060:ペナントと木刀
街道を進むと、右手に松林、左手に木造の古びた建物がいくらか見えてきた。
湖岸へと続くなだらかな傾斜地。そこにひしめく集落。見た感じ、田舎集落にしては規模はそこそこ。人口数百人ってとこか。岸には桟橋があり、船も繋がれているが、あまり大きなものはない。せいぜい二、三人が乗れる程度の手漕ぎボートばかりだ。地元の漁師とかの船だろうか。
馬車は街道から脇の砂利道に入り、集落へと近付いてゆく。俺たちは一応、用心のため顔をマフラーで覆い、住民を驚かせないよう、ゆっくりと馬を進めた。あまり道は整備されていないようだ。小石だらけで、車体がガタガタ揺れる。
道の途中、松の木が並ぶ一角にさしかかる。ここいらが集落の境界になっているようだ。とりあえず松の木陰に馬車を止める。木々の向こうには、木造の家屋が雑然と立ち並び、その間を縫うように、馬車一台がなんとか通れる程度の道が湖岸のほうへと続いている。意外と人影は多い。ちょうど通りがかってきた四、五人のエルフの若い男女が、遠くから物珍しげにこっちを見ている。
無理に馬車で奥まで入り込む必要はないだろう。ここに馬を繋いで、あの連中に、なにか店とかがないか、聞いてみるか。
箱車から出て、エルフたちに近付き、声をかけてみた。どいつも麻の半袖シャツに、同じく麻の足通しという、シンプルを通り越して粗末な服装。男も女もエルフらしい涼しげな顔立ちの美形揃いだが、肌は少々浅黒い感じがする。日焼けだろう。
「……魚を買いたい?」
エルフの若い男が、ちょいと怪訝そうな顔つきで応えた。
「まあ、そういう店、あるにはあるけど……最近はなあ。あんたら、このへんは初めてか?」
「ああ」
俺がうなずくと、若い女が首を振った。
「このへん、ここ半年くらい、すっかり魚が取れなくなっちゃってね。もう漁はやってないの。ちょっと前までは、賑やかな漁村だったんだけどねー」
「なに? じゃ、ここの住民は……」
また別の若い男が横から言う。
「ああ。ここの漁師たちは、もうほとんど、漁を諦めて出稼ぎに行ったり、畑を耕したりしてるよ。船もずっと繋ぎっぱなしでね。そら、ここから街道をはさんで、松林が見えてるだろ。あの向こうに、みんなの畑があるんだよ。俺たちも、これからあそこに畑仕事に向かうとこさ」
それはまた、なんとも残念なことになってるな。しかし、畑作をやってるなら、なにか魚以外にも旨いものはあるかもしれん。田舎とはいえ街道沿いの、そこそこ大きな集落。名産品のひとつやふたつはあるだろう。
で、訊いてみると。
「そんなら、ミレドアのとこに行ってみな。このダスクじゃ、観光客向けに商売やってんの、もうあそこだけだから」
ルミエルに留守番を言い渡し、俺はそのミレドアとかいう奴の店に向かった。木造土壁の古くさい建物が並ぶ路地を歩いてゆく。足もとはやや湿った砂地で、踏みしめるたび、ぽふぽふと柔らかい感触がある。時折住民らしきエルフどもとすれ違うが、いちいち珍しそうな顔して振り返ってきた。こんなとこに何しに来た、とでもいわんばかり。西霊府とはえらい違いだ。住民だけでなく、集落そのものの雰囲気が、どこか陰鬱としていて暗い。事情が事情だけに仕方ないんだろうが。
歩いてる間に、何度か奇妙な地面の振動を感じた。常人には感知できないほど微弱な揺れだが、俺の察知能力はハッキリと捉えている。地震だろうか。
ひょっとすると、このへんで魚が取れなくなった理由と、何か関係があるのかもしれないが──いや、どうでもいい。ここに長居する気も、関わり合いになるつもりもないしな。
店の場所はさっきの連中にあらかじめ聞いておいたが、それでも見つけるまで意外と時間がかかった。ここの路地、狭いうえに、変に入り組んでて視界がきかないから、ちゃんと道順を憶えておかんと迷いそうだ。
路地から、少しひらけた感じの空間に出る。集会スペースか何かだろうか。松の木に囲まれた小さな広場だ。その一角に、ぽつねんと立つ木造店舗。二階建てで、つくりはそれなりにしっかりしてるが、かなり老朽化が進んでいる。二階部分に大きな手書き看板がかかっていて、ミレドアの店、と、ヤケクソに書き殴ったような字体で表記してある。
俺は広場を横切って、ようやくその店にたどり着いた。店先には商品棚が出ていて、瓜やらイモやら並べてある。なんというか、いかにも寂れた個人商店っぽい雰囲気。
入り口から、薄暗い店内をちょいとのぞいてみる。客の姿はない。小さなカウンターがあり、その手前に干し肉やパンなどの食料品、ナイフや木桶などの生活雑貨が無秩序に並んでいる。壁際にはヌイグルミやらペナントやら木刀やらが展示されている。なぜ木刀。
どうやら、もとは観光客向けの土産物がメインの店だったようだな。今は肝心の観光客が来なくなって、たんなる地元の雑貨屋になってるようだ。
カウンターの奥のほうから、ぱたぱたと足音が響いてきた。俺様の来店に気付いたようだな。
「あれー、どなたー?」
やけに間延びした声とともに姿を現したのは、エプロン姿の若いエルフの娘。
「わっ、お客さんだー! すみませーん、気付きませんでー!」
俺の姿を見て驚いたように声をあげ、慌ててぺこりとお辞儀する。なんとも騒々しい奴だ。
だが、その娘が顔をあげた瞬間、俺の煩悩センサーが全力でアラートを発した。
さらさら揺れる長い金髪。すっきり整った目鼻。大きな空色の瞳がキラキラ輝いている。薄朱のさす白い頬。ややあどけなさを残す人懐こい微笑み。
これは──これは凄い。凄い美少女さんだ。そりゃエルフの娘はみんな例外なく美形なんだが、これはまた何か一段、格が違うというか。全身から立ちのぼる猛烈な愛されオーラ。圧倒的なまでの可愛らしさ。
「……ミレドアってのは、あんたか?」
内心、急速に湧きあがりつつある情欲を、かろうじて抑えつつ、俺は尋ねた。
「はい、そうでーす! あ、もしかして、旅の人ですかー?」
ミレドアは、長い耳をぴょこんっと跳ね上げながら、とびっきりの笑顔を向けてきた。




