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603:ピンクの邂逅


 翌朝。

 山小屋で一泊し、外へ出てみると、天候はまさに快晴。雲ひとつない。もっとも山頂からは強風がびょうびょう吹きおろしてくるし、地面は硬い雪に覆われている。気温は氷点下を大幅に下回っており、常人が野外で寝てたら普通にそのまま冷凍マグロと化すレベル。俺はまだまだ平気だけどな。


「そりゃ勇者さまは人外っスからねぇ」


 ザックから聞こえるのは水仙メビナの声。こいつはアグニ同様、俺の思考を読めるらしい。


「勇者さまの環境耐性はクマムシ並みっスよ。凡人と比べるのは無意味っス」


 なんでオマエがクマムシ知ってんだよ! あれは宇宙空間でも生存できるっていうからな。そんな微生物に伍されてもあまり嬉しくはないが。


「……ここから山頂までは、道はないんだな?」


 山小屋の戸口から一歩を踏み出し、はるか彼方へ続く銀色の大斜面を見上げつつ、俺は訊ねた。現在地は標高二千五百メートル、第四番目のチェックポイントにあたる。次の第五のチェックポイントは山脈の最高峰、すなわちザグロス山頂。標高およそ三千二百メートル。


「そうっス。ここから山頂までが、試練の最大の難所っスね。直接、あそこをよじ登って行くことになるっスよ」


 ただの斜面ではない。表面にはびっしりと厚い氷雪が張り付き、ところによっては垂直に近い険しい岩壁になっている。とはいえ、昨日はこの山小屋の手前まで、同じような山肌を素手でよじ登ってきている。むしろロッククライミングの楽しさに目覚めてしまったひとときだった。あのテンションで、今度は一気に山頂まで突き進んでしまおう。


「で、山頂にも七仙の誰かがいるのか?」

「もちろん、いるよ!」


 俺の問いに応えたのは土仙キャクの声。


「あそこには金仙が待ってるよ。ちょっと変な奴だけど、強さはアタイより上かもね」


 なぜかドヤ顔で胸をそらしてる様が目に浮かぶ。なんでおまえが得意気なんだよ。しかも間違いなく七仙最弱最地味のキャクより上といわれても、それじゃ強いのかどうかわからん。変というなら、ここまで出て来た七仙、どいつもこいつも変な奴ばっかりだし。


「俺様はアイツ苦手なんだよなぁ」


 と、今度はビョウの声。


「なんでだ?」

「いやさぁ、なんつーの? こう……音楽性の違い? ってやつでさ」


 またどこぞのロックバンドの解散理由みたいなことを。


「あと、重いんだよ。アイツ」

「重い?」

「そう、いろいろとな。後は着いてからのお楽しみってことで。まずはロックなクライミングといこうぜ!」


 ええい思わせぶりな。ともかく登ればいいんだろ、登れば。





 昨日もそうだったが……この岩壁登りというやつ、身体が慣れて、コツを掴むまでが大変だった。昨日とはまた少々条件が違っていて、岩壁に張り付いている氷雪の割合がかなり多い。しっかり凍りついて硬くなっていればいいが、ところどころ脆い部分もあり、そこへ迂闊に手をかけると、ぼろりと剥がれたり崩れたりする。このへんを見極めながら慎重によじ登って行かねば、ほんの少しでも気を抜けば滑落しかねない。もうほぼロックじゃなくてアイスだな。アイスクライマーだ。昨日のクライミングの難易度がノーマルモードとすれば、今日はハードもベリーハードもすっとばしてエクストリームモードってところか。

 しかしいったん慣れてくれば、そんなエクストリーム難度の氷壁も余裕で登れるようになっていた。適切な重心、移動、安全なルートの見極めなど、登れば登るほどコツがわかり、どんどん楽しくなっていく。かつて二十世紀最大の悪人といわれたアレイスター・クロウリーは、性魔術という名目で美女相手の変態行為に耽る一方、純粋な趣味として登山を愛し、情熱を燃やしたという。今ならその気持ち、よくわかるぞ。


 いつしか、俺の全身は、また謎の燐光に覆われていた。ぼうっと薄青い不思議な光。気分が高揚すると自然に出る現象のようだ。以前はこんなことは一切なかったんだが。これも、アグニらがいうような、俺が上位存在と化したという話と関係あるんだろうか? 特に害はないようなので、今はあまり気にしないでおこう。

 ふと見上げれば、延々続くかと思われた大斜面も、すでに頂が見えていた。あとわずかで、このザグロス山脈の頂上を制覇できる。よじ登るのに夢中になってて、時間の経過などすっかり忘れていたが、もう陽は沖天を過ぎていた。


 しかし――かつてサージャやメルもここの登頂には成功していると聞くが、メルはともかくサージャが、あの小さい身体でよくこんな険しい岩壁を登れたもんだな。


「それはですねえ」


 ザックからアグニの声が響く。どうやらこのフレーズ、アグニの口癖らしい。


「彼女はパンツの中に大量の登山道具を入れていたのですよ。そこから取り出した無数のハーケンを風魔法で飛ばして壁に打ちつけ、がっちりとザイルロープを掛け渡して登っていったのです」


 パンツって……そうか、サージャのかぼパンは、なんでも入る魔法の四次元パンツだったな。それに必要な道具を入れておき、この登山にのぞんだと。

 ビョウがいう。


「ありゃまさに次代の長老に相応しい、頭脳的な攻略ぶりだったな。道具も魔法も使わず、身体能力にまかせて素手でよじ登ってるアンタとは、まるで正反対だぜ」


 やかましいわこの鶏ごぼう。

 ……などとやってるうちに、俺はいよいよ最後の崖っぷちに、がっちり手をかけた。


 ザグロス山脈の制覇まで、あとわずか――。崖の上に、何者かの気配がある。どうせ金仙とやらが手具脛引いて待ち受けてるんだろう。

 両手を崖にかけて、ぐぐっと力を込め、上方へ大きく身を乗り出す。その先にあったのは……。


 股。

 股間。


 俺の視界いっぱいに、ふっくらした白い太股が、左右に伸びている。そのど真ん中に、ピンク色の下着。


 ……これはどういう状況なのか。一瞬戸惑ったが、どうにか把握した。

 おそらく、山頂で俺を待ってた奴が、崖っぷちにしゃがみ込んでいたのだ。ちょうどそこに、俺がひょいっと顔を出し、スカートの中で全開中のピンクの下着とコンニチワ……と。


「みぃーたぁーなー……」


 股間の上から声がした。顔をあげると、長耳をプルプル震わせ、顔を引きつらせるエルフ少女。

 俺はなんでもないような顔して応えた。


「うむ。出迎えご苦労」

「蹴り落としてさしあげましょうか……?」


 エルフ少女は頬をひくつかせながら告げた。こいつが金仙だろうか?



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