049:黒煙
翌朝。
ルミエルと朝風呂へ。
昨夜の出来事はルミエルには話していない。大事にはしない、とメレスタと約束してやったしな。そのかわり、当面ここで女将を続けつつ、いずれ俺が迎えに来る日を待つように、と言い含めておいた。
あの料理の腕前は、こんな田舎にいつまでも置いとくには惜しい。俺が魔王城に帰還する際には、コック兼ハーレム要員として連れて帰るつもりだ。
例の露天風呂に、先客がいた。エルフの子供。小さな女の子だ。ひとり、ぷかーと湯に浸かって、鼻歌なんぞうたっていたが、こっちに気付くと、ニコニコ笑いながら声をかけてきた。
「わぁ、伝説の勇者さんだー。ゆうべの卓球、見てたよ。すごかったね!」
「……わざわざ伝説とか付けんでも」
昨夜、オーガンが余計なことを言いやがったおかげで、他の旅行者どもまで、俺を勇者と呼ぶようになってしまった。
エルフどもは人間どもと違って、勇者という存在について、それなりに把握しているらしい。勇者の伝説を秘密にしてきたのは人間の王家であって、エルフには関わりのないことだからな。エルフも人間と同じく、魔族とは伝統的に敵対関係にあるため、魔王を討伐しうる唯一の存在である勇者は、エルフにとっても救世主という認識らしい。
どいつもこいつも呑気なもんだ。エルフを支配すべく乗り込んできた魔王本人を、すっかり救世主だと思い込んで、ちやほやしてやがるんだから。無闇に警戒されるよりいいかもしれんが、こんな田舎で目立っても意味がないし、むしろうっとうしい。
「えー、だって、名前知んないし。あっ、そういえば、あのおじさんに名乗ってたっけ。……オーク?」
「そんな繁殖力だけが取柄の人豚みたいにいうな! アークだ、アーク」
「あはは、そうだっけ」
朝っぱらからテンション高い子だな。人懐こい笑顔がとても可愛らしい。見た目は、人間でいえば十歳かそこらか。つるんぺたんだし。といってもエルフだから、実際にどれくらいかはわからん。
ルミエルと湯に入る。少し熱めだが、寝ざめにはちょうどいい刺激だ。
「あなた、南のほうから来たの?」
ルミエルが声をかけると、女の子は元気にうなずいた。
「うん、そうだよ! よくわかるね」
「少しだけ、南霊府の方々と共通の訛りがあるみたいだから、それでね」
「へーっ、お姉さん、南霊府に行ったことあるの?」
「ええ。あそこは海が近くて、いいところよね」
「うん! いいとこだよ! でも……」
女の子は、少し顔を曇らせた。
「最近はね、竜がしょっちゅう襲ってくるから、危ないんだ。森もあっちこっち焼けちゃったし……」
「……もしかして、それで避難してきたのか」
俺が尋ねると、女の子は、こっくりとうなずいた。
「おとーさんと、おかーさんと、妹とね。家族みんないっしょに。昨日ここに着いたばっかりなんだ。今日は朝から住民登録しに行くんだって、おとーさんがゆってた」
東と南は竜に襲われ、北は戦争準備。中央も竜に備えて厳戒態勢か。エルフの森も、けっこう大変な状況のようだな。
だが、俺には好都合だともいえる。この混乱に乗じて一挙に中央を突き落としてやろう。竜の襲撃や翼人との戦争なんぞ、後でどうとでもできるからな。
俺たちは三人一緒に風呂からあがった。女の子はマナという名前らしい。三十七歳というから、ルミエルより年上か……。まあエルフだし。
マナを連れて脱衣所を出ると、夫婦とおぼしき浴衣姿のエルフの男女が廊下に佇んでいた。
「あっ、おとーさん、おかーさん!」
「マナ、ここにいたの?」
「ダメじゃないか、一人で勝手に……」
マナの両親らしい。父親のほうは、銀髪長身、けっこう年食ってるな。おだやかな紳士って感じ。母親もわりかし年増だが、品の良い美人だ。ルミエルは、ちょっと物珍しげな顔つきで親子の姿を眺めている。ガチ変態揃いというエルフの中にあって、こういうマトモな組み合わせの一家は、あまりお目にかかれないものなんだろう。
