051:祈りと祝福の詠唱
リリカとジーナ。今のところ正体不明だが、一撃でオーガンを仕留めたナイフ投げの技量といい、途方もない逃げ足の速さといい、尋常なエルフでないことは確か。忍者という言葉がピッタリくる連中だ。女だから、くノ一かな。
だが、くノ一だろうが何だろうが、俺さまの身体能力に及ぶべくもない。
俺はいったんアエリアを鞘におさめ、二人を追った。旅館の手前あたりであっさり追いつく。走りつつ、ひょいっと両腕を伸ばして、背後から二人の襟首を掴む。
よし捕まえた──と思ったが、二人は同時に着衣をすぽっと脱ぎ捨て、パンツ一枚の姿で前方へ跳躍した。おお、やりおる。空蝉の術か。
旅館前には、何人かの旅行者たちが佇み、たむろしている。マナたち一家も、まだそこにいた。リリカとジーナは、砂利を蹴立てながら、その家族連れめがけて、猛然と駆けていった。
まず両親を問答無用で左右へ突き飛ばし、素早くマナとレイチェルたちの背後へ回り込む。ジーナがマナを、リリカがレイチェルを抱え上げ、それぞれの喉元に短剣を突きつけた。ここまで数秒の超早業。両親も、マナ姉妹も、自分たちの身に何が起こったか理解できず、ただただ呆然たる顔つきで目をぱちくりさせている。
ややあって、まずレイチェルが、わんわん声をあげて泣き出し、次いでマナが悲鳴をあげた。両親が慌てて起き上がろうとしたところで、リリカが威嚇の声を投げかけた。
「貴様ら、動くな! 勇者っ! 武器を捨てろ!」
なるほどな。こいつら、これを狙って旅館のほうへ逃げてたわけか。しゃらくさい真似をしおって。
俺は足を止め、リリカたちと正面から向きあった。
「私たちを見逃してくれるなら、こいつらに危害は加えない。勇者。どうか武器を捨てて、そのまま動かないでいてくれ」
ジーナが諭すように言う。二人とも、昨日とは口調も声も別人のようだ。いまはお仕事モードってとこかね。
周囲の旅行者たちが、ようやく状況に気付いて、ざわめきはじめた。いきなりこんな修羅場が目の前に出現すれば、こうなるわな。無駄に騒ぎを大きくしおって。暗殺者の風上にもおけん馬鹿者どもだ。
「マ、マナ、レイチェル……、なぜこんな……!」
マナたちの父親が、地面に膝をついたまま、震える声でつぶやく。リリカが応えた。
「許せ。私たちだって、こんなことはしたくないんだ」
その腕の中で、レイチェルはまだひたすら泣きじゃくっているが、ジーナに抱えられたマナのほうは、すっかり血の気の引いた顔で、懇願するような目を俺に向けている。助けて──と。
よろしい。では助けてやろう。
俺は迷わずアエリアを抜き放ち、地を蹴った。風を巻いて突き進み、まずジーナの胸もとへ、ひと息に刃を突きたて、深々と貫く。人質のマナもろともに。
素早く刃を引き抜き、間髪置かず、今度はリリカの胸を刺し貫く。レイチェルごと。
俺がアエリアを鞘に戻すと同時に、四人は一斉に胸から血を噴き、その場に倒れ伏した。四人とも即死だ。
リリカもジーナも、信じられない、という表情がその死顔に貼りついている。
「マナ……レイチェル……!」
母親が呆然と娘たちの名を口走る。父親のほうは、あまりの出来事に、もはや声すら出ないようだ。幼いエルフの姉妹は、いまや血にまみれた小さな亡骸となって、暗殺者たちとともに地面に転がっている。
ジーナとリリカは、俺が勇者であることを知っていた。勇者の伝説についても、それなりの知識はあったんだろう。勇者は、完全なる善の存在、正義の味方──それゆえに、人質さえ取れば手出しは出来ぬはず、と甘い見通しを立てていたんじゃないか。実際、良心回路の影響で骨の髄まで善人と化していた二代目勇者あたりになら、その手は有効だったかもしれない。
だが、生憎なことだ。魔王相手に人質など、何の妨げになるか。愚か者どもが。
周囲では、野次馬と化した旅行者たちが、俺たちを取り巻いて、ざわざわと声をあげはじめている。
「騒ぐなっ!」
俺は鋭く叱咤の声をとばした。途端、誰もが息を呑んで、水を打ったように静かになる。
人々が注目するなか、俺はマナたちの亡骸のそばへ、そっと歩み寄り、両手を二人の上にかざした。
念を集め、呪文をとなえる──祈りと祝福の詠唱を。
忽然、まばゆい白濁光が俺の掌から輝き溢れた。光は次第に膨張し、マナとレイチェルの身体を包み込んでいく。
──ほどなく、輝く光はスゥーッと消え去った。
マナとレイチェルが、同時に瞼をぴくぴくっと動かす。
「ん……んー?」
「うにー……」
妙な声をあげながら、二人は瞼を開き、むっくりと起き上がった。服や髪は血にまみれ、あまり血色もよくないが、とりあえず、元気そうな様子だ。
これぞ勇者の天然インチキ能力、蘇生魔法。使うのは初めてだが、どうやら、うまくいったようだな。
「うわー、べったべた……」
マナは、自分の手についた血を、服の裾で拭きながら、よっこいしょっと立ち上がった。レイチェルも、まだ何が何だかよくわからない様子ながら、とりあえず立ち上がり、周囲をきょときょと見回している。二人とも、胸の傷は完全に塞がっていた。もはや傷跡も残っていないはずだ。
野次馬たちの間に、再びざわめきが起こった。
「い、生き返った……?」
「凄い……死者を甦らせるなんて……」
「そ、そうか! だから勇者は、わざと……」
「さすがは……伝説の勇者……!」
感歎と興奮の念が、じわじわと群集のなかに広がってゆく。そうそう。もっと褒め称えていいぞ。
実際のところをいえば、別に計算ずくの行動ってわけじゃない。たとえ蘇生魔法なんぞ使えなくても、俺は結局、何ら躊躇することなく四人とも突き殺していただろう。人質を取られたくらいで臆したとあっては、魔王の名が泣くというものだ。
俺はしゃがみこんで、二人の肩に手を置き、ささやきかけた。
「痛いところはないか?」
「ううん、だいじょーぶ。ちゃんと助けてくれたんだね。アークにいちゃん」
マナはニッコリ笑って応えた。いや、助けたというのは、微妙に違う気もするが……結果オーライってことで。
「……おにいちゃん。ありがと」
レイチェルが、頬を染めながら微笑んでくる。俺はその髪をそっと撫でつけてやった。可愛いもんだ。いずれ、この姉妹も俺のハーレムに入れてやろうかな。もっとも、大人になるまで相当時間がかかりそうだが。
「ほら。二人とも、親のところへ行って、安心させてやれ」
姉妹は同時にこっくりとうなずいて、走っていった。茫然自失していた両親が、幼いわが子たちを迎え、嬉し涙にむせびつつ、しっかと抱擁する。ま、後は勝手にやってもらおう。一応、めでたしめでたし、かな。
問題はこいつらだ。
俺は、血溜まりのなか、下着姿のまま横たわるジーナとリリカの死体を眺めやりつつ、今後のことを思案した。
ここまで首を突っ込んでしまった以上、放置してもおけん。蘇生させて、お仕置きがてら事情を聞いてみるとしよう。
あ、そういや、オーガンも死んでるんだっけ。……正直どうでもいい。後回しだ。いっそ放っとこうかな。




