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606:山を切り裂く


 金仙マテル――強敵だった。

 強烈な重力制御の能力を擁し、俺の周囲の重力を操って、俺の身体能力を実質半減させた。いわゆるデバフというやつだな。今まで出会ったことのないタイプの敵だった。


 結果だけを見れば、それでも俺の一撃を食い止めることはできず、マテルはあっさり消滅して、本来の姿――金色の小石に戻っている。ただし、それは俺自身が近頃、以前よりパワーアップしていたからで、それがなければ勝負の行方はわからなかった。まさに危機一髪の状況だったというも過言でない。

 ……現在地はザグロス山頂、標高三千二百メートル、エルフの森における最高峰の頂上にあたる。すでにチェックポイント通過という目的は果たしてるので、とっとと下山に取り掛かってもいいんだが――せっかくここまで自力でよじ登ってきたわけだし、もう少しこの山頂の絶景を楽しんでおきたい。


 俺は山頂の岩の上に腰をおろし、ザックから干し肉を取り出した。

 おもむろに呪文を唱え、指先から小さな火の魔法を生じさせ、干し肉を軽く炙ってみる。なんせ氷点下を遥かに下回る気温で、干し肉もカッチカチに凍ってやがるからな。といって焚き火を起こすのは面倒なので、こんな横着をやってみた。魔王時代とは比ぶるべくもないが、一応、今の俺も人並み以上の魔力は持ってるしな。指先からローソク程度の火を出すくらいは造作もない……。


 と、見ていると、突如、ローソクどころか火炎放射器のごとき蒼く太い猛炎が、いきなり指先からごおうッ! と音を立てて噴き出した。

 え? あれ?


「なにやってんスか、勇者どの?」


 ザックの中からメビナの不思議そうな声が響いた。


「いや。どうも火加減を間違えたらしい……」


 応えつつ、俺は首をかしげた。既に火の呪文の効力は消え、発火は収まっている。が、当然ながら干し肉は完全に消し炭と化していた。こりゃどういうことだ。

 いま俺が使ったのは、昔、ウメチカにいた頃の魔法の師匠だったケーフィルから教わったもので、きわめて初歩的な火の魔法だ。最低限の魔力さえあれば幼児ですら使える代物で、せいぜい蝋燭かアルコールランプくらいの火を指先に灯すものでしかない。どう間違っても、さっきのような、とんでもない火力にはならないはずなんだが……。


 もしかして、あれか? 俺が上位存在と化し、パワーアップしたことと関係があるんだろうか。身体能力だけでなく、魔力も大幅にパワーアップしていると?

 ひょっとして……今なら、魔王時代ほどではないにせよ、ある程度は強力な魔法を使いこなせたりするんだろうか?


 よし、ならばさっそく試してみよう。ここは山頂。周囲には障害物も何もないし、ちょうどいい。せっかくだから、とびきり強烈なのをぶっ放してやろう。

 思うが早いか、俺は再び立ち上がるや、はるか北方を眺めおろしつつ右手をかざし、呪文の詠唱を始めた。


 勇者に転生して以降、魔法を使う機会はさほど多くなかった。だいたい、魔王だった頃は詠唱なんて必要なかったのだ。ちょいと念じるだけで、どんな魔法も使いこなせた。いちいち詠唱しなきゃ使えない魔法なんて、不便で仕方ないと感じていたくらいだ。だが、多少でも威力が増しているなら、色々と使い途はあるはず。面倒でも、きっちり使いこなしてみるべきだろう。

 詠唱が完了する。風系の上位魔法、大気中に真空の刃を生み出す、いわゆるカマイタチの魔法。以前、かの偽乳特戦隊のスワナ隊長が得意としていた攻撃魔法だが、あれは無数のカマイタチを同時に操るという高等な術式だった。俺はそんな器用な真似はできないので、術式を簡略化し、ただ一発、巨大なカマイタチを生み出した。これを彼方の眼下、雲間にそびえる隣山の頂上付近めがけてぶん投げる。正確な距離はわからないが、おそらく直線距離で十数里は離れているはず。


 見えざる巨大な真空の刃は、その彼方の山頂一帯を、斜めにスッパリと切り取った。

 しばしの静寂の後、山頂部分がズリズリと音を立てて、斜めに滑り落ち、雲間にその影を没するという、世にも珍しい光景を見ることになった。


 あー。えーと。

 正直、届くとは思ってなかったんだが……。届いてしまった。


 それも、まさか山をスッパリ切り裂いてしまうほどの威力とは。こんなもん地上で使ったら、ちょっとした都市くらい、一撃で消滅するぞ……。こりゃ、いくらなんでもパワーアップしすぎだ。


「す、凄まじい魔力を感じました……! さすがは愛しの勇者さま。あっちだけでなく、魔力のほうも絶倫なんですね!」


 いまは小石に戻っている金仙マテルの嬉しそうな声がザックから響いた。あっちってどっちだよ! というか、今まで忘れてたが、コイツからは後で色々と話を聞かにゃならんな。


「オイオイ……シャレになんねーな。風仙を名乗ってる俺様の立場がないぜ」


 と、ビョウが横から呆れ声で呟く。


「なー、勇者どの。アンタさ、そんな大きな力で、いったい何する気なんだ?」

「さあ……どうしようかね」


 俺は苦笑しつつ、その場に座り込んだ。

 実際、笑うしかない。自分でも知らん間に、魔王時代に匹敵するほどの魔力がこの身に備わっていたとは。


 無論、これはこれで有効に活用すべきだ。一応、まだ俺に敵対する勢力は残っている。いずれ、この魔力を地上で振るう日も来るかもしれない。ちょっと加減を考えないといかんだろうがな。



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