047:白球に賭ける
卓球といっても、この世界にピンポン球はない。呪文で小さな魔力の塊──魔力球を作り、打ち合うものだ。
魔力球は、最低限の魔力さえあれば、誰でも簡単に作り出せる。術者が弾力や硬さなどの微調整を施し、遊戯に適した状態に仕上げるのだ。
卓球台自体は、俺が前にいた世界のものとほぼ変わらない。違いは、中央にネットではなく板の仕切りが横たわっている点。ラケットも、ラバーなんて気の利いたものはついてなくて、ただの木の板と棒の組み合わせだ。
「できましたよー」
ルミエルが白く輝く魔力球を作り、軽く台に打ちつけて弾力をチェックする。こーん、と小気味良い音が響いた。ほぼピンポン球と同様の感触。
「よし。じゃ、ぼちぼちやろうか」
俺はラケットを手に、位置についた。先攻ルミエル。
「いきます」
ルミエルが、さっとラケットを振る。コッ、コッと白い球が跳ねながら飛んでくる。なかなか鋭いサーブ。といっても、俺には止まってるように見えちまうがな。当然、本気で打ち返すような大人気ない真似はしない。
ちょいっと撫でるように当てて返してやる。それでも常人からすれば結構なスピードになるだろうが、ルミエルもよく反応して、しっかりと打ち返してくる。うまいもんだなー。
ふわりと浮いた球を、下から、さっと撫でながら打ち返す。ルミエルの前でバックスピンがかかる。
「──なんのっ!」
ルミエルは、やや姿勢を崩しながらも、腕を伸ばし、見事に拾って返した。ま、あまりこんなことばかりさせてると、すぐバテちまうだろうから、普通にやるとするか。
こーん、こーん、と、のんびり魔力球を打ち合いながら、ルミエルは上機嫌そうに微笑んだ。
「たまにはいいですね。こういうのも」
「たまにはな」
不思議なもんで、手加減しながら適当に打ち合ってるだけでも、次第にじんわりと脳内麻薬的な何かが滲み出てくるようで、楽しくてやめられなくなってしまう。ルミエルも同じ状態だろう。キャッキャウフフ状態とでもいうか。
俺たちは、ほぼ無心でラリーを続けた。そんなことをしている間に、いつしか遊戯室に人が集まってきて、気がつけば十数人ものギャラリーの注目を浴びる羽目に。どっから湧いてきたお前ら。
ふと見ると、ルミエルの浴衣が乱れてきている。なんせあの大きいのが揺れるからなあ。下着も着けてないし。たぶん帯の締め方も甘かったんだろう。しかもルミエル自身はすっかり夢中で、そのことに気付いてない。
よし。ちょっと揺さぶってやろう。意識して、右へ、左へと、やや幅をつけて打ち込んでゆく。
懸命に打ち返すルミエル。次第次第に、その胸元が開いてゆく。ギャラリーの視線も、そこに釘付けだ。あと少し。あと少し。
「あ……」
わずかに身を屈ませた拍子に、ついに、片側が──ぽろりんっと、こぼれた。ギャラリーから一斉にどよめきが生じる。
「きゃあっ!」
途端、ルミエルは、大慌てでその場にしゃがみ込んでしまった。なんとも可愛い悲鳴をあげながら。ぶっちゃけルミエルの胸なんて見慣れてるが、こういう状況だと、また普段と違って新鮮に思えるから不思議だ。
ルミエルはささっと乱れた浴衣を直し、立ち上がった。さすがに恥ずかしかったようで、ちょっと頬を染めながら、はにかむような笑みを向けてくる。俺と二人きりならともかく、大勢の見物人の前だしな。
「えへへ。私の負け……ですね」
「ああ。いいものを見せてもらったぞ。ところで、球はどこ行った?」
俺が訊ねると、ギャラリーの中から「ここにあるぞ」と、誰かが応えた。
そちらを見やれば、ちょうど床に転がった魔力球を、誰かがひょいと拾いあげたところ。浴衣姿のエルフの男だ。顔立ちはキリッと整ってるが、若くはない。品のいい中年のおっさんって感じ。
