい。もちろんパラシュートみたいな特殊な道具を使うのは禁止だが、自然落下ならルール上は問題無いんだとか。

 そんなわけで、俺はいま、ザグロス山頂から一気に崖下めがけて身を投げ、スカイダイビングの真っ最中だったりする。


 案外、ゆったりと落ちているように感じる。大気がまるで見えざるクッションのように全身を支え、落下を妨げているような感覚がある。もちろんこれは錯覚で、実際には相当な速度に達している。このまま地面に激突したら常人なら即死する。ズタズタに細切れの無残な遺骸と化すことだろう。俺は平気だけどな。

 ザグロス山脈の最高峰への登頂は果たしたものの、実はまだ試練は終わっていない。登りルートとは反対側の下山ルートに、二つのチェックポイントが残っており、七仙のうち光仙、闇仙の二人……いやどっちも人間じゃないが……が待ち構えているという。


 そこで、俺は下山ルートを地図で確認した上、まず光仙が待っているチェックポイントめがけて、山頂から直接ダイブを試みた。

 現在、眼下には陽光を浴びて輝く白い山肌。そのあちこちに、ぽつぽつと緑のかたまりのように見える常緑樹の山林。複雑に輻輳する地形の間を縫って滔々めぐる細い渓流、断崖に沿い羊腸とうねる褐色の山道――といった光景が、急速に視界へと迫り拡大しつつある。


 このまま何もせず、大の字の姿勢で素直に落っこちれば、大昔の少年漫画みたいに人型の穴を穿ちながら地面に突っ込んで埋もれることになりそうだ。それも一興ではあるが……そこからまた土砂まみれになって這い出すなんて、面倒な話だ。

 空中、なおも落下を続けながら、俺は両手を地上へとかざし、素早く呪文を詠唱した。俺の両手から一閃、赤い火線が走り、眼下の地面をまっすぐ撃ち叩いた。続いて、ぐわうっ! と、大きな赤い爆炎が地上に生じ、四方へ広がってゆく。たちまち、猛烈な爆風が地上から噴き上がり、落下し続ける俺の全身を真っ向から覆い包み、押しとどめた。


 ようするに、攻撃魔法の爆風で軽くブレーキをかけてみたわけだ。もちろん落下そのものは止まらないが……かなり、いや想定以上に減速できた。

 いま使ったのは、昔ケーフィルから教わった火炎系攻撃魔法の初級のもの。もちろん戦闘用なので、ただの発火の魔法よりは威力があるが、本来は握り拳くらいの火球をぽんっと飛ばす程度のものだ。


 それが……いまゆっくりと落下しつつ地上を眺めると、あきらかに地面に大穴を穿ち抜き、噴き上がる濛々たる黒煙とおびただしい熱気流。周囲の木々は炭化し、焼けただれた岩床は赤々とマグマのように煮えたぎり、見るかげもない惨状を呈している。初級魔法で、これはなんたる威力か。

 ようするに。


 いまのはメラゾーマではない……メラだ……。



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