「だってぇー、お風呂入りたかったんだもん。おとーさんも、おかーさんも、声かけたけど、起きてくんなかったし」
ちょっと口をとがらせるマナ。
「しょうがない子ねえ」
母親は苦笑を浮かべながら、肩をすくめた。とくに怒ってはいないようだ。マナの頭をそっと撫でながら、俺へ声をかけてきた。
「すみませんね。うちの子、何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「メーワクなんてかけてないよー。あたし、ギョウギよくしてたもん。ね、アークにいちゃん?」
「そうだな。色々興味深い話も聞かせてもらったし」
俺が応えると、今度は父親が話しかけてきた。
「マナがお世話になったようですな。わざわざ伝説の勇者のお手をわずらわせて、申し訳ない」
だから伝説とか付けんでいいっての。いちいち反応するのも面倒だから、もう何も言わんが。
マナたちと別れ、部屋へ戻ると、女将──メレスタが朝食を運んできたところだった。
鮎の塩焼きに豆腐の味噌汁、沢庵、焼き海苔。生卵。
これで納豆がつけば完璧なんだが、あれは魔族以外は食べないからなぁ。仕方ない。
メレスタは、昨夜の出来事などまるで気にする素振りもみせず、あくまで女将として振舞い、用事が済むと、そそくさと立ち去っていった。
去り際の一瞬、そっと俺にあの流し目を送ってきた。ルミエルのほうは一瞥もしない。どうやら洗脳──もとい矯正はうまくいってるようだ。いずれ俺が迎えに来る日まで、いい子で待っていろよ。
朝食後、普段の服装に着替えて、旅館をチェックアウト。といっても、馬車は馬小屋に預けたままだ。これから向かうのは西霊府の府庁。徒歩五分もかからない近所だ。オーガンに会って、賭けの清算をしてもらわんとな。
旅館の玄関ロビーを出たところで、マナたち親子とばったり顔をあわせた。
「あっ、アークにいちゃん、ルミおねえちゃん! これからお出かけ?」
マナが元気よく声をかけてきた。さきほどの三人に加え、マナよりさらに小さな女の子が、父親にしがみつくようにして、こちらを見ている。マナの妹だろう。人間にすれば五、六歳くらいか。あどけない顔立ちだが、さすがにエルフだけあって、幼くても目鼻はスッキリと整っている。将来はすごい美人になりそうだな。
ふと、その子と目があった。クリクリした大きな青い瞳と。
「……!」
何かに気付いたように、ハッと目を見張る小さな子。なんだ?
「……」
ポッと頬を赤らめる。おいおい。
「あ、レイチェル、もしかしてアークにいちゃんのこと、気に入っちゃった?」
「……うん」
マナに訊かれて、女の子は素直にコクンとうなずいた。いや、気に入られてもなぁ。
「もてもてですね、アークさま」
ルミエルが微笑みながら言う。ああ、確かに俺さまはどこに行ってもモテモテさ! いやでも、こんな幼女じゃ、さすがにたいして嬉しくないぞ。エルフの特異な美的感覚ゆえの現象かと思うと、なおさら。そういや、顔を覆うのを忘れてた。もういいや。息苦しいし。
「これから府庁へ?」
父親が尋ねてきた。
「そうだ。あんたたちも?」
「ええ、住民登録をしに。せっかくですから、ご一緒しませんか」
「そうだな。すぐ近くだし……」
応えつつ、府庁舎の建つ広場のほうをかえりみると。
猛烈な黒煙が、空へ向かって立ちのぼっている。
「なんだ? 火事か?」
俺の声に、ルミエルが呆然と応えた。
「あれ、府庁がある方角ですが……」
もしかして、府庁舎が燃えてるのか。
──おお。ならば、ぜひ野次馬に行かねば。火事と喧嘩は江戸の華というではないか。ここ江戸じゃないけど。
「……行ってみよう。ルミエル、来い」
「はい」
俺たちは、親子を置いて、ふたり同時に広場めがけて駆けだした。