「君たち、なかなかやるねぇ。とくにそこの少年。実にいい」
中年エルフは、そう言っておだやかに笑った。
「お嬢さん。ぶしつけで悪いんだが、少しだけ、彼と打ち合わせてくれないか」
「は? ……え、ええと」
中年エルフのいきなりの提案に、戸惑うルミエル。本当にぶしつけだな。せっかく二人で楽しんでたのに。
「……アークさま。ちょうど一区切りついてますし、私はかまいませんが」
「……そうか。じゃ、また後でやろう」
俺がうなずいてみせると、ルミエルは中年エルフにラケットを手渡し、ギャラリーの列に加わった。
「私はオーガンという。少年、名は?」
中年エルフが訊ねてくる。
「……アークだ。あんた、ずいぶん自信があるみたいだな?」
「ふっ……まあな」
不敵に微笑む中年エルフことオーガン。アホが。地上最強の動体視力と反射神経を持つ俺様に挑もうなんざ、身の程知らずもいいとこだ。ま、本気を出すまでもないし、適当に遊んでやるかね。
「アークくん。ひとつ、賭けをせんかね。どうせやるなら、そのほうが張り合いがあるだろう」
「賭け? 何をだ」
「もし私が勝ったら……今夜一晩、きみを私の自由にさせてもらう」
げっ。このおっさんも、あっちかよ。えーい、本当にどいつもこいつも。
「で? 俺が勝ったら?」
「そのときは、私が一晩、きみのお相手をしよう」
「おんなじじゃねーか!」
「……くっ、バレたか」
バレたかじゃねえよ。かなわんな。
オーガンは軽く肩をすくめた。
「よし。ならば、きみが勝ったら、私の秘蔵のコレクションから、一点、いいものを進呈しよう。きっと気に入ると思うぞ」
「いいものって?」
「それは、私に勝ってからのお楽しみだ。むろん、私が勝ったら、別の意味でお楽しみだ。ふっふっふ」
そう微笑みつつ、なんともいやらしい視線を向けてくるオーガン。勘弁してください。
「……ま、いいや。その条件で」
はなっから負ける懸念は一切ないし、オーガンの言う、いいものってのが何なのか、ちょっと気になるしな。受けて立ってやろうじゃないか。
「では、条件成立だな。ゆくぞ、少年!」
オーガンはビシッとラケットを構え、魔力球を宙に放り投げた。
──五分後。
「参りましたぁッ!」
オーガンは勢い良く完璧な前傾お辞儀をかまし、己が敗北を認めた。
周囲のギャラリーどもは、ただ呆然と俺を見つめている。俺のあまりに容赦ない鮮やかな勝ちっぷりに、一同、声もないようだ。ただルミエルだけは、当然といわんばかりにニコニコ微笑んでいる。
卓球は一セット十一点先取の七セット制。先に四セット奪えば勝利だ。俺は五分で計四十四点取った計算になる。オーガンはゼロ。けっこう手加減したんだけどな。
オーガンも驚きを隠せない様子だ。
「いやー、驚いた。私はこっそり身体強化の魔法を使ってたんだよ。それでこの結果とはね。まるで球が見えなかったよ」
身体強化って。やけに自信たっぷりに見えたのはそういうことか。せこい真似をしおって。どっちにしろ、俺の足元にも及びはしなかったがな。
「そんなことより、賭けは俺の勝ちだ。約束を守ってもらうぞ?」
俺が告げると、オーガンは笑ってうなずいた。
「こうも徹底的に負かされると、かえって気持ちがいいな。よろしい、約束は守ろう。明日、府庁へ来るがいい。あそこに勤めているんでね」
おや。こいつ、旅行者じゃなかったのか。
「私はデト・オーガン。この西霊府の長をやっている。では、また明日会おう。伝説の勇者どの」
さりげなく、とんでもない自己紹介を残しつつ、オーガンはギャラリーの列をかきわけ、悠然と立ち去っていった。
西霊府の長だと? つうか、最初から俺が勇者だと知ってて、わざわざからかいに来やがったのか。いい性格してるじゃねえか、あの中年め。